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尻尾会議、荒れる

猫神社で開かれる尻尾会議は、潮鳴町の猫たちにとって大切な政治の場である。魚不足、一等ひなた、観光客の無断なでなで問題。小さな議題に見えて、猫たちには死活問題ばかり。そんな中、シャケヤンは「魚を一番持ってきた猫が政治力を持つべき」と提案する。猫たちはそのわかりやすさに惹かれていくが、ミケコとゴンザだけは不穏な匂いを感じ取っていた。

潮鳴町の港から、波の音を背に少しだけ坂を上った場所に、赤い鳥居が寂しげに佇んでいる。その奥に広がる猫神社は、人間から見れば境内も狭く賽銭箱も小さな、どこにでもあるような小さな神社だが、猫たちにとってはこの町で最も重要な場所だった。


朝の冷たさがまだ石段にしみ込んでいて、みゅいが肉球をそっと置くと、ひやりとした感触が足先から背中まで伝わりぶるっとひと震えした。境内には線香の淡い煙が細く立ち昇り、杉の葉の隙間から漏れ込む朝日が、地面にまだらな光の斑点を描いている。線香の匂いは杉の香りと混ざり合い、猫たちの鼻先をくすぐる。


ここは、潮鳴町猫町内会の議場である。


「これより、第四百八十二回、尻尾会議を始める」


片目に白い翳がかかった黒猫のゴンザが、擦り減った銅の賽銭箱の上にしゃがみ込み、低く唸るように言った。その声は、長年の重みを帯びて境内の隅々まで響き渡る。


境内の石灯籠の周りには、町中から集まった猫たちが輪になって座っていた。雪のように白く長い毛を太陽に輝かせ、いつも優雅な態度を崩さないシラタマ。腹まわりがふっくらと太った茶トラのブチローで、首元には人間がつけてくれた赤い鈴が小さく鳴っている。目つきが鋭く、耳先が少し欠けている三毛猫のミケコは、いつもより緊張感を帯びた表情で周囲を見回している。前足に傷が残る茶トラのトラキチは、石の上に爪を立ててカチカチと音を立てている。そして、白と茶のハチワレ模様で、いつも理屈ばかり並べるハチベエが、前足を組んで真剣な面持ちでゴンザを見ていた。


その輪の外側、石灯籠の陰に丸くなって縮こまっているのが、できればこんな議場に足を踏み入れたくなかったみゅいだった。薄い灰色の毛をまとったみゅいは、細い尻尾を体のまわりに巻きつけ、こっそりと口を大きく開けてあくびをした。朝のひなたでゆっくり昼寝するはずだったのに、ゴンザの尻尾で叩かれて起こされてしまった。


そのとき、境内の端から、ぷるんと丸い体を揺らしながら白に黒ぶちの猫が歩いてきた。丸く太った顔には、張り付けたような笑いがこびりついていて、尻尾を左右にゆっくりと揺らしていた。だが、細めた目の奥だけは、なぜか凍りついたようにちっとも笑っていなかった。


「いやぁ、朝からえらい集まりやなぁ。ここが噂の尻尾会議かいな。ワシ、最近こっち越してきたシャケヤン言います。よろしゅう頼んますわ」


シャケヤンは輪の外側で尻尾を地面に叩き、にこにこと笑いながら挨拶した。ブチローは首をかしげて鈴をカラカラと鳴らした。


「シャケヤン? 鮭が好きなのか?」


「せやせや。シャケはええでぇ。名前にもなっとるしな」


シャケヤンはさらに大きく笑い、前足で鼻をかいた。けれどその鼻先は、なぜか港の方に向いていて、潮風に乗って漂ってくるアジの生臭い匂いを嗅いでいたようだった。


「本日の議題は三つじゃ」


ゴンザが尻尾を一度強く地面に打ち付けると、境内の騒ぎは一瞬静まった。


さすが、ゴンザは、町猫を率いてきた長老である。空気を引き締めるのがうまい。


「ゴホン、えぇーーー。一つ目は魚屋裏の一等ひなたの利用時間。二つ目は観光客による無断なでなで問題。そして――、一番重要な議題はーー。」


一呼吸おいて、ゴンザは皆を見渡した。


「最近、猫に配給する魚が減っておる!」


ゴンザの最後の言葉が雷鳴のごとく猫達に落ちると、境内は一気にざわついた。トラキチが爪を石にガリガリと立てて立ち上がった。


「減ってるどころじゃねぇ!」


トラキチの怒声が境内に響き渡る。


「昨日の魚は、いつもの半分しかなかったぞ。魚は力で獲るはいつも気分次第で、くれるかどうかなんてわかったもんじゃねぇ。だから猫仲間で協力して人間から奪うんだ!」


「まあ、野蛮ですこと」


シラタマが優雅に尻尾を揺らし、前足で毛をなでた。


「それより、これからは印象戦略ですわ。人間に可愛がられる猫が、多くの魚を獲得する。当然の市場原理です。私たちが可愛く振る舞えば、人間は自然と魚を与えてくれるのですわ。」


「市場原理ってなんや。焼いたらうまいんか?」


シャケヤンがすかさず口を挟み、真顔で聞いた。猫たちの中にも小さな笑い声が上がった。


「食べれません」


ハチベエが眼鏡のような模様の目を細めて真面目に即答する。


「なんや、ほな役に立たんなぁ」


シャケヤンは神妙な顔つきで言った。


「さっきブチ兄も同じこと言ってた」


みゅいが石灯籠の陰からぼそっと言うと、ブチローは、なぜか誇らしげに胸を張って鈴をカラカラと鳴らした。


ゴンザは片目で騒ぎを見下ろし、尻尾を再び鳴らした。


「魚が減れば、人間から魚をもらえず、猫が荒れる。猫が荒れれば、人間に目をつけられる。そうなれば、人間との抗争に発展するかもしれん。ひなたでポカポカお昼寝もできなくなるだろう。」


「つまり、漁獲量減少は政治問題、お昼寝問題だということです」


ハチベエが前足を揃えて、猫の「気を付け」の姿勢で真面目に言った。


「昼寝が政治って、猫社会終わってへんか?」


シャケヤンが大きく笑い、猫たちも一斉に笑い出した。だが、ミケコだけはその笑顔をじっと見ていて、目の奥に疑問のような光が宿っていた。


シャケヤンは輪の中にするりと入るのがうまかった。関西弁で適当に突っ込み、腹を揺らして大きく笑い、誰の敵にも見えないように振る舞っていた。けれど、話が魚不足になるたび、ほんの一瞬だけ、細めた目の奥が鋭く光り、周囲の猫たちの様子を観察していた。


「で、ゴンザの大将。あんた、どうするんや?このまま魚が減り続けたら、町の猫たちは飢え死にするぞ」


シャケヤンが笑いをやめて、真剣な顔でゴンザに問いかけた。


ゴンザはゆっくりと賽銭箱の上から立ち上がり、体を伸ばしてから周囲の猫たちを見回した。


「わしは長く、この町内会を預かってきた。だが、そろそろ次の猫に任せる時じゃ」


一瞬、線香の煙まで止まったような沈黙が境内に広がった。猫たちは皆、息をのんでゴンザの顔を見つめていた。


「次の会長を、選挙で決める」


ゴンザの言葉が落ちると、境内は一気に爆発した。


「選挙ですって?いきなり何を言ってるの!」


「魚配給権はどうなる!会長になったら魚を優先的にもらえるのか?」


「一等ひなたの優先順位は!私が一番早く来たのに、毎回トラキチに追い出されるんだ!」


「毛並み税の見直しを要求する!長毛の猫は毛が落ちるから、税を減らすべきだ!」


「なんやなんや、急に人間の町議会みたいになってきたで!猫が選挙なんてするんか!」


シャケヤンが笑いながら周囲の騒ぎを煽っていた。だが、その視線はちらりとみゅいの方向をかすめ、一瞬だけ鋭くなった。


「ほな、魚をよう動かしてる猫が有利なんちゃうか?毎朝、源さんの魚屋から魚をもらってるみゅいはんは、候補として最適やないか?」


シャケヤンの言葉で猫たちの視線が一斉にみゅいの方向に集まった。みゅいは耳を伏せて体をさらに縮こませ、尻尾を顔の前にかざした。


「え。あたし? あたしは源さんが落とした魚を拾ってるだけ。故意に魚をもらってるわけじゃないんだから」


「毎朝、都合よく落ちる魚をね。そんな偶然が毎日続くわけがないでしょう」


シラタマが涼しい顔で言い、尻尾をゆっくりと揺らした。


「それは源さんの手元がゆるいから。あたしは何もしてないんだから」


「人間の手元までゆるませる技術を、普通は政治力と呼びます。あなたは自分でも気づいていないだけで、すでに強大な政治の力を持っているのです」


ハチベエが揃えて真面目に言った。


(呼ばないで。そんな重い名前つけないで。あたしただ昼寝したいだけなんだから)


みゅいは、心の中でひとりごちた。


「でもさ、猫会長なら、一番上品で毛づくろいのうまいシラタマがいいんじゃないの?」


みゅいは顎をしゃくってシラタマをみた。


一瞬、皆の視線がシラタマに移る。


みゅいは、同時にそろりと後ろに、一歩一歩、後ずさった。神社裏の細道には枯れた杉の葉が厚く積もっていて、踏むとカサカサと乾いた音がする。石垣の隙間を抜ければ、すぐに魚屋裏のひなたに逃げられる。責任とか、会長とか、そんな重い言葉は、ひなたで昼寝することを邪魔するだけだ。


「よし、帰ろっ」


みゅいがそう呟いて細道に足を踏み入れた瞬間、ミケコの声が背後から響いた。


「灰色のお嬢ちゃん。逃げ足だけは一等だね。だが、今回は逃げられないよ」


ブチローも石灯籠の陰から顔を出し、鈴をカラカラと鳴らした。


「みゅい、会長になったら魚増えるか?もし増えるなら、俺も投票するよ」


「ならない。むしろ面倒が増える。会長になったら、議事録を書いたり、猫たちのトラブルを解決したりしなきゃいけないんだから」


ハチベエが眼鏡模様の目を細めて真面目に続ける。


「しかし推薦猫数はすでに基準値を越えています。すでに十匹以上の猫がみゅいさんを候補に推薦しているのですから。」


「勝手に推さないで。あたしは絶対に候補にならないんだからっ!」


みゅいがさらに後ろに退くと、シャケヤンがにこにこしながら細道の出口をふさいだ。丸い体を前に出して、みゅいの逃げ道を完全に塞いだ。


「まぁまぁ、みゅいはん。逃げる猫ほど、追いかけがいがあるっちゅうもんや。知ってはるやろ?猫の修正やで? それに、会長になってみたら、意外と楽しいかもしれんでぇ。」


「その言い方、なんか嫌。あなたは何か企んでるんじゃないの?」


「気のせいやて。ワシもみゅいはんが適任やと思てるだけやん。」


シャケヤンは大きく笑い、腹を揺らした。けれど、その目の奥はやはり笑っていなくて、凍りついたような冷たい光を放っていた。


賽銭箱の上から、ゴンザの声が落ちてきた。


「みゅい。おぬしも候補の一匹じゃ。おぬしが持っている猫政治力は、この町の猫たちに必要なんだ。逃げるな」


ゴンザの言葉が耳に入ると、みゅいの尻尾がぴんと立った。薄い灰色の毛が一瞬逆立ち、ぶるっと体が震えた。


「……絶対、やらないからね。あたしはただ昼寝して魚を食べるだけの猫なんだから」


そう言った瞬間、猫たちはなぜか「見込みあり」とでも言いたげに、一斉に尻尾を立ててた。境内にはカシャカシャという尻尾の鳴り声が響き渡り、線香の煙がその音に乗って舞い上がった。


シャケヤンだけが、港の方を見て小さくつぶやいた。その声は小さく、潮風に乗ってすぐに消えてしまった。


「アジの大群が来る前に、ええ具合に荒れてくれたら助かるわ。この町の猫たちが混乱している間に、ワシたちが魚を全部奪えるんだ」


潮風が杉の葉を揺らし、木漏れ日が地面の光の斑点を動かした。みゅいは細道の出口を塞ぐシャケヤンの顔を見つめ、不安な気持ちが胸に広がっていた。

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