慈悲の銘、絶望の味
今回からは2000文字目指して投稿していきます。
夜の帳が下り、焚き火の爆ぜる音だけが森に響いていた。
俺は岩に腰掛け、掌に残るあの不快な「命の残滓」を拭い去るように、何度も何度も布で手を拭いていた。胃の奥にはまだ酸っぱい感覚が居座っており、5年弱のホテル勤務で鍛えたはずの「冷静なポーカーフェイス」も、今夜ばかりは剥がれ落ちそうだった。
「……小僧。その短剣を見せてみろ」
不意に、焚き火の向こう側で膝をさすっていたガレンが口を開いた。
俺は一瞬躊躇したが、腰の鞘から漆黒の短剣を抜き、慎重に彼へと差し出した。焚き火の赤光を吸い込み、刃は不気味なほどに凪いでいる。
「ミゼリコルディア……。葬儀師の正装であり、唯一の友だ」
ガレンは刃に触れることなく、その由来を語り始めた。
「それは、単なる人殺しの道具ではない。かつての戦場では、もはや助からぬ重傷を負った騎士に、せめて苦痛のない最期を与えるために使われた。だからこそ『慈悲』の銘が与えられている」
慈悲。その言葉が、今の俺には酷く滑稽に聞こえた。
あの時、俺の脳内に流れ込んできたゴブリンの「憎悪」と「未練」。あれのどこに、救いなどあったというのか。
「お前は、死の瞬間に奴らが抱いた『想い』を食らったはずだ。それがこの刃の性質であり、葬儀師が背負う業だ」
「……業、ですか」
「そうだ。その短剣が『人間』を、それも死を覚悟した者を貫いたとき……刃は相手の魂の一部――その者が生きた証である『能力』を、葬儀師へと託す。だがな、小僧。それは相手が抱いた『絶望』のすべてを引き受けることでもある」
ガレンの言葉が、冷たく俺の心臓をなでる。
魔物を殺しても何も得られず、ただ不快な感情だけが残る。だが、もし目の前の人間をこの刃で救えば、俺は力を得る代わりに、その人間の人生最後の「絶望」を飲み込まなければならない。
(あまりに理不尽な職業だな、理不尽なんて慣れてると思ったがそんなこともなかったな)
俺はガレンから短剣を受け取った。
「まだ、教えねばならぬことがある。」
ガレンは、この世界の「なりわい」と「理」について、教え諭すように語り始めた。
「この世界では、努力と意思があれば、多くの者が自ら職業を選び、その道に進むことができる。剣を握れば騎士に、杖を持てば魔導士に。魔法とて、魔導書を読めば誰でも覚えることができる。……もっとも、同じ本を読んでも、得られる魔法は人によって千差万別だがな、魔導書にも制約があるが使うことがあればその時に教えてやる」
なるほど、と俺は内心で頷く。
おそらく、職業や本人の適性によって得れる魔法が違うのか。おもしろいがなかなかのギャンブルだな。
制約も気になるが、それはおいおい考えていこう。
こちらが理解しニコニコしているがガレンの声は低くなった。
「だがな……『葬儀師』は違う。それは望んでなれるものではない。死者の未練を浄化し、その絶望をその身に引き受けるだけの『器』――資質を持った者だけに、その運命が下る」
「……選ばれし職、というわけですか」
「聞こえはいいが、さっき体験したようにその実は呪いでもある。普通の人間はな、数年、数十年という年月をかけて、血の滲むような研鑽で『スキル』を積み上げる。わしの持っているスキルのようにな。
……だが葬儀師は、その短剣で死を望む人間を刺すだけで、他人が一生かけて磨き上げた『生きた証』を、一瞬で掠め取ることができてしまう、まるで簒奪者のように」
他人のキャリアを、死に際に丸ごとダウンロードする。いや違うなどちらかというと過酷な現場で人が辞めて無理やり引き継ぎ書を渡される感じだな。
その異常性を、俺の倫理観が強く拒絶した。強くなるために、相手の絶望を受け取らなきゃいけないのか。
「お前は先ほどのゴブリンで、その端片を味わったはずだ。人間から力を奪うのがどれほどの苦しみか、想像に難くあるまい。能力は得られずとも、死の瞬間の負の感情だけは、等しく葬儀師の心を削り取る
だが、必ずしも負の感情だけというわけではない。死を覚悟し受け入れ望む者もいる。そういった者からは負の感情ではない別の何かが流れてくるらしい、あくまでもこれは噂だがな」
俺は震える手で短剣を鞘に叩き込んだ。金属が擦れる音が、まるで誰かの悲鳴のように聞こえて耳を塞ぎたくなる。
俺は左のポケットにある、あの一錠の白い錠剤の輪郭を確かめた。
「ガレンさん」
自分でも驚くほど、枯れた声が出た。
「俺は、あなたを冷たくなんてさせません。スキルも、絶望も、いらない。ただ、明日もあなたがその膝を鳴らしながら歩く姿を、見ていたいだけです」
(やばい、俺史上最高に決まった)
俺の言葉に、ガレンは短く鼻を鳴らした。
それが青臭い理想だと笑われたのか、それとも別の意味があったのか。
ガレンは何も答えず、ただ静かに焚き火を見つめていた。その横顔は、揺れる炎に照らされて、どこか遠い記憶を辿っているようにもみえた。
「明日には町につく、やらねばならないことがいくつかあるからな。今日は早く寝ることだ。」
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