重たい鉄の扉
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翌朝。早朝に日課の『負荷石』をつけたトレーニングを行ったあと、『負荷石』を外しエイドはガレンに教わった『魔力循環』を意識し、体内に熱い息吹を感じながら街の教会へと足を運んでいた。
霊峰への遠征を前に、宿代の精算やこれまでの雑費を整理したところ、手持ちの金貨や銀貨に端数が出ていた。エイドはそれらの小銭を有効に使おうと考えていた。
「おや、エイドさん。朝早くから熱心なことですね」
声をかけてきたのは、以前面識のあった年配の神官だった。エイドは一礼し、まずは気になっていた「宿の件」を切り出す。
「神官様、実は少しご相談が。お世話になっている宿の名物『黒鉄の煮込み』が、聖水不足で出せなくなっていると聞きまして……。教会での聖水の融通は、やはり今、厳しいのでしょうか」
「ああ、あの宿の煮込みですね。……実は、魔物の活性化の影響で、儀式に使う聖水の消費が激しく、一般の飲食店にまで回す余裕がないのです。神殿の許可なく、安易に製法を広めるわけにもいきませんからな……」
「(やっぱり、僕が勝気に作って渡すのはリスクが高すぎるな。神殿の許可か……)」
エイドは小さく頷き、懐から少しだけ、寄付とは別の金貨を差し出した。
「では、これは『聖水の優先供給に関する正式な請願』のための寄付金として。少しでも早く、あの宿に聖水が届くよう、手配をお願いできませんか。あと魔法の練習のためにこちらで聖水を作らせてもらうことはできますか」
「おや……そこまでしていただけるなら、次の配分時に考慮いたしましょう。あなたの敬虔な心に感謝します」
神官は嬉しそうに金貨を受け取った。これで、滞在が伸びても女将さんへの恩返しだけではなく、恩も売れるだろう。
話が一段落したところで、エイドはもう一つ、気になっていたことを尋ねた。
「……神官様。先日この街を出発する前にロイドさんとこの教会ですれ違ったのですが。聖水を買われていましたでしょうか。」
神官は驚いたように目を見張り、それから静かに、どこかいたたまれない様子で首を振った。
「いえ、あの御方は……出発の直前、孤児院への寄付と、懺悔室に入り、神の前でただひたすらに、痛切な後悔と、恐ろしいほどの覚悟を吐き出していかれました」
「後悔、と……覚悟、ですか?」
「ええ。守秘義務がありますので具体的な名前は伏せますが、あの御方は、ある一人の人物との出会いについて、血を吐くような声でこう悔やんでおられたのです」
神官は、思い出すだけでも身震いすると言わんばかりに、声を極限まで潜めた。
「『彼ともっと早く出会えなかったのでしょうか。彼がいれば、俺たちの食事の問題も解決できたかもしれない。そうすれば……俺は、悪事に手を出さなかったのかもしれない……。だが、もう手遅れです』――と。神の救いではなく、もっと早く訪れるべきだった人との出会いを、あれほど切なく、痛切に悔やむ声を私は初めて聞きました。ですが……」
エイドの瞳に、厳かな戦慄が走る。神官は話を続けた。
「自らの犯した罪も、手遅れになった人生も、これから進む血塗られた道も、全てを一人で背負って生きるという、あまりにも悲壮な眼差しをしておりました。あれは懺悔などではなく、自らの業と心中する男の、退路を断った祈りでした」
「…………」
エイドは声が出なかった。心臓がドクンと大きく跳ねる。
ロイドが悔やんでいた「彼」の正体。食事の問題を解決し、悪事に手を染めずに済んだかもしれない知恵を持った男。それが、自分――元いた世界を活かし、スジ肉や内臓など今まで捨てられていた食材を使って、料理をした。おそらく自分のことに他ならないと、エイドにはハッキリと分かった。
もし、もっと早く出会っていれば。
しかし、それはもう届かない、たらればの未来。
激しい後悔を抱えながらも、弱音を振り切るように「血の海を進む」と決意し、手遅れの覚悟を背負って旅立ったロイドの生き様が、エイドの胸に重く、深く突き刺さる。
「……貴重なお話を、ありがとうございました」
エイドは神官に静かに礼を言い、教会の厳かな空気の余韻を残したまま、建物を後にした。
午後。エイドはギルドの前で待たせていたトトと合流し、ファキオの西区へと向かった。
華やかな中央通りとは打って変わり、石造りの建物が灰色にくすんで見える、独特の重苦しさが漂う区画だ。その一角に、ひときわ頑丈な鉄の扉を持つ、窓の少ない大きな商館があった。
「ここだね。ファキオでも一番大きな奴隷商『ラザール商館』。エイド、本当にいいの? 迷いがあるなら、ボクが夜闇に紛れて、どっかの魔術師を『脅して』連れてきてもいいんだよ?」
トトが冗談めかして(半分本気のような目で)ナイフの柄を叩く。
「……いや、それは犯罪ですから止めましょう。女将さんにも言われました。僕たちが生き残るため、そして、あそこにいる誰かを結果的に救うためです。行きましょう」
エイドが意を決して重い鉄のノッカーを鳴らし、挨拶をした。
「すいません。ギルドから紹介されて来たのですが…。」
小さな覗き窓が開き、やがてギィと重々しい音を立てて扉が開いた。
案内された応接室は、外観とは裏腹に、悪趣味なほど豪華な絨毯や調度品で飾られている。
現れたのは、仕立ての良い衣服に身を包んだ、恰幅のいい商人――ラザール。彼はエイドの身なりを一瞥し、値踏みするような目を向けた。
「おや、若いお客様ですね。ギルドの受付からの紹介とお聞きしましたが……本日は、どのような『商品』をお求めで?」
「霊峰への遠征に同行できる、確かな腕を持った『魔術師』を探しています。戦闘奴隷、あるいは元冒険者の犯罪奴隷で、前衛の援護ができる者を」
エイドが淀みなく、徹底してビジネスライクな口調で告げると、ラザールはニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「ほう、霊峰ですか! そいつは命がいくつあっても足りない。文句を言わず、裏切らない戦力が必要不可欠だ……。よろしい、ちょうど昨日、素晴らしい『訳あり』が入荷したばかりでしてね。少々プライスは張りますが、お目にか留まるかと」
ラザールがパチンと指を鳴らす。
応接室の奥の扉が開き、重い鉄格子の向こうから、一人の人物が連れてこられた――。
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