正午の渓谷
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二日目の午前、二台の馬車は予定通りの行程を消化し、今回の輸送任務における最大の難所、『深い渓谷』へと差し掛かっていた。
昨日までの見通しの良い平坦な街道とは一変し、左右を切り立った巨大な岩壁に挟まれた、薄暗い悪路が続く。長い年月をかけて風雨に削られたであろう剥き出しの岩肌は、まるで侵入者を拒むかのように両側から覆いかぶさり、強烈な圧迫感を放っている。
道幅は馬車がすれ違うのがやっとの狭さで、車輪が転がるたびにゴトゴトと不気味な衝撃が床板を通じて伝わってきた。崖の隙間を吹き抜ける風の音が、まるで誰かの煤り泣きのようにヒューヒューと岩肌を叩いている。
激しく揺れる第二馬車の車内で、エイドは懐にある水瓶の重みをそっと確かめていた。昨夜、セリアに隠れて『サナファン』を注ぎ込んだ、お手製の高純度聖水だ。
(セリアさんには『もう少し慎重になりなさい』って釘を刺されちゃったけど……念には念にだな。不測の事態の備えはしておくに越したことはない。)
エイドは頭の中で昨夜教わった魔法の本質を反芻していた。『無詠唱』のシミュレーション、イメージが全てだからこそ、自分の中で『浄化』と『癒やし』のイメージをしていく。ゲームでのHPが増えたり減ったりするのではなく、どちらかというと手術など生々しいものを想像することにした。
そんなエイドの様子を、隣に座るガレンが見逃さなかった。腕を組み、太い指を不自然に動かしながら、地響きのような低い声で問いかけてくる。
「おい、小僧」
「はい、何ですか?」
「お前、この地形をよく見てみろ。――もしお前が、この馬車を狙う『襲撃者』側の大将だったとしたら、どこで、どうやって俺たちを襲う?」
突飛な問い掛けだったが、ガレンの瞳は完全に真剣だった。エイドは居住まいを正し、小さく息を吸ってから窓の外の切り立った崖と、前方を進む第一馬車の動線へと視線を走らせる。
元いた世界での漫画やアニメ、時代劇などを思い出しながら答えた。
「……僕が襲撃者なら、まず前方の道を完全に塞ぎます。この狭い一本道なら、崖の上から大きめの岩を数個落とすだけで、馬車の進行を完全に止めることができる。そして先頭の第一馬車を足止めすると同時に、後方にも同様に岩を落とし、僕たちが乗る第二馬車ごと完全に退路を断ちますね。可能なら間にも岩を落として、第一馬車と第二馬車を分断します」
ガレンは何も言わず、ただ先を促すように片眉を上げた。エイドはさらに言葉を続ける。
「前後の動きを封じて閉じ込めたら、次は左右の崖の上から弓や魔法で一方的に狙撃します。狙うのは、馬車から降りてくるであろう前衛のガルバさんやロイドさん。彼らを真っ先に無力化し、機動力のある斥候のトトさんも射程に収めるでしょう。……そうして、僕たちが一番動けない状態になったところで、上から一気に本隊を雪崩れ込ませます。ここなら隠れる場所もないですし、馬車を盾にするしかない僕たちは、完全にすり鉢の底のネズミです。僕が仕掛ける側なら、確実にここで全滅を狙いますね」
エイドが淀みなく答えると、ガレンはフンと鼻を鳴らした。
「まともな戦術だな。だが、今の太陽の位置を見てみろ。ロイドの野郎は『正午なら影がなくて見通しが良いから安全だ』と言って、あえてこの時間にここを通る日程を組んだ。その点についてはどう思う?」
「確かに、正午の今なら崖の上からの視界は良好で、私たちからは逆光になり、襲撃者を狙いにくいと思います。襲撃者側は『遮蔽物の影に隠れる僕たちの姿が一番よく見える時間』でもあります。ただ、ロイドさんは経験豊富なプロのベテランですし、何か僕には分からない別の意図があるのかもしれませんが……」
「じゃあ小僧ならどの時間に進む」
深く考えてエイドは
「あえての夜間でいきます。馬なら私たちより多少夜の目も大丈夫でしょうし、きっとトトさんなら夜間でもなんとかしてくれます。それにできるかわかりませんが、魔法で違う場所を明るくして襲撃者を勘違いさせますかね」
トトが馬を操りながら
「信用してくれてありがとねー。だけど今回この時間で行くのは荷台が頑丈に魔法で防御されているからなんだよ。普段なら俺たちもエイドみたいに夜間にすると思うよ」
逆算を聞いたガレンの瞳の奥には、獰猛な光が灯っていた。
「上出来だ、小僧。自分の持ち場をきっちり見てるじゃねえか。それで十分だ。それにトトよ、荷台なんぞ魔法なんてかかっていようが奪われたら結果的には意味がないぞ。俺が襲撃者なら安心して攻撃しまくるがな。」
トトはその言葉を聞いてギョッとした顔をしながら緊張感を高めていた。
やがて、太陽が頭上からまっすぐ渓谷の底を照らし出す『正午』の刻がやってきた。崖の影が最も短くなり、渓谷全体が眩い陽光に包まれる。
ちょうど一番道幅が狭く、見通しの悪いエリアに差し掛かったところで、先頭を走る第一馬車が静かに停止した。御者席から軽やかに下りてきたロイドが、ガルバに向かって声をかける。
「ガルバ、ここで一度馬車を止める。ここがこの迂回路で最も危険なポイントだ。だが、正午の今なら崖の上の死角も一番少ない。今のうちに、車輪の軸と荷物の固定と魔法に緩みがないか、最終点検をしておきたい。後半の悪路で荷崩れを起こしたら目も当てられんからな」
「なるほど、一番明るい時間に済ませちまうのは合理的だな! よし、各自さっさと点検しろ!」
ガルバの快活な指示が飛び、『鉄の牙』の面々がそれぞれの馬車の点検を始める。エイドも「僕も第二馬車の荷物を確認してきます」と、与えられた輸送役としての仕事を果たすべく、馬車の後部へと回ろうとしたときガレンが呼び止めた。
「小僧、お前魔素の揺らぎで索敵の仕方を森で教えてもらったろう。気絶してもかまわねぇから全力で索敵しろ。あとすぐ動けるように魔力も循環させろ」
「えっ。」
「いいから早くしろ」
ロイドの提示した提案は、どこからどう見ても完璧に合理的で、仲間と荷物の安全を最優先に考えたプロの判断そのものだった。
(……ん?)
魔力循環と同時に行うことにより、より広範囲で魔素の揺らぎを見つけることができた。
崖の上の方に複数の魔素の揺らぎが見える。
魔力循環の効果なのか気配も驚くほどに敏感に捉える。
不自然に途切れた鳥の声。
風の音に混じる、微かな金属の擦れ合う音。
そして、岩肌の向こうから伝わってくる、じっと息を潜めた複数の『嫌な気配』
それは野生の魔物の不規則な気配ではない。完全に統率され、配置につき、今まさに引き金を引こうとしている「人間の集団」の気配だった。場所は――先ほどエイドがシミュレーションした通り、左右の崖の上。
(本当に……待ち伏せがいる!?)
エイドがハッとして周囲を見回すと、馬車の陰にいたガレンと一瞬、視線が交差した。ガレンはすでにニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、盾にそっと手をかけている。ガレンは最初から、この展開をすべて分かっていたのだ。
「ガレンさん、このもう少し先の崖の上と岩肌が怪しいです」
「そうか。引き続き索敵してろ、怪しいと思ったら報告だけしろ」
点検を終えて再び、2台の馬車はゆっくりと進み出した。
魔素の揺らぎが近づくにつれてはっきりと見える。
ロイドが急にガルバたちの位置から不自然に距離を取り、崖の上に向けて、小さく右手を上げるような奇妙な仕草を見せた。
――次の瞬間。
渓谷の静寂を木端微塵に切り裂くように、崖の上からドォン!! と凄まじい地響きが鳴り響いた。
大気を震わせる爆音とともに、巨大な落石が街道の前後に猛烈な勢いで降り注ぐ。
「なっ……奇襲だァーーーッ!!」
ガルバの怒号が渓谷に響き渡る。ロイドが指定した『正午の渓谷』で、ついに運命の戦いの幕が切って落とされた。
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