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敗走、そして再編

本日3回目の更新です。

「おいおい、ずいぶん早いお帰りじゃないか」

 ロルフが低い声を出し、カウンターから身を乗り出して俺たちのボロ雑巾のような有様を睨みつける。

「霊峰に挑むって鼻息荒く出て行った割には、ずいぶんと手酷くやられた顔だね」

「……悪かったね。少し、山の洗礼が厳しくてさ」

 ガレンが自嘲気味に笑い、松葉杖に体重を預ける。

「笑い事じゃないよ、この馬鹿垂れ!」

 マーサがすかさず、手にしていた布巾をガレンの肩にパシリと叩きつけた。

「あんたはともかく、こんな若い子たちまで引き連れて、凍死するつもりだったのかい!? ほら、みんな, ストーブの側に寄りな。顔が真っ青だよ!」

「すみません、マーサさん。僕たちは大丈夫です」

 エイドが前に出て、二人を宥めるように穏やかに微笑んだ。

「大部屋を一部屋。……それと、凍えた身体に効く温かいスープを人数分、部屋まで持ってきてくれませんか」

「大部屋は大銀貨一枚だ。」

「3泊分お願いします。」

 エイドが受付のカウンターに大銀貨3枚を並べると、ロルフは無言でそれを見つめ、それから不器用な手つきで硬貨を掴み取った。

「……スープはすぐ上まで運ばせる。マーサ、とびきり熱くて濃いやつを作ってやれ。一晩中そこでじっくり膝を突き合わせて、その死んだ魚のようなツラを洗い流してきな」

 大きな鉄の鍵が、カウンターにコトンと置かれた。

 受け取った鍵を握りしめ、エイドは背後の仲間たちを振り返った。

「行きましょう。まずは身体を温めて、それから――反撃の準備です」

 通された大部屋の中央には、頑丈な木製の丸テーブルが据えられていた。まもなくマーサが運んできてくれた、とびきり熱くて濃い特製スープをそれぞれが口に運び、ようやく人心地がついた頃、エイドが静かに切り出した。

「さて。ガレンさんに指揮を預ける以上、僕の仕事は、次の登山で皆さんが『100%の力を出せる環境』をここで完璧に整えることです」

 スープの木椀を置き、エイドは仲間たちの顔を見回した。

「まずは、あの山の上での水と、ルゥの炎の対策だ。これについてはボルグさんの鋳造所へ行こう。あの偏屈で優秀な職人の知恵と技術なら、僕たちの無理難題に必ず答えを出してくれるはずだ」

 エイドは立ち上がり、上着を羽織った。

     *

「――ハァ? 魔力吹雪で水筒が丸ごと結晶化したぁ?」

 ガンガンと金属音が響く鋳造所。ボルグは作業の手を止め、エイドから持ち込まれたカチカチの鉄の水筒を、煤けた手でひっくり返して鼻で笑った。

「そりゃそうだ。外の冷気と魔素の『波』が直で伝わってりゃ、衝撃一発で結晶の核が繋がっちまう。いくら外側を布で包もうが意味ねえよ。熱を通さねえ『完全な断熱』でもしねえ限りな」

「完全な断熱……。ボルグさん、例えば、金属の壁を二重にして、その『隙間の空気』を完全に抜き取った空間を作れませんか? 熱を伝える気体そのものが存在しない、完全な空虚の壁です」

 エイドが前世の記憶――『真空二重構造』の概念を提示した瞬間、ボルグの目が鋭く見開かれた。

「おいおい小僧、言うじゃねえか。内と外の金属を触れ合わせず、間の空気を引き抜いて密閉する……。理屈は通るが、そんな精密な鋳造、並の職人じゃ……。あ?」

 ボルグはふと、何かに思い当たったように顎をさすり、作業場の奥へと歩き出した。

「そういや昔、霊峰に挑んだ採掘隊の遺品が倉庫にあったな。失敗作のガラクタだ」

 ガサゴソと埃っぽい棚の奥を漁り、ボルグが取り出してきたのは、くすんだ鈍色の、妙に分厚く歪な金属製の筒だった。

「これだ。大昔の採掘隊の鍛冶師が『中のスープが絶対に冷めない魔法の筒』とか言って作ろうとして、結局気密が漏れて使い物にならなかった遺物だ。お前の言う通り、こいつは壁が二重になってやがる。……だが小僧、悪いが同じもんは作れねえぞ」

 ボルグは筒の溶接跡を爪でガリガリと引っ掻いた。

「このレベルの精密な二重鋳造をゼロから量産するなんて、今の俺の設備じゃ無理だ。この遺物を補修して、完全に機能するように再調整するのが限界だ。……だが、内部構造だけ真似した気密の甘い『簡易版』なら、手持ちの端材で三本叩き出せる。保温は長持ちしねえが、山を上り詰めるまでの数時間なら十分に耐えるはずだ」

「一本の本物と、三本の簡易版……。十分です! それだけあれば、全員分の水を守り切れます!」

「ふん、なら決まりだ。明日の朝までに全員分仕上げてやるよ。ルゥの『点火補助具』の仕込みと合わせてな!」

 職人の目がギラリと不敵に輝く。

 空気中の魔素密度が低いなら、放出した魔力を強引に一点に凝縮させて点火させるための、小さなスリット付きの魔導ガントレット――ボルグは不機嫌そうに笑いながら、エイドのアイデアをもとに恐ろしい速度で設計図を引き始めた。

     *

 翌朝、ボルグから水筒と魔導ガントレットを受け取り、補給に充てた。

保存食、予備燃料、防寒布、火打石など

山で失った余裕を買い戻す一日だった。

その晩『黒鉄の休らぎ亭』の厨房は、エイドの「実験場」と化していた。

「ほらよ、エイド。言われた通りの魔獣の脂だ。そんなもんスープに入れるんじゃないだろうね?」

 おかみさんのマーサが、怪訝そうな顔で小皿に盛った白い脂を差し出してくれる。

「ありがとうございます、マーサさん。料理じゃなくて、ちょっとした実験です」

 エイドは微笑み、小皿を受け取ると宿の地下へと階段を下りた。

 ロルフに鍵を借りて入ったのは、冬場に切り出した大量の氷をわらで囲って保管している、薄暗くひんやりとした氷室だ。エイドは吐く息が白くなるその空間の片隅に陣取った。

 手に入れたドワーフの『魔法瓶』に水を満たし、そこに微量の魔獣の脂を、かつて咀嚼した「料理の記憶」から導き出した絶妙な配合比率で混ぜ合わせていく。融点を下げ、さらに魔法瓶の真空断熱で冷気を遮断する。二重の対策だ。エイドはそれを、容赦なく氷室の氷の隙間に深く差し込み、一晩放置することにした。

 徹夜の作業を終え、翌朝。

 大部屋に集まったチームの前に、エイドは氷室から引き上げてきたばかりの鈍色の筒を並べた。

「ガレンさん、トト、ルゥ。これが僕たちの新しい『命綱』です」

 エイドが蓋を開け、丸テーブルの上の木椀に水を注ぐ。一晩中、宿で最も冷える氷室の底に沈められていたにもかかわらず、注がれた水は一切結晶化せず、サラサラと澄んだ音を立てて椀を満たした。

 ルゥが「ほう」と感心したように小さな口を開け、じっと水面を見つめている。

「これで少なくとも、前回みたいに数時間で全滅はしないはずです。そしてルゥ、これがボルグさんの特製ガントレットだ。これがあれば、山の上の希薄な魔素でも強引に凝縮して、あなたの炎を点火できる」

 手渡された金属製の腕輪を、ルゥはもこもこマントの袖口から出した細い腕に装着し、嬉しそうに何度もカチカチと動かした。

 最後に、エイドは壁際に佇むトトに視線を向けた。

「トト。白一色の雪原で、あなたの黒い魔獣革のインナーは目立ちすぎる。市場で白い防寒具を調達しようと思ったのですが……」

「……いらないよ」

 トトは静かに首を振った。その瞳には、暗殺者としての明確なプライドが宿っている。

「白を着ても、輪郭でバレる。僕は、ルゥの炎を使う」

「ルゥの炎を?」

 エイドが問い返すと、トトはナイフの刃先で、丸テーブルの上のランプの灯火を指差した。

「強い光が爆ぜて、その光が消える瞬間、人間も魔物も一瞬だけ暗闇を補正しようとする。その瞬間だけ、僕は消える」

 エイドは息を呑み、それから深く納得して笑った。

 環境に合わせるのではない。ルゥの爆炎がもたらす急激な明暗のギャップ――その瞬間、生物の目が「見えない闇」を作り出してしまう生理現象の隙を、トトは突くつもりなのだ。ガレンの言う通り、この少年もまた、とっくに自分の足で戦う覚悟を決めていた。

 了解しました。ガレンさんが前衛を張り、僕がその支持脚となって敵を固定する。そこへルゥが凝縮された大火力を叩き込み、その光が消える瞬間の盲点を突いて、トトが死角から心臓を刺す――。

 脳内で、四人のピースが完璧な陣形として噛み合う。

 大銀貨3枚を払って借りたこの作戦室で、ただの敗残兵だった四人は、理不尽な雪山を叩き潰し、かつて「不倒の盾」と呼ばれた老騎士を再び戦場へと立たせるための、完璧な一つの『歯車』へと生まれ変わっていた。

「よし、全員、面構えが変わったな。明日は休息をして明後日から出発だ。」

 ガレンが松葉杖をコツンと床に突いた。

霊峰への再挑戦。その資格を得るための準備は、ようやく整った。

誤字脱字と因果関係に違和感あれば教えてください。

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