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死者の味、生者の糧

なんだかんだで投稿を続けています。初めてですので矛盾はお許しください。

村の境界線を越えてから数日、街道は深い森へと飲み込まれていた。


 夕闇が迫る中、俺たちは道端のわずかな開けた場所を今夜の野営地と決めた。こうした野宿の冷え込みを骨の髄まで伝えてくるが、俺は休む間もなく動き始めた。

 火を熾し、あり合わせの食材を前にする。道中で摘んだ野草と、村で買った干し肉、それに数個のしなびた根菜。


 村では調理用のナイフも買った。

(完全な衝動買いだったが、これも業のせいなのか。だがないと不便だしな。)


俺が腰のナイフを抜き、

根菜に刃を当てた瞬間だった。

(……早い)

 意識するよりも先に、右手が勝手にリズムを刻み始めた。トントントン、と乾いた音が夜の森に響く。

 それは、食堂の店主から「盗んで」しまった記憶だった。彼が数十年、朝から晩まで繰り返してきたであろう包丁捌き。その技術が、持ち主の死によって宙に浮いた「未練」が、俺の指先を借りて現世に再現されているのだ。

 皮を剥き、均一な厚さに切り分け、干し肉を細かく叩く。

 俺自身の過去、記憶は依然として深い霧の向こう側だという他人の人生の断片だけは、こうして鮮明に血肉となって俺を支配している。

「……できた。食べてください」

 木椀に盛られたスープからは、温かな湯気と共に、食欲をそそる香りが立ち上っていた。

 ガレンは松葉杖に寄りかかりながら、一口そのスープを啜り、目を見開いた。

「……おい。村のどの宿で食った飯よりも、これの方が数段マシだぞ」

 老騎士は珍しく感心したように声を漏らし、二口、三口と胃に収めていく。

 だが、俺は自分の分の椀を前に、しばし硬直していた。


「食べないのか」


 覚悟を決め口に含んだ瞬間、鼻腔を抜けるのはただの出汁の匂いではない。男が厨房で汗を流していた熱気、妻と笑い合いながら味見をしていた幸福な日常の「匂い」が、記憶の濁流となって流れ込んでくる。

 腹を満たすための糧が、俺にとっては死者の人生を咀嚼する苦行のように感じられた。


「……どうした、小僧。自分の力作に酔いしれているのか」

「いえ。少し、考え事をしていただけです」


 俺は無理やりスープを飲み下した。喉を通る熱さが、自分がまだ生きていることと、誰かの生を奪ってここに立っていることを同時に突きつけてくる。



 翌朝。朝靄が晴れる前に、ガレンが松葉杖を突きながら俺を呼んだ。


「小僧。昨日のような不手際は、二度と許されん。

ミゼリコルファを抜いたのなら、最期まで全うしろ。

できないなら抜くべきではない。」


 確かに昨日の事故現場での、俺の硬直。ガレンに手を添えられなければ、俺はあそこで「仕事」を全うできずにいたはずだ。


「小僧、剣を抜け。いまから貴様に最低限の護身を叩き込む、剣を振れば少しは迷いも晴れるだろう。」


 鉄剣は、ずっしりと重い。だが、柄を握りしめ、ガレンの前に立った瞬間、奇妙な感覚が背筋を駆け抜けた。

 俺は一歩、右足を前に出す。膝をわずかに曲げ、重心を低く落とす。その動作に迷いはなかった。


(……この感覚、地面を掴むようなこの位置。知っている)


 身体は「重いものを支え、いなす」ための術を記憶していた。

「ほう……。構えだけは一人前だ」

 ガレンが手にした太い樫の枝が、唸りを上げて俺の側頭部を狙う。俺は反射的に剣を立てた。まともに受ければ腕の骨が折れる衝撃がくるはずだが、俺の身体は無意識に、剣の角度をわずかに傾けていた。

 ――ガギィン!

 衝撃の八割は、剣の腹を滑って地面へと逃げていった。無理に力で押さえつけるのではなく、相手の重みを逃がしながら誘導する感覚。それが今、老騎士の剛腕をいなす「盾」の基礎として機能していた。


「小僧、今のは偶然か? 貴様のその技術、誰に教わった」

「……わかりません。ただ、こう動くのが一番『支えられる』と、身体が言っているんです」


 ガレンは動けないが、彼の放つ枝は、生き物のように急所を突いてくる。俺はそれを、一歩退き、半身を逸らし、あるいは剣の重みを利用して受け流す。


「不倒の盾とは、不動のことではない。敵の悪意を自分の重心から外すことだ。貴様のその『支える癖』、戦場では最強の防御になり得るぞ。(しかし、盾ではない剣の狭い幅で出来るとは…。)


 ガレンの言葉は、霧に包まれた俺の過去を肯定するように響いた。


何度目かの打ち込みをいなしたところで、俺の膝ががくりと折れた。

 全身から噴き出す汗が、安宿の石床に滴り落ちる。心臓は早鐘を打ち、握りしめた鉄剣の柄が滑るほどに掌が湿っていた。


「……そこまでだ、小僧。これ以上は身を壊す」

 ガレンが低く声をかけると同時に、俺は力なく地面にへたり込んだ。鉄剣がカランと乾いた音を立てて転がる。

 ガレンは松葉杖を支えにゆっくりと立ち上がり、不器用な足取りで俺のそばまで歩み寄ってきた。彼は俺の肩に、ゴツゴツとした大きな手を置く。

「貴様、剣を振るっている間……誰を見ていた」

 その問いに、俺は答えられなかった。

 敵の攻撃をいなす瞬間、俺の視界にはガレンではなく、名前も顔も思い出せない「誰か」の輪郭が浮かんでいた。その人物を傷つけないように、それが俺の剣を動かしていた。


「……分かりません。ただ、体が勝手に動いただけです」

「ふん。まあいい。理由がどうあれ、死なないための術は体に染み込んでいる。だがな、小僧」


 ガレンが、腰に下げられた『ミゼリコルディア』を顎でしゃくった。

「その『守るための技術』と、その『奪うための短剣』。いつかその矛盾が貴様を食い殺さぬよう、せいぜい気を引き締めておくことだ」


 俺は黙って、自分の右手を凝視した。


 剣を振るうための「守る癖」は、どこか懐かしく温かい。だが、頭の片隅にこびりついた「食堂の主人の料理技術」は、冷たい異物のように俺の意識を侵食している。

 死者の人生を奪うことでしか強くなれない葬儀師という業。


「……行きましょう。」


 俺は立ち上がり、ガレンの松葉杖を支えるように横に並んだ。

 村の門を抜けた先には、果てしなく続く街道と、まだ見ぬ巨大な街の影が霞んでいる。


「やはり私はもっとまともな仕事で路銀を稼ぎたいですね。人の最期を看取るのではなく、人の生を助けるような、そんな仕事を」


「……選べる立場なら、そうするがいいさ」


 ガレンの乾いた笑い声を背に、俺は奪った「料理の記憶」が混ざる右手を強く握りしめた。俺たちは一歩ずつ、重い足取りを揃えて、次の運命が待つ場所へと歩み出した。

誤字脱字あれば教えてください。

第1章は残り何話になるのだろう。

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