港の朝は、魚と猫と怒鳴り声で始まる
潮鳴町の一日は、魚の匂いと漁師たちの怒鳴り声で幕を開ける。野良猫みゅいは、魚屋の源さんとの絶妙な攻防を繰り広げながら、今日もちゃっかり魚を“調達”する。だが、いつもの平和な朝の裏で、にこにこ笑う茶白猫シャケヤンが静かに姿を現す。猫社会を揺るがす騒動は、まだ誰にも気づかれない小さな違和感から始まっていた。。。のです。
潮鳴町の朝は、目覚まし時計より先に漁師たちの活気ある声で始まる。
「上げろ上げろ! 今朝のアジは跳ねがいいぞ!」
「サバ、箱こっちだ! 氷足りねぇ、早くしろ!」
まだ太陽が海の端から顔を出す前、漁港の岸壁には銀色の魚が次々と並べられていく。
濡れたコンクリートに氷水が流れ、木箱がぶつかる乾いた音と、カモメのぎゃあぎゃあ鳴く声が混ざっていた。
その騒ぎを、魚市場の屋根の上から見下ろしている猫がいた。
灰色と白のまだら模様。尻尾の先だけ白い。丸い目を半分だけ開けた野良猫、みゅいである。
「今日の大地、動きが遅い。昨日より眠そう。つまり、魚箱の見張りが甘い」
みゅいは小さく鼻を鳴らした。
せり場では、漁師たちと買い手の声が飛び交っている。
「このアジ、身が厚いぞ! トロで三千五百!」
「四千!」
「四千二百!」
「源さん、どうする!」
魚屋の源さんが、白い前掛けを揺らして腕を組んだ。
「五千! うちの客に半端な魚は出せねぇんだよ!」
「出たよ、源さんの見栄っ張り値段!」
「うるせぇ! 魚を見る目ってのはな、金じゃねぇ、意地だ!」
人間たちは笑い、魚は氷の上で朝日に光りはじめる。みゅいには、せりの細かい数字などどうでもよかった。重要なのは、源さんがいい魚を競り落とした日ほど、切れ端も上等になるという事実である。
やがて源さんは、買い取った魚を台車に積んで朝市通りの店へ戻った。みゅいは屋根から塀へ、塀から木箱へ、音もなく移動する。足裏に残る朝露の冷たさが気持ちいい。
源さんの店先には、もう客が集まっていた。
「源さん、今日は何がいい?」
「アジだな。目が違う。見ろ、この腹!」
源さんが包丁を握る。まな板に魚が乗る。その瞬間、みゅいは店先へするりと現れた。
「みゃ」
源さんの眉がぴくりと動く。
「出たな、泥棒猫」
みゅいは前足をそろえ、首を三十二度傾けた。観光客なら三秒で陥落する角度である。
「みゃあ……」
「だめだ。今日はやらねぇ」
そう言いながら、源さんの手元からアジの切れ端が木箱の端へ落ちた。
偶然。
もちろん、偶然。
みゅいは一瞬でくわえた。
「こらっ! また盗みやがったな!」
源さんの怒鳴り声に、朝市の客が笑う。みゅいは逃げながら振り返り、申し訳なさそうな顔をした。実際には、次に落ちそうなサバの位置を確認していただけだった。
魚屋裏では、ブチローとチビスケが待っていた。
「遅いぞ、みゅい」
「源さんの演技が長かったの」
みゅいはアジを置く。チビスケには柔らかい身を少し。ブチローには大きく見える骨多めの部分。自分は脂の乗った端をくわえた。
「みゅい姉ちゃん、今日も勝ったね!」
「勝ったんじゃない。源さんが負けたがってるの」
そのとき、港の空でカモメが低く鳴いた。ぎゃあ、と笑うような声だった。
みゅいは耳を立てる。
魚の匂い。潮の匂い。人間たちの声。いつもの朝。
けれど、その中にほんの少しだけ、面倒ごとの匂いが混じっていた。




