夜間と、新しい技術
おはようございます。
更新できました。
翌朝、宿の前に用意された帰還用の馬車の周りは、『鉄の牙』がすでに集まっていた。
数日ぶりに深く、泥のような眠りを貪ったエイドは、万全の体調でロビーへと降りていった。身体の芯に残っていたあの重苦しい疲労感は消え去り、代わりに心地よい充実感が全身を巡っている。
「遅いぞ、エイド。荷の固定の最終確認は済ませたか? 街に戻るまでが『鉄の牙』の依頼だ。一瞬の油断もするなよ。」
昨日から『鉄の牙』のメンバーも素の姿を見せてくれている、もしかしたら初めからそうだったが俺が見えてなかっただけかも知れない。
馬車の荷台を見つめていたロイドが、エイドの姿を認めるなり、ピシッとした硬い声で告げた。その表情には一切の妥協がなく、いかにも規律を重んじる彼らしい。
「あはは、ロイドは朝からしっかりしてるね〜。そんなに眉間にシワ寄せてたら、せっかくのハンサムが台無しだよ?」
馬車の御者台に腰掛け、大きなあくびをしながらトトがひらひらと手を振った。チャラチャラとしたお調子者のノリだ。(ん〰︎?こんなに軽い人だったのか)
「エイド、おはよ。昨日はロイドと暴れたんだって? 羨ましいなぁ」
「トト大丈夫だと思うが、口を動かす暇があるなら周囲の警戒をぬかるなよ」
「はーいはい」
ロイドがフンと鼻を鳴らす。そんな二人のやり取りを見つめながら、ガルバがどっしりとした足取りで歩み寄ってきた。
「全員揃ったな。……出発するぞ」
ガルバの短い号令と共に、馬車がゆっくりと動き出す。馬車の揺れに身を任せながら、エイドはふと隣のセリアを見た。彼女はいつもの皮肉げな笑みを引っ込め、エイドのすっきりとした顔つきを盗み見て、少しだけ満足そうに口元を綻ばせていた。昨日までの焦燥感は、もうどこにもなかった。
行きとは違う道を通っての帰還みたいだ。街への道中、太陽が沈み、一行は街道の脇にある開けた草地で野営を張ることに決めた。
パチパチと音を立てて燃える焚き火の周りで簡単な食事を済ませた後、メンバーはそれぞれのテントへと引き上げていく。
エイドも今回の旅で夜間警備に少し離れてきていた。
冷え込む夜の静寂の中、エイドは『負荷石』をはめて馬車での体をほぐすようにストレッチをおこない、そして自身の身体感覚を確かめるために、焚き火の明かりが届かない影のスペースで、静かに身体をトレーニングしていた。
「よぉエイド、お疲れ。夜の見張りって、退屈で死にそうになるよねぇ」
闇の中から、気配もなくトトがひょっこり姿を現した。足音一つ立てず、まるで最初からそこにいたかのように、手元で小さな小石を弄びながらニヤニヤと笑っている。
「トトさん。……同じ時間帯の担当でしたね」
「そそう。でもさぁ、ただ突っ立ってるのも芸がないじゃん? だからさ、ちょっと面白い『暇つぶし』、教えてあげよっか?」
トトは小石をポイと投げ捨てると、いつも通りの飄々とした、どこか隙だらけに見える構えを取った。だが、その瞳の奥には、昼間の軽薄さとは一線を画す、プロの冒険者としての鋭い光が宿っている。
「昨日、市場でやった『剣を抜かない戦い方』。ロイドの旦那から聞いたよ。誰も傷つけずに場を収めたんだって? 綺麗で格好いいよねぇ」
「……はい。初めてでしたが、剣を抜くのが不安で気付いたら身体一つで戦っていました。自分の技術が、誰かを守るために使えると分かって、少し救われました」
「うんうん、それは良いことだ。……でもさぁ」
トトは人差し指をチッチッチ、と振った。
「君のあの戦い方、無駄に疲れそうだし、ぶっちゃけコスパ最悪だよ。あんな風に、相手が攻撃を完全に繰り出してから綺麗にいなすのってさ、相手が本物の手練れだったら一発かわした後の『二の矢』で詰むからね、あとは魔法とかもそうだけど『いなす』ことのできない攻撃きたら、ね」
エイドは息を呑んだ。まさに市場での戦いで、自分が感じた膠着状態の核心を突かれたからだ。
「じゃあ、どうすれば……」
「簡単だよ。技を出させなきゃいいの。……ちょっと僕に攻撃してみてよ。あ、大きな音は立てないでね? ロイドが起きちゃうから」
トトはニヤニヤしながら、手招きをした。
エイドは小さく頷き、息を殺して距離を詰めた。相手を傷つけないよう、剣は抜かず、素手の掌底でトトの胸元を狙う。
拳を突き出そうとした――。
ドン。
まだ拳が半分も伸びていない、それどころか、エイド自身が「今から技を出す」と脳で判断しただけの瞬間に、トトの手のひらが、エイドの右肩の付け根をポンと軽く叩いた。
それだけだった。しかし、それだけでエイドの踏み込みの力は完全に相殺され、技の軌道は大きくブレて、重心が後ろへと流れてしまった。
「……え?」
エイドは驚愕して目を見開いた。今、何が起きた。
「はい、今『右の拳を出そう』としたでしょ?」
トトはクスクスと笑う。「人間が技を出すときにはね、必ず『起こり』があるんだよ。目線の微細な動き、肩の筋肉のほんの少しの緊張、重心が移動する前の足指の踏み込み。君は真面目だからさぁ、技を出す前の準備がすごく綺麗に教科書通りなんだよね」
トトはエイドの前に回り込み、その細い指先でエイドの胸を突いた。
「技が放たれてから対処するんじゃないの。相手の身体が技を出すための『タメ』を作ったその瞬間に、ほんの少し軸をずらすか、軽い打突を差し込んで、技そのものを“不発”に終わらせる。これが、僕たち索敵担当の……いや、お調子者のズルくて賢い戦い方だよ、あと『タメ』がわかれば避けることも簡単だよ。多分エイドは本能的に『タメ』を見抜いてると思うんだよね、じゃないとそんな簡単に『いなす』ことはできないよ」
相手が「よし、斬るぞ」と脳が命令した瞬間に、その一歩目を封殺する。それならば、剣を抜かなくても、相手は攻撃することすらできずに自滅する。
「綺麗に構え合う必要なんてないわけ。足を踏んづける、服の裾を引っ張る、それだけで技は暴発する。……さあ、もう一回。今度は僕の『起こり』を止めてみなよ」
トトがふわりとステップを踏んだ。
エイドは五感を極限まで研ぎ澄ませた。前夜の深い睡眠のおかげで、脳の処理速度はかつてないほど冴え渡っている。トトの衣服の擦れる音、呼吸の波、そして地面の草がわずかに沈む瞬間――。
(ここだ……!)
トトが一歩前に出ようとした瞬間、エイドの身体が野生の獣のように反応した。トトの左肩がわずかに上がった瞬間を捉え、その鎖骨の下へと、エイドの掌底が吸い込まれるように伸びる。
ピタッ、と、夜の闇の中で二人の動きが止まった。
エイドの掌が、トトの胸元を正確に捉えていた。トトの一歩目は、完全に不発に終わっている。
「うおっ、危な! やっぱりできたね。それをつけたままここまでできたら十分だよ」
トトは一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたが、すぐにいつものお調子者の仮面の下から、本物の達人の笑顔を覗かせた。
二人が静かに、しかし興奮を孕んだ息を乱していると、テントの影から、ひときわ冷徹で硬い気配が近づいてきた。
「……おい。夜間の警備中に何をやっている」
腕を組み、不機嫌そのものの顔をしたロイドが、月明かりの下に立っていた。その背筋は完璧に伸びており、規律を乱す者を絶対に許さないという威圧感がある。
「あちゃー、ロイドに見つかっちゃった」
トトがわざとらしく両手を上げておどける。
「トト、ガルバから確かに言われているが、希少な技術を教える気になったな。だが手合わせに夢中になって索敵を怠るなど、冒険者としてあるまじき失態だぞ」
ロイドの厳しい叱責が飛ぶ。エイドは慌てて背筋を伸ばした。
「すみません、ロイドさん。完全に俺の不徳の致すところです」
「分かればいい。……だが」
ロイドは一度視線を周囲の暗い森へと向け、それからエイドの泥のついた靴元を見た。
「今の技の精度は悪くない。……その技術を磨くこと自体は、生き残るために必要な『成果』に繋がるだろう。トトも教えるならもっと時間を弁えろ」
「はーいはい、ロイドは夜も相変わらずまじめだね」
トトがケラケラと笑い、ロイドはフンとため息をついて再び巡回へと戻っていった。厳しいけれど、エイドの成長のための努力だけは、決して否定しない先輩の優しさがそこにはあった。
「じゃ、お説教も食らったことだし、真面目に見張り番に戻ろっか。……忘れないでね、エイド。君のその抜かぬ剣は、圧倒的な先手があって初めて成り立つんだからさ、抜かないことが全てじゃないことも忘れないでね」
「はい。肝に銘じます、トトさん」
エイドは深く息を吐き、夜の森へと視線を戻した。
手の中に残る、相手の「起こり」を捉えたあの感覚。剣を抜かないという自分のワガママを貫くための、本物の強さの片鱗を、エイドは確かに掴みかけていた
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