2.我が家の黒電話
その日の仕事を終えアパートに帰宅したのは夜八時ごろだった。昼前から働いていたので足がパンパンだ。
「ばーちゃんただいまー」
「おかえり、緑ちゃん」
俺は祖母と二人暮らしだ。本当は世帯主の父がいるはずなのだが、父は定職に就かずフラフラと遊びまわり、いつもどこにいるか分からない。帰ってくるのは数年に一度だ。母は俺が小さい頃、父に愛想を尽かして別の人と再婚してしまった。
祖母はテレビを大音量にして視聴していた。近隣に配慮し、俺はリモコンでボリュームを少し下げる。それからローテーブルに持ち帰った白米を置いた。バイト先では余った白米だけは持ち帰りを許されている。
「ありがとうね。アルバイトはどうだった?」
「……今日は大失敗した」
「あらら、そんな日もあるよ」
祖母の作ったちくわともやしの炒め物をおかずにご飯をかきこんだ。
「緑ちゃん、アルバイトどうだった?」
ここ数年、祖母は同じことを何度も尋ねる。俺は同じことを何度も答える。
ジリリリリーン
その時、家に電話のベルの音が響き渡った。
「誰かしらね、この時間に」
俺と祖母は玄関前の電話台に目をやった。
そこには今どき朝ドラくらいでしかお目にかかることがない黒電話が鎮座している。この電話は俺が生まれた時から家にある。祖母の口座から電話代は引き落とされているが、解約の仕方もよく分からずズルズルと使い続けている。
俺が電話に出ると、相手が「太陽光発電の……」と言い出したのですかさず受話器をガチャンと置いた。
「セールスだった」
そう言うと祖母は「最近多いねえ」と言って食事を続けた。
俺は携帯電話を持っていない。俺への連絡手段はこの黒電話だけだ。
いつ帰ってくるか分からない父親に、年金暮らしの祖母。電話は一応家にはあるし、自分で携帯代を支払うほどの余裕はない。
これらの理由で俺は携帯電話を持っていない。
バイトのシフト表は俺だけ印刷してもらっている。店長は「俺の若い頃はだーれも携帯なんて持ってなかったしな」と、携帯のない俺でも困らないよう融通してくれ、とても助かっている。
俺は普段携帯について考えないようにしている。
欲しいと思ったところで買えないので、考えるだけ無駄なのだ。
昼間、「携帯を持っていない」と伝えたときの青年の顔を思い出し、ぼーっとお茶を飲んだ。ぬるい麦茶が喉奥を伝っていく。
「ま、普通そうなるよな」
小さくそう呟いた後、青年の整った顔立ちと割れた腹筋も脳裏に蘇り心臓がドクンと跳ねた。
携帯があれば繋がれたのかな……。
一瞬そう考えたが慌てて振り払い、俺はお茶を飲み干した。
2/47




