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安らぎの宿

一日あいての更新です。


地下訓練室の張り詰めた空気の中、エイドは長剣の柄を両手でしっかりと握り込み、正対するガレンの巨体を見据えた。

 先ほど外した『負荷石』の重みから解放された両手足は驚くほど軽く、まるで空気そのものを掴んでいるかのような錯覚さえある。しかし、目の前に立つ師・ガレンが放つ圧倒的な威圧感は、その軽快さを一瞬で相殺するほどに重かった。

「いくぞ、エイド。トトから学んだその『技術』、この俺に通用するかどうか、身を以て確かめてみろ」

 ガレンが傍らの大剣を片手で無造作に持ち上げた――その瞬間、エイドの視界が歪むほどの「圧」が室内に満ちた。

 エイドは全神経を両目に集中させる。今朝のワイルドボア戦で見切った、肉体が最大出力を生み出す直前のわずかな『タメ』。筋肉の緊張、重心の沈み込み。それさえ捉えれば、ガレンの初撃であってもその起こりを潰せるはずだった。

(……ない!?)

 エイドの背筋に冷たい戦慄が走った。

 ガレンの身体には、一切の『タメ』が存在しなかった。予備動作も、重心の移動も、視線のブレさえもない。ただ、そこにあったはずの大剣の切っ先が、次の瞬間にはエイドの脳鉄を目がけて音もなく振り下ろされていた。

「――っ!」

 起こりを潰すどころか、反応することすらギリギリだった。エイドは反射的に長剣の腹でその一撃を受け流そうとしたが、大剣から伝わる質量は文字通り山のごとき破壊力だった。

 ギギギ、と金属同士が激しく軋む音が響き、エイドの足が石畳の上を数十センチメートルも後ろへと滑る。負荷石を外した軸足でどうにか踏みとどまったものの、両腕の骨が軋むような衝撃が全身を突き抜けた。

「どうした、エイド。お前が捉えようとしている『起こり』とは、肉体の物理的な動きだけか?」

 ガレンは追撃の手を止め、大剣を肩に担ぎ直して低く笑った。その眼光は、エイドの思考の先を完全に見透かしている。

「トトの奴が教えたのは、あくまで対人における合理的な関節と筋肉のメカニズムだ。だが、本当に戦い慣れた達人や、魔力を体内に内包した高位の存在はな、肉体を動かすより先に『意識(殺気)』や『魔力』が動く。肉体が動いたのを見てから動いているようじゃ、本物の前座にすらなれんぞ」

「意識と、魔力の動き……」

(魔力の動きは索敵の応用か…。)

「そうだ。相手が『斬ろう』と決断したその刹那、体内の魔力や気配が一瞬だけ一点に収束する。お前が本当に誰も殺さずに全てを制したいというワガママを貫くなら、肉体のタメではなく、その『気配の起こり』を潰せるようになれ」

 ガレンの言葉は、エイドの脳裏に鋭く突き刺さった。

 確かに、トトの教えをそのままなぞるだけでは、肉体の構造を超越した強者には通用しない。人間を傷つけず、魔物を一撃で仕留めるという自分のスタイルを完成させるためには、さらに高次元の「先手」が必要なのだと、エイドは深く理解した。

「もう一本だ。今度はお前のすべてを乗せて、俺の気配を止めてみせろ」

「――はい!」

 そこから、訓練室の壁が何度も激しい衝撃音で震えることとなった。エイドは何度もガレンの圧倒的な一撃に弾き飛ばされ、床を転がりながらも、必死に「肉体の先にある気配」を感じ取ろうと立ち上がり続けた。もちろん、今日の段階でそれを掴むことは叶わなかったが、エイドの目には確かな強さが灯っていた。


ギルドでガレンへの報告と訓練を終えたエイドは、先ほど窓口で受け取った護衛の報酬である銀貨15枚の重みをポケットに感じながら、懐かしい街道を歩いていた。

 向かう先は、彼がファキオの街で生活の拠点としている馴染みの宿、『黒鉄の休らぎ亭』だ。

 年季の入った木製の扉を押し開けると、カランカランと心地よい鈴の音が響き、見慣れたフロントと、香ばしい夕食の匂いがエイドを出迎えた。

「おや、エイドじゃないか! 無事に帰ってきたね!」

 カウンターの奥から顔を出したのは、宿の主人であるロルフと、その妻のマーサだった。長旅から戻ったエイドの姿を見て、二人は心底ホッとしたような温かい笑顔を浮かべた。

「はい、ただいま戻りました。ロルフさん、マーサさん。お陰様で良い経験ができました」

 エイドは背負っていた荷物を下ろし、懐から取り出したばかりの銀貨をカウンターの上にカチャカチャと並べた。

「今回の宿泊代です。1日銀貨1枚でしたよね。とりあえず、10日分、前納させてください」

 綺麗に並べられた銀貨10枚を見て、ロルフは目を丸くした。以前までのエイドが、どれほど爪に火をともすようなギリギリの自己管理生活を送っていたかを知っているからこそ、まとまった金を差し出す姿に驚いたのだ。

「ほう、きっちり稼いできたようだな。よし、確かに10日分、銀貨10枚受け取った。部屋はいつもの場所を空けてあるから、ゆっくり休むといい。けど帰ってくるのが早かったからまだ部屋のベットメイクが終わってないから自分でやってくれないかい?今日の晩御飯は無料にしておくからさ」

「ありがとうございます。部屋も空けてくださっていて助かりました。少し部屋で片付けをしてきますね」

 エイドは鍵を受け取り、自分の部屋へと向かった。

 久しぶりに戻ってきた簡素な一室。扉を閉めた瞬間、帰ってきた実感がある。

「よし、まずはベッドメイクからだな」

 旅の疲れもあるはずだったが、エイドは無駄のない動作で動き出した。荷物を機能的に配置し直す。わずか十数分の作業で、ただの宿屋の一室が、自分にとって極上の「安らぎ」を提供する完璧な空間へと変貌した。

「ふぅ……やっぱり、これが落ち着くな」

 完璧に整えられたベッドの端に腰掛け、エイドは深く息を吐き出し、旅の緊張を完全に解きほぐした。

 ――トントン。

 その時、部屋の扉が控えめに叩かれた。

「エイド、入るよ。もう片付けは終わったようだね」

 入ってきたのは、女将のマーサだった。彼女は部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、まるで空気が変わったかのように完璧に整えられた室内の光景に一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに思い出したように真面目な顔をしてエイドを見つめた。

「あんたが旅に出る前、アタシが『戻ってきたら頼みがある』って言ったの、覚えてるかい?」

 エイドは姿勢を正し、マーサの言葉を待った。

「実はね、あんたにどうしても手伝ってほしい『仕事』があるんだ。あんたを見込んでの頼みなんだよ。

また、明日の朝話すから聞いておくれ」

誤字脱字と因果関係に違和感あれば教えてください。

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