氷晶の核と白銀の崩落
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洞窟の狭い出口から一歩外へ踏み出した瞬間、世界が咆哮を上げた。
ゴオオオオ、と鼓膜を震わせる地鳴りのような風の音。前回、彼らの心をへし折った、あの理不尽な銀世界の再来だった。
大気を青白く染め上げながら、容赦なく押し寄せてくる魔力吹雪の『波』。
「――来るぞ! 身構えろ!」
ガレンが叫ぶ。だが、四人の顔に悲壮感はなかった。
直撃する魔素の激流。しかし、各自の腰に下がった水筒は、外壁を青く凍らせながらも、内側の水を完璧に守り抜いていた。真空の空虚と魔獣の脂が、結晶化の核を絶対に繋がせない。
「水、平気です! 生きてます!」
エイドの鋭い声が響く。
さらに、足元をすくおうとする激しい突風に対し、ガレンが深く雪に足を突き立てた。その背後からエイドがガチリと老騎士の腰を支え、強固な支持脚としてその体勢を完璧に制御する。前回、まともに踏み込むことすらできなかったガレンの足が、強靭な杭となって雪原に固定された。
「ガレンさん、固定完了!」
「上等だァ!」
足場を得た老騎士の背後から、もこもこマントのルゥが鋭く踏み出す。
ボルグ特製の魔導ガントレットがカチリと音を立て、小さなスリットの内部に、山の上の希薄な魔素を強引に凝縮させていく。パチパチと青い火花が爆ぜ――。
――点火。
猛吹雪を真っ向から焼き払うような、圧倒的な爆炎が白銀の世界に炸裂した。
そしてその光が最高潮に達し、遮断された瞬間。激しい明暗のギャップが、生物の目に「偽りの暗闇」を作り出す。その盲点に、黒いインナーを纏ったトトが、最初からそこにいなかったかのように滑り込んでいた。白一色の世界で、トトの輪郭は完全に消失している。
前回、手も足も出ずに敗走させられた霊峰の環境を、四人は完全に、圧倒的な速度でねじ伏せてみせた。
「……はは、ざまあみろ」
ガレンが獰猛に笑う。遠回りだと思ったあの失敗のすべてが、今、不倒の歯車となって理不尽な山を噛み潰していた。
魔力吹雪の第一波を完全に切り抜けた四人は、前回引き返した限界点を越え、未知の上層エリアへと足を踏み入れていた。
エイドは周囲の魔素の流れを感知しながら、ザックから古い地図を取り出す。
「ガレンさん、魔素の密度が、上に行けば行くほど『不自然に一点に集中』しています。……やはり、吹雪の中心に『氷晶石の核』がある」
「なるほどな。そいつが環境制御装置のように機能して、山全体の冷気と魔素を吸い上げ、この狂った吹雪を維持してやがるってわけか」
ガレンが松葉杖を突きながら周囲を睨みつける。
核は単なる高価な鉱物ではない。この霊峰の過酷な環境そのものを支配する「心臓」なのだ。そしてそれは、この山に生きる魔物たちにとっても、絶大な魔力を得られる至高の源泉であるはずだった。
「……気をつけて。魔物の気配が、さっきから一気に濃くなってる」
トトがナイフを低く構え、白一色の斜面の先を睨みつけた。核を求めるのは、人間だけではない。
地響きと共に雪原が爆ぜた。
現れたのは、霊峰の上層を支配する肉食獣――『氷鱗の白虎』。雪と同化した硬質な氷の鱗を全身に纏い、圧倒的な質量と速度で、一瞬にしてエイドたちとの距離を詰めてくる。
「散るな! 陣形を維持しろ!」
ガレンの鋭い大声が飛ぶ。
白虎の巨大な爪が、空気を切り裂いてガレンへと振り下ろされる。ガレンは松葉杖を交差し、その一撃を正面からガチリと受け止めた。凄まじい衝撃波が周囲の雪を吹き飛ばす。
「ぐっ……おおおぉ!」
老騎士の身体が一瞬、力負けして傾きかける。だが、その背後にはすでにエイドが滑り込んでいた。
「させない……!」
エイドは自らの身体をガレンの支持脚として完全に噛み合わせ、その強大な荷重を地面へと逃がす。体勢制御、完了。ガレンの軸は一ミリもブレない。完全に敵の動きをその場に『固定』した。
「ルゥ、最大出力だ!!」
エイドの叫びに呼応し、ルゥがガントレットを白虎の顔面へと突き出す。凝縮された魔素が限界まで高まり、ガントレットのスリットから青白い閃光が立ち昇る。
ドォン!!
至近距離で爆発的な火力が弾けた。白虎の頭部を激しい爆炎が包み込み、猛吹雪の白を紅蓮の赤が強烈に塗りつぶす。
白虎の複眼が、あまりの光量に焼き焦げた。そして――炎の光が、唐突に消失する。
強烈な光の後に訪れる、網膜の補正。生物の目が一瞬だけ作り出してしまう「完全な暗闇」。
その盲点の裏側に、黒い影が完全に同化していた。
(――終わり)
トトの瞳が、冷徹に白虎の喉元を捉える。
逆手に握られたナイフが、明暗のギャップに戸惑う白虎の首皮の隙間、氷鱗の薄い継ぎ目へと正確に突き立てられた。
ザシュッ――!!
鮮血が白銀の雪を汚し、巨大な白虎の身体が、悲鳴を上げる間もなくドサリと崩れ落ちた。
完璧な連携。四人のピースが一つに噛み合った、非の打ち所のない完全な勝利だった。
激戦を終えた四人は、岩壁にひっそりと開いた小さなほら穴へと滑り込んだ。
外の狂ったような猛吹雪が嘘のように、そのほら穴の内部は、じんわりと奇妙な温かさに満ちていた。
「ふぅ……吹雪が無いだけでだいぶ暖かく感じますね。全員、怪我はありませんか?」
エイドは水筒を出し、融点の下がった水を一口含んで息を吐いた。全員、大きな消耗はない。
そして、ほら穴の最奥へと向かったエイドは、ついにそれを見つけた。
岩肌に埋め込まれるようにして、不気味なほど深く、澄んだ青色に煌めく巨大な結晶の塊。霊峰の心臓、そのもの。
「……見つけました。『氷晶石の核』です」
エイドは慎重にタガネをあてがい、ハンマーを振り下ろした。キィン、キィンと硬い音が響き、数度目の打撃で、見事な青い塊がエイドの手へと転がり込んだ。
「採掘完了です。……これで、僕たちの勝ちですね」
エイドが輝く結晶を持ち上げると、ほら穴の中に張り詰めていた緊張感が、一気に霧散した。
「よし! やったじゃねえか!」
ガレンが豪快に笑い、エイドの肩をバシバシと叩く。
「……これで帰れるね」
トトもナイフを鞘に収め、小さく、本当に小さく安堵の息を漏らした。
ルゥはエイドの手に収まった青い結晶の側へと歩み寄り、言葉はなくとも、どこか感慨深そうに、その滑らかな表面へ静かに指先で触れていた。
やり遂げた。エイドの胸を満たしたのは、かつてないほどの深い達成感だった。あれほど理不尽だった山を、自分たちの足と知恵で完全に攻略したのだ。
――だが。
そこで、唐突に違和感が滑り込んできた。
結晶に触れていたルゥが、ふと動きを止め、怪訝そうに首を傾げた。
ルゥはそのまましゃがみ込み、小さな手のひらを、ほら穴の地面へと直接ペタリと這わせる。フードの奥の瞳が、何かを恐怖するように見開かれていく。
「……ルゥ?」
エイドが声をかけた、その瞬間だった。
外から聞こえていたゴォゴォという凄まじい風の音が、嘘のようにピタリと止んだ。
ゴゴゴゴゴ……。
不穏な地鳴りが、足元から響き渡る。
「……小僧」
ガレンの、いつになく低い、冷え切った声がほら穴に響いた。
「え?」
エイドが振り返る。
「この洞窟が、外に比べて『暖かく感じた理由』……ほんとに吹雪が無いだけが理由か、嫌な予感しかしないが」
核を抜いた瞬間、周囲の冷気と魔素を吸い上げていた「環境制御装置」が消えた。
それはつまり、これまで核によって不自然に一点に凝縮され、辛うじて均衡を保っていた周囲の膨大な質量が――一気に解放されることを意味していた
「まさか…。
核が、この空洞そのものを支えていたのか……」
エイドの声が掠れる。
「まずい……崩れる……!」
エイドの顔から血の気が引いていく。
ドゴォォォォォン!!!
凄まじい轟音と共に、ほら穴の入り口の氷壁が完全に崩落した。
数千、数万トンにおよぶ圧倒的な雪と巨大な氷塊の濁流が入り口を容赦なく埋め尽くし、外界の光を完全に遮断していく。
数秒前まで朝陽の差していたほら穴は、今や一筋の光すら届かない。
四人は、霊峰の腹の中へと閉じ込められた。
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次は明後日の予定です。




