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14.夏の終わり

「雪原」

「ほんとごめん。アイツは礼儀とかそういうものを知らない生き物なんだ……」

「雪原、痛い」

 雪原はハッとして腕を離してくれた。

「ご、ごめん……」

 今度は壊れ物を扱うように俺の腕をふわりと掴んだ。赤くなったところをそっと撫でられ、俺はピクッと震えてしまった。

「どうしよ、アイツがいる限り部屋から出れねーや」

 雪原の顔に苛立ちが浮かぶ。

 見渡すとそこはどうやら雪原の部屋らしい。漫画や服がいくつか散らばっているが、大きな棚にフィギュアや植物、アクセサリーが飾ってあり、ドラマで見るような空間だ。

「あっちにカバン置いてきてしまった」

「うわー……マジごめん」

 萎れている雪原が気の毒に思えた。

「や、いいけど」

 雪原は深いため息と共に俺の手を握った。

「緑……」

 俺の手が雪原の額に運ばれ、肌にくっつけられた。俺の手は雪原のおでこより熱い。

 上目遣いの雪原と目が合った。またさっきのソファでの雰囲気になりつつある。俺は心臓がバクバクしてその場から動けなかった。

「たーかやくーん!!」

 ドンドンと扉を叩く音がして、ドアの向こうで勇也が叫んでいる。俺は飛び上がり、雪原は舌打ちをした。

「お友達のバッグ! いらないのー?」

「だ、ま、れ!!」

 雪原がドアに向かって叫ぶ。

「バッグ置いて消えろ!!」

「えー、鷹也くんこわぁ」

 どさりとドアの外に物を置く音がして、その後静かになった。少し待ってから雪原はドアを開けた。

「ハローーーッ!」

 すると待ってましたとばかりに潜んでいた勇也が現れ、ドアに手をかけた。俺は驚いて後ずさった。

「あーーーっ、クソ! 消えろっ!!」

 雪原は怒り狂い、俺はこの強烈な人物に完全に引いていた。

「緑ごめん、家出よう……」

 雪原は片手に俺のバッグ、もう片方の手で俺のシャツの裾を握って部屋から出た。

「お、出てきた。お友達も一緒に遊ぼうぜー」

 囃し立てる勇也に目もくれず雪原は俺を家から連れ出した。

 出る時一応「お邪魔しました」と言ったが、勇也はつまらなさそうな顔でこちらを見ていた。


 俺たちはマンション前の公園でやっと一息ついた。

「なんていうか、人様の身内に対してこんなこと言うのは悪いが……、あの人、強烈だな」

 俺の意見に雪原は黙ってコクコクと頷いた。

「けど妙に計算高くて世渡り上手だからやっかいなんだよ……」

 たった数分対峙した俺ですら疲弊しているのだから、毎日顔を合わせる雪原の心労は相当だろう。

 できればあまり関わりたくないな、と思いながら俺はさっきまでいたマンションを見上げた。

 その後は二人で図書館に戻り黙々と宿題をした。


 夏休みの間、何度か雪原にプールや夏祭りに誘われたのだが、俺はバイトに追われ宿題が思うように進んでおらず、全部断ってしまった。ちなみにあれ以来雪原が自宅に誘ってくることはない。

 雪原はときどきクラスの人や中学からの友達と遊びに出掛けているらしく、話を聞かせてくれた。「緑がいればなぁ」と毎回言うが、俺は雪原以外の人と関わるのは気が進まなかった。自分が浮くのが分かっていたから。それにバイトが丸一日休みなのが週に一度なので、俺は遊びに出かける気力があまり無かった。

 それでも二日に一度以上の頻度で雪原がバイト先に来てくれていた。雪原がいなかったら、一ヶ月半誰とも連絡を取らなかった可能性は高い。雪原以外の人が何をしているか俺は全く知らない。コルクボードの写真は、夏休みの間に数枚増えていた。

 

 ベランダのトマトはたくましく茂り、真っ赤な実を付けていた。


 *


 夏休み明け、俺が登校すると雪原はまだ来ていなかった。クラス内は真っ黒に日焼けした者やお土産を配る者、写真を見せ合う者などが各々騒いでいた。

 雪原が現れると、皆が注目して次々に声をかけた。

「ナイトプール行ったの!?」

「お前付き合い悪すぎ」

「勇也くんのインライでめっちゃキレてたね」

「あの時来てた友達って誰?」

 俺はその様子を席から見つめていた。雪原はすました顔をしている。

 夏休み中の雪原の様子をみんなが知っているようだった。俺が雪原家に行った日のことも、みんなは知っている。俺は教室の中で自分の席だけ宙に浮いているような感覚になった。

 俺以外の人達はお互いの生活を把握している。雪原は俺とずっといたはずだけど、他の人だっていつでも雪原と連絡を取れた。

 囲まれている雪原を見ていると、二人きりで夜道を歩いたことがまるで夢だったようだ。

 雪原は俺と目が合うとニコッと笑いかけてくれた。俺は軽く手を挙げて答えた。

 今は構ってくれているけど、この関係は全て雪原の努力で成り立っていることに気付いてしまった。

 どこに行けば会えるかも、今何をしているかも、どんな写真を撮ったのかも、俺は知らない。

 隣の女子達が見せ合っている携帯を、俺はじっと見つめてしまった。

「どうした?」

 雪原に声をかけられたが、「いや、何でもない」と答えることしかできなかった。

 こうして夏休みは終わり、新学期が始まった。


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