3.再開の入学式
四月八日。今日は高校の入学式だ。
真新しいブレザーに身を包み、掲示板でクラスを確認してから教室へ入った。
教室はすでに賑わっている。中学からの知り合いも数人いるが特に親しい人はいない。携帯のない中学時代、深い付き合いをする人はいなかった。
みんなの話題はもっぱら話題の動画や携帯ゲーム。空き時間が数分でもあると携帯を取り出す。事あるごとに写真を撮りまくり、目の前にいてもメッセージを送り合う。
彼らの世界は携帯の中にある。
ときどき俺は、自分が本当に存在するのか自信がなくなる。
高校でも孤立するのは避けられないだろう。
案の定、クラスメイト達は写真を撮りあったり、一人でゲームに没頭したりとほぼ全員が携帯で何かをしている。
俺は出席番号順に名札が置かれた席に座った。一番奥の列の真ん中あたりだ。
すると近くの女子数名が何やら興奮気味に話しているのが聞こえてきた。
「ヤバい。マジでヤバすぎ。しぬしぬ。タカヤと同クラとかむりすぎ」
「フォロワーいま三万人だって、エグ」
「ユウヤのインライに昨日タカヤ出てたよね!?」
途中からよく理解できなかったが、どうやらこのクラスに話題になるような人物がいるらしいというのは想像がついた。
フォロワー三万人……。自分には縁遠い話だ。
その時、教室の扉が開くと同時にクラス中の女子生徒が「ひゃっ」と叫びそうになり口を押さえていた。
一体何事かと扉の方に目をやる。
そこには目の覚めるような茶髪のイケメンが立っていた。スタスタと中に入ってくる。クラス全員が彼に注目していた。当の本人はチラリと周囲を一瞥すると特に気にした風でもなく歩いている。
「マジでタカヤ来た……」
「本物やば……」
ヒソヒソ声が聞こえる。
俺の視線も彼に釘付けになっていた。
なぜなら間違いなく彼は三日前に俺がパフェをぶつけた人物だ。
俺は口をポカンと開けたまま、近づいてくる彼を見ていると彼も俺の方を見た。彼は俺を見るや否や目を見開いて駆け寄ってきた。
「あーっ! パフェの人!!」
彼は俺に向かって叫んだ。俺からすれば彼の方が「パフェの人」だ。
「マジでびっくりしたー。あれからまたファミレス行ったけど全然いねーんだもん」
俺は朝から晩まで高校生が働けるギリギリの時間いっぱいバイトしていたが、あの日以来ホールには出ていなかった。先輩方にあの日やらかした事を伝えて、ホールの手伝いをしなくていいようにしてもらっていたのだ。
「あの……、もしかしてTシャツのことでまだ何か……」
俺は恐る恐る青年に尋ねた。クラスの注目を浴びていることで更にバツが悪く、できるだけ小さな声で聞いた。
「違う違う! てか敬語いらねえって。同じクラスなら遠慮なく連絡先教えてもらおっと」
彼は携帯を取り出した。あの日携帯はないと伝えたはずだが、忘れたのか信じていないのか。しかしそこまでして伝えたいことがあるのだろうか。俺の連絡先を知ってどうするつもりなのだろう。
「あの、だから俺、携帯持ってないって……」
目の前の彼の動きが止まり、教室の空気が凍りついたのが分かった。クラスメイト達がヒソヒソとこちらを見ながら話すのが目に入った。嘘つきと思われている可能性が高い。非常に厄介だがないものはない。
「カバンの中見てもいいよ。嘘じゃないか家まで見にくる?」
俺は自嘲しながらそう言った。ここまで言えば連絡先を
聞くのを諦めてくれるだろうと思った。
「え? 家行っていいの?」
全く予想外の答えが返ってきたので、俺は目を丸くして彼を見た。
「え、あ、今日はバイトないから大丈夫だけど……」
言ってすぐに彼の言葉は冗談に決まってるだろうと思い至った。顔が一瞬で熱くなる。こんなイケメンが初対面の人、それもパッとしない俺の家に来るはずがない。
ところが彼は目を輝かせた。
「マジで!? じゃあ今日行くわ」
からかわれているのだろうか。
本気だとしても、あの狭くて古いアパートの黒電話を見せて大丈夫だろうか。写真を撮って晒されるのではないか。やはりハッキリ断っておこうと口を開いたが、チャイムが鳴りだした。教師がすぐに入ってきたため話の続きは出来なかった。
彼の席は俺の真後ろだった。
その後の自己紹介で分かったことは、彼の名前が“雪原 鷹也”と言い、買い物と甘いものが好きで兄と辛いものが嫌いということだった。「兄が嫌い」と彼が苦々しげに言ったとき笑いが起きていて、みんなその事を知っているようだった。雪原の一挙一動に皆が注目していた。どうやらネットの世界で有名人のようだ。
俺は放課後彼が来るというのが本気か分からず、その日の入学オリエンテーションは全く身に入らなかった。
当の雪原はずっと人に囲まれていた。男子も女子も、人気者にあやかりたがっているように見えてしまう。携帯がない俺の僻みだろうか。しかし本人はあまり楽しそうには見えなかった。
放課後、相変わらず雪原は人だかりの中にいるので俺は気付かれないようそそくさと帰ろうとした。
しかし靴箱で靴を履き替えようとしたとき、「八尋緑!」と声をかけられた。振り返ると雪原がいる。
「家行くって言っただろ!」
雪原は息を切らしている。そこまでして家に来たい理由が分からない。
「いや、冗談かと思って……。それに俺の家チャリで二十分だけどチャリあんの?」
俺は手にした運動靴を爪でカリカリと引っ掻き、目を合わさずに答えた。
「携帯ないのは本当だって。別に面白いものなんてないよ」
雪原が諦めるよう追撃する。
「俺電車通学なんだよな……。電車でも行ける?」
「いや、なんでそこまでして来たいんだよ……」
怪訝な顔をして尋ねると、雪原は「あー……」と前髪を掻き上げた。俺はつい、整った顔が際立つなと思ってしまった。
「なんでだろ。携帯ない生活って気になるじゃん」
「……馬鹿にしたいわけ?」
彼にとって携帯がない生活なんてフィクションみたいなものなんだろう。
ちらりと雪原の様子を伺うと、みるみるうちに慌てた様子になるのが見てとれた。どうやら馬鹿にするつもりではないのかもしれない。
「違うって! あのさ……、仲良くなりたいけど携帯持ってないって言うしどうしていいか考えてるだけだって……」
仲良くなりたい……?
携帯を持っていない希少種に興味があるのだろうか。
雪原は言いながら萎れていくので段々気の毒に思えてきた。その姿を見ると、心の中の棘がすっかり取れてしまった。
「ファミレスの近くだよ……」
「え?」
こんな風に携帯がない俺と仲良くなりたいと近づいてきたのは雪原が初めてだ。
物珍しさだけかもしれないが、こんな機会はもうないだろう。
「二時にファミレス前で」
そう言い残し、俺は急いで昇降口から飛び出した。顔が熱い。
「行く! ありがと!」
靴箱の方からそう聞こえたが振り返らずに自転車置き場へ走った。それから一心不乱にペダルを漕いで家まで疾走した。
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