鉄の轍
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『黒鉄の休らぎ亭』に戻る前に、エイドは市場へと足を運び、旅に必要な塩と香草を仕入れた。部屋に戻って最低限の着替えと荷物の確認を済ませると、女将のマーサへ、今回の依頼のためしばらく宿を離れる旨を伝える。同時に、先払いしている分の銀貨を今後の宿の確保に充ててもらうよう依頼し、集合場所である街の東門へと向かった。
朝霧が徐々に晴れ、薄い陽光が差し込み始めた大通りには、すでに今回の任務で使用する厳重な大型馬車が二台、出発の刻を待っていた。積まれているのは、前回とは比較にならないほどの厳重な魔導封印が施されている。
(今回の中身はアーティファクトと事前に伝えられていたけど、こんなにも厳重にしないといけないのか、だったらガレンさんが護衛として同行も納得だな。
依頼料も大金貨1枚だったし、目標にかなり近づくことができる。頑張ろう)
「おう、エイド! 待ってたぜ」
馬車の脇で愛用の大剣を点検していたガルバが、快活な声を上げた。『鉄の牙』の面々もすでに前衛・後衛それぞれの装備を完璧に整え、独特の緊張感を漂わせている。
そしてその少し後ろ、馬車の影に佇んでいたロイドが、エイドの姿を見てわずかに顎を引いた。
「ロイドさん、先ほどぶりですね。よろしくお願いいたします」
「エイドは、ロイドと朝霧の中デートでもしていたのかい?」
斥候のトトが、いつも通りの軽い調子で話しかけてくる。
「トトさん、今回もお願いします。いえ、教会でたまたまお会いしただけですよ」
「そっかー。ロイドは孤児院出身だもんねー。また寄付をしに行ってたのかい?」
(ん……? ロイドさんはさっき、僕に『聖水を買いに来た』と言っていた。どうして寄付のことを隠して、わざわざ嘘をついたんだろう?)
エイドの胸に、小さな疑問の種が落ちる。それを深く考える間もなく、東門の影から地響きのような重い足音が近づいてきた。
「おい、小僧ども。だらだら喋ってねえで、さっさと乗り込みやがれ」
背中に巨大な大剣を背負ったガレンが、圧倒的な威圧感を放ちながら現れた。彼はガルバに向き直ると、顎をしゃくる。
「ガルバ、編成はどうする。俺とお前は別の馬車に離れるとして、残りの組み分けを決めろ」
「了解だ。先頭の第一馬車は俺とロイド、セリアだ。後ろの第二馬車にガレン、トト、エイドが入ってくれ。――よし、それでは出発する! 全員、位置につけ!」
ガルバの号令とともに、御者が鋭く鞭を振るう。
御者の威勢の良い声と、荒々しい馬のいななきが響き渡り、二台の大型馬車はゆっくりと東門をくぐり抜けた。ガタゴトと規則正しく揺れる車輪の音が、これからはじまる危険な旅路の幕開けを告げていた。
街を出て三時間ほどが経過し、馬車は街道沿いの休息所に到着した。
小休止の間、ガルバは周囲の街道状況を確認しながら、ひび割れた木箱の上に一枚の古びた羊皮紙の地図を広げていた。
「ガルバさん」
エイドは周囲の地形に鋭い視線を走らせ、警戒を怠らないまま切り出した。
「前回の襲撃という反省を踏まえ、今回のルートと日程を、もう一度僕にも正確に確認させてください。特に、伏撃に遭いやすいポイントや、日没時の宿営地について、全員の認識を完全に一致させておきたいです」
「お、言うようになったな、Cランク。それに――前回の試験では確認が漏れていたからな。今回も何も言わなかったら、今日は一人で夜の番をさせるつもりだったのに、残念だ」
ガルバはニカッと不敵に笑い、手太い指で地図の一点を指し示した。
「いいぜ。今回の予定はこうだ。全行程は『三日間』。届け先は前回と同じ村だ。今回は最短距離で行く。今日の一日目は、このまま平原の街道を直進する。ここは見通しが良いから、まず奇襲の心配はねえ。問題は……二日目の明日だ」
ガルバの指が、地図上に描かれた細く入り組んだ地形へと移動する。
「ここだ。前回の襲撃地点のすぐ近くにある、見通しの悪い『深い渓谷の迂回路』だ。昨日、土砂崩れがあったらしく本道が使えねえから、どうしてもここを通るしかねえんだが、両側を切り立った崖に囲まれてやがる。もし上から狙撃でもされたら、馬車を守りながら戦うのは至難の業だ」
エイドは地図を凝視し、頭の中でリスクの発生確率を計算していく。
「――それなら、二日目の正午、最も太陽が高く影が薄くなる時間帯に、その渓谷を強行突破する日程にするのが一番リスクが低い」
それまで馬車の壁に寄りかかり、静かに目を閉じていたロイドが、不意に滑らかな口調で口を挟んだ。
「ロイドさん?」
「前回の奇襲があった以上、同じ時間帯、同じような地形での警戒は当然だ」
ロイドは目を開け、極めて合理的で冷徹なプロの視線を地図へと落とした。
「あの渓谷は道が狭く、夜間や朝夕の薄暗い時間帯に入れば、それだけで敵に完全な先手を取られる。だが、正午の太陽が真上にある時間なら、崖の上の死角も減り、こちら側の視界も完全に開ける。馬の速度を最大に保ったまま、一気に駆け抜ける日程を組む。――これが、戦術的に最も生存率が高い」
「……なるほど」
ガルバは腕を組み、深く頷いた。
「確かに、ロイドの言う通りだな。正午の強行突破か。あそこを一番視界が良い時間帯に通り抜けるというのは、もっとも筋が通っている」
ロイドの提案は、プロの冒険者としての経験に裏打ちされた、極めて合理的な戦術だった。
しかし、エイドの胸の奥には、今朝の教会での出来事、そして先ほどのトトの言葉から続く、あの奇妙な『噛み合わない違和感』が、さらに色濃く、不気味な澱となって残った。
ロイドの提案で明日の作戦が決定していく中、第二馬車の最奥でどっかりと腰を下ろしていたガレンは、何も言わずにただ「フン」と鼻を鳴らしただけだった。
ガレンは、深く考え込むエイドの表情と、淡々とプロの顔を崩さないロイドの姿を、じっと見つめている。その瞳の奥には、ギルド長室での密談をすべて知っている側の、恐ろしいほどに冷徹な光が宿っていた。
(やはりそこへ誘導してきたか……)
ガレンは心の中で毒づきながらも、あえてロイドの提案を否定しなかった。ここで騒げば、後ろの黒幕まで一網打尽にするというギルド長の計画が水の泡になるからだ。
「おい、小僧」
休息が終わり、再び動き出した第二馬車の車内で、ガレンは考え込んでいたエイドの頭を大きな手で軽く小突いた。
「はい」
「深刻な面して地図ばかり見てるんじゃねえぞ。外の景色を見てみろ」
ガレンは顎で、激しく揺れる馬車の窓の外を指した。
「街道の砂利、馬の足音、風の抜け方……馬車の揺れからだって、周囲の『気配の起こり』を掴む修行はできる。明日の最難所に行く前に、その鈍った感覚を少しでも研ぎ澄ましておけ。――あと、今回は絶対に『負荷石』を使うな」
「……はい、分かりました!」
(ガレンさんも、いつもより険しい顔をしている。それに『負荷石を使うな』だなんて……。なんとなく、全体の空気がピリピリしている気がする)
エイドは居住まいを正し、窓の外へと視線を向けた。
ロイドが提示した「二日目の正午、渓谷突破」という完璧な行程表。それが、黒幕の待つ罠へのカウントダウンであるとはまだ知らぬまま、エイドはガレンの教えに従い、馬車の振動を通じて周囲の空間へと全神経を集中させていく。
張り詰めた緊張感を乗せたまま、鉄の轍を刻む馬車は、静かに、しかし確実に明日の決戦の地へと向かって進み始めるのだった。
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