観光PR動画、みゅいに乗っ取られる
町役場の佐伯が潮鳴町のPR動画を撮影しようとするが、主役は漁業文化ではなく、いつの間にか猫たちになってしまう。みゅいは焼きサバ目当てに映り込み、その可愛さで動画を乗っ取る。シラタマもシャケヤンも人間の視線を集め、潮鳴町は一躍猫の町として注目される。だが、観光客が増えたことで、猫たちの昼寝場所は失われ、シャケヤンは再び「人間に可愛がられる仕事」を匂わせ始める。
町役場の佐伯は、朝一番に町役場のオフィスに駆け込んできたときから、やけに張り切っていた。襟元のネクタイをぴんと締め、鏡で何度も髪型を直し、ポケットに入れていたタブレットを取り出しては確認する——その様子は、まるで初めての大仕事を任された新入社員のようだった。
潮鳴町の港は、いつも通り朝の陽気に包まれていた。塩気の強い潮風が吹き抜けると、生臭くても懐かしい魚の匂いが町中に満ち溢れる。氷を砕いた氷水が、側溝を白く泡立ちながら流れ、漁師たちが魚を積み込む木箱が、石畳の道でごとごとと重たい音を立てる。漁師同士の声援や魚の値段を交渉する声が、朝市通りの壁に跳ね返り、にぎやかな朝の喧騒を作り上げていた。だが今日は、その慣れ親しんだ騒がしさの中に、見慣れない存在が混ざり込んでいた。黒いレンズをつけた大きなカメラと、シャツにジャケットを羽織った妙にきれいな服を着た撮影スタッフたちが、カメラの角度を調整したり、照明を準備したりと、慌ただしく動き回っている。
「潮鳴町の魅力は、江戸時代から続く歴史ある漁業文化と、誰もが気軽に声をかけられる温かい人情です。そこを丁寧に、心を込めて撮りましょう」
佐伯はタブレットを胸元に抱え、鼻筋に滑り落ちてきた眼鏡を人差し指で押し上げ、撮影スタッフたちに真剣なまなざしで語りかけた。
魚屋の店先で、源さんは包丁を素早く動かしてアジをさばきながら、鼻をハクッと鳴らして鼻水を拭った。
「人情ってのはカメラで撮れるもんじゃねぇ。俺たちが魚を新鮮なまま売って、客が喜んで買って帰りゃ、それが勝手に人情としてついてくるんだよ」
「源さん、今日は観光PR用の動画撮影なんです。もう少し観光客に向けた、柔らかい言葉遣いをお願いします」
「じゃあ、今朝仕入れたアジは、観光客にもうまく食べてもらえるぞ!脂がのってて、焼いても煮ても最高だ!」
「そういうことではなく……」
佐伯が頭を抱えかけると、隣の干物屋の杏は白いエプロンの袖で口元を押さえ、笑いをこらえていた。漁船に乗る大地は、手にした太いロープを結びながら、いつものように無口で、撮影の様子を斜め目で眺めるだけだった。
魚屋の店先に置かれた空の木箱の上で、みゅいは白い毛並みの体を丸めて座り、片耳だけをピクピクと動かして周りの音を聞いていた。
「ねぇ、ブチ兄ィ、人情って食べられるの?」
みゅいが小さな声でつぶやくと、隣の木箱の陰に隠れていた黒猫のブチローが、低い声で小さく答えた。
「たぶん、煮ても焼いても硬くて食べられないな。魚とは違うんだ」
「じゃあ興味なし」
みゅいが大きくあくびをして目を閉じたとき、撮影用に店先に並べられた白い皿から、焼きサバの香ばしい匂いがふわりと流れてきた。魚の脂が焦げた香りが、鼻先をまっすぐ刺し、みゅいの鼻の穴がピクッと動いた。
みゅいの足が、自分の意思とは関係なく勝手に動き出した。
「確認だけ。この焼きサバが新鮮かどうか確認するだけ!」
「それ、明らかに泥棒猫の言い方だぜ。」
ブチローの忠告を耳元で流し、みゅいは足音を立てずに皿の方へ近づいた。途中、ちょうど撮影中のカメラの前を横切る形になった。
「あ、猫です。灰色と白の混ざった猫が可愛いですね。少し画面に入れましょう」
佐伯の声が、驚きと喜び混じりに上がった。
みゅいは突然足を止めた。周りの人間の視線が一斉にこちらに集まり、黒いカメラのレンズがまるで大きな丸い目のように、自分をじっと見つめているのが感じられた。
その瞬間、みゅいは理解した。
これは、魚をたくさん手に入れられる「幸せの目」だ。
みゅいは前足をそろえてまっすぐ立ち、首を三十二度ほど傾けて可愛らしさを演出し、目を少し潤ませて人間を誘うようなまなざしにした。最後に、細く柔らかい声で鳴いた。
「みゃあ……」
撮影スタッフの一人が、小さく息をのんで口元を押さえた。
「かわいい……本当に天使みたい」
みゅいはさらに、木箱の上でころんと横になった。お腹は半分だけ見せて、見せすぎないように調整し、尻尾の白い先だけをわざとゆらゆらと動かした。これは長年人間から魚をもらうために練り上げた、完全な計算の上の演技だった。
「撮って! 今の瞬間を必ず撮ってください!これが潮鳴町のPRになる!」
佐伯が興奮して叫び、カメラのシャッター音が連続して鳴り響いた。
「おいおい、町の未来を担うPR動画に泥棒猫が主役になるかよ」
源さんが包丁をまな板に叩きつけて呆れたように言うと、杏が思わず笑い出した。
「でも、源さんの魚さばきより、みゅいちゃんの方が画面に映えてるよ」
「うるせぇ、お前も」
そのとき、画面の端にすっと入り込んできた猫がいた。
茶白の毛並みで丸い体をしたシャケヤンだった。
シャケヤンはゆったりと体を揺らしながら撮影スタッフの足元へ歩いていき、まるで十年前からそこにいた看板猫みたいに、ゆっくりと座った。目を細めて人間を見つめ、口元だけをこにこと笑わせているのが見えた。
「おやおや、みゅいはん。今日は人間相手のお仕事でっか?上手に演技してるわ」
「仕事じゃない。焼きサバが新鮮かどうか確認中なんだよ。」
「せやけど、あんさんは人間に可愛がられる才能がありますわ。このままやと、観光客さんからたくさん魚をもらえまっせ」
シャケヤンはカメラに向かって、丸い顔を少し傾けた。その姿を見て、偶然通りかかった観光客の一人が声を上げた。
「あの茶白の子もかわいい!モッコリしていて、ぶさかわいい!灰色の子と仲良しなのかな?」
「一緒に撮りたい!」
みゅいは少しだけむっとして、尻尾をピクッと動かした。
「勝手にわたしのショットに映り込まないで。自分の場所で行って撮ってもらいな!」
「港の猫は、みんなで潮鳴町を盛り上げなあきませんやろ?俺も町のために力を貸してるんでっせ?」
シャケヤンの言い方は立派だった。けれど、網置き場の陰からその様子を見ていた三毛猫のミケコは、黒いひげをぴくりと動かし、小さな声でつぶやいた。
「……盛り上げる、ねぇ。ホントにそうだといいけど。。」
撮影は、その後ほとんど猫たちを中心に進んだ。源さんの魚さばきのシーンはわずか三秒しか画面に映らず、杏の干物紹介も五秒で終わり、大地の漁船説明は潮の波音に消されてしまった。代わりに、みゅいの首を傾げる姿、白い猫のシラタマが石畳の道を優雅に歩く姿、シャケヤンのにこにこ、どっしりした姿が、たっぷりと撮影された。
夕方、町役場のオフィスで動画がSNSに公開されると、佐伯のタブレットがピーピーと鳴りっぱなしになった。通知が次々と表示され、再生数が急激に伸びていくのが確認できた。
「再生数が……一時間で一万回を超えた?これは大成功だ!」
佐伯はタブレットを抱えて喜び勇んだ。
翌朝、潮鳴町の朝市通りには、いつもより数倍多い観光客が訪れた。
「動画に出てたみゅいちゃんだ!ここにいる!」
「白いシラタマちゃんもいた!」
「あ、茶白の丸い子、シャケヤン?かわいい!」
観光客たちがカメラやスマホを構え、シャッター音が朝市通りに降り注いだ。猫たちがいつも昼寝をしていたひなたには人間がしゃがみ込み、猫たちの逃げ道には、いつも観光客がいて、魚屋裏の静かな空間は少しずつ削られていった。
みゅいは魚屋の店先に置かれた木箱の下に体を隠し、尻尾だけを外に出してゆらゆらと動かしていた。
「魚は確かに増えたけど、昼寝場所が減った。これじゃあ、わたしたちの生活が変わっちゃう。。」
ブチローが重々しく地面に座り、太い尻尾をまわりに巻きつけながら言った。
「これが人間の言う経済成長の闇だな。得るものがあれば、必ず失うものもあるんだ」
「ブチ兄、たまに難しいこと言うね。わたしには分からない」
そのとき、シャケヤンがゆったりと近づいてきた。口元にはいつもの笑みが浮かんでいた。
「みゅいはん、こういう人間相手の仕事、あんさんには本当に向いてますで。港で他の猫と魚を取り合うより、人間に可愛がられて温かい部屋に住み、毎日のごはんが確保できる方が、もっと割のええ道があるかもしれまへん」
「またその話?わたしは港で自由に生きる方がいい」
「温かい部屋、毎日新鮮な魚が食べられて、ふかふかの毛布の寝床。可愛い猫には、可愛い猫の生き方がありますんや。それを選ぶのも可愛い猫の特権でっせ?」
みゅいは何も答えなかった。頭の中には、いつもの港の風景が浮かんでいた。
港には魚の生臭い匂いがある。潮風が顔に吹きつける。源さんの怒鳴り声が朝市通りに響く。だが、今日はそれらの音の上から、観光客の足音とシャッター音がどんどん重なっていき、いつもの港の雰囲気が少しずつ変わっていくのが感じられた。
ミケコは網置き場の陰から、シャケヤンの笑顔を遠くから見ていた。
シャケヤンは人間に向かって笑っている。
けれど、やはり目の奥は笑っていなかった。その瞳の奥には、港の未来への不安がにじんでいた。




