市場の喧騒と、守られたもの
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翌朝、町の市場は眩しい朝光と、信じられないほどの活気に包まれていた。
色とりどりの野菜、焼き立てのパンの香ばしい匂い、そして行き交う人々の怒号に似た活気ある声。セリアに「気分転換してきなさい」と言われたものの、宿に一人でこもっているのは余計に気が滅入る。
とりあえず日課のトレーニングをしたが気分は晴れなかった。そう思って足を運んだ市場だったが、エイドの足は無意識のうちに、昨日自分たちが守り抜いた商会の馬車が向かったはずの、中央配給所へと向いていた。
(……あ。無事に届いてるな)
人だかりの向こう、見覚えのある大きな木箱が、馬車から次々と卸されているのが見えた。
そこには、昨日の襲撃で死の恐怖に顔を歪めていた商人が、今度は額に汗を浮かべながらも、どこか誇らしげに町の人々へ食料を小分けにしている姿があった。それを、小さな子供を抱えた母親や、痩せた老人たちが、まるで宝物を受け取るかのように大事そうに懐に抱えていく。
「よかった……これで、今週はまともな食事が作れるわ」
「ああ、あの『鉄の牙』って冒険者たちが命がけで守ってくれたらしいぞ」
風に乗って聞こえてきた町の人々のささやきに、エイドの胸の奥が小さく跳ねた。
彼らの安堵した笑顔という具体的な光景になって、自分の行動がどうあれ、荷物を守ったということが初めてエイドの腑に落ちた気がした。自分がしたことは無意味ではなかったのだ、と。
だが、その平穏な光景を切り裂くように、配給所の前方で荒々しい怒号が響き渡った。
「おい、どけ! 俺たちが先だ! こんな端た金で、その上等な麦を全部こっちに引き渡せ!」
列を強引に押し退け、数人の男たちが商人に詰め寄っていた。泥に汚れた革鎧、粗末な短剣を腰にぶら下げた、タチの悪いゴロツキの集団だった。おそらく、この町の裏通りを根城にしている浮浪児の元締めか、あるいは昨日の盗賊団の残党の類だろう。
男の一人が、食料を受け取ろうとしていた老婆を乱暴に突き飛ばした。老婆が地面に転がり、籠からこぼれたわずかな小麦が泥にまみれる。
「ひっ……!」
「文句があるなら衛兵を呼ぶんだな! 間に合えばの話だがよ!」
商人が怯え、周囲の町人たちが一歩、また一歩と恐怖で後退していく。
その光景を見た瞬間――エイドの身体は、思考よりも先に『負荷石』を外し、地を蹴っていた。
昨日、あれほど「人を斬る恐怖」に足をすくませ、自分の甘さを呪ったはずだった。だが、目の前で弱者が理不尽に踏みにじられるのを見て、見過ごすことなど、エイドの倫理観が、彼の「心」が許さなかった。
「おい、そこまでだ」
突如として割って入ったエイドに、ゴロツキの首領格が目を剥く。
「あぁ? なんだ、てめえ……うおっ!?」
男が言いかけるより早く、エイドは一歩踏み込み、男が振り上げようとした腕の手首を正確に掴んだ。
手首から『負荷石』を外したエイドの身体は、驚くほど軽い。筋肉が意思に遅れることなく完全に連動する。掴んだ手首をぐっと内側に捻りながら、相手の重心を軽く崩し、そのまま流れるような動作で背後へと突き飛ばした。
「がはっ!? な、なんだこいつ、速っ……!」
「囲め! ぶち殺せ!」
仲間の窮地に、残りの三人が一斉に短剣を抜いてエイドに躍りかかる。
エイドの脳裏に、昨日の戦場がフラッシュバックした。
(いなす。……剣は抜かない。殺さない。誰も死なさずに、この場を収める!)
鋭く突き出された短剣の軌道を、エイドは最小限の頭の動きでかわす。空振った男の肘を手のひらでパシッと叩き、その勢いのままもう一人のゴロツキに衝突させた。さらに、背後から迫る足音に気づき、半身を翻しながら相手の足首を軽く引っ掛け、地面に転がす。
技術は完璧だった。昨日の戦いと同様、ゴロツキたちの刃は一度としてエイドの衣服をかすめもしない。
だが、やはり「傷つけずに無力化する」ことに固執するあまり、決定打に欠けていた。転がされた男たちは、すぐに痛む身体を引きずりながら立ち上がり、再びエイドを囲い込もうとする。一般の町人たちが巻き込まれないよう、エイドは彼らの注意を自分一人に引きつけ続けなければならず、徐々にその場から動けなくなっていく。
(クソ、やっぱり、いなすだけじゃ拉致が明かないか……!?)
エイドの額に焦りの汗がにじんだ、その時だった。
「――そこまでだ、不届き者が。市場の規律を乱すな」
ひどく冷静で、重みのある声と共に、ゴロツキの一人が派手に吹き飛んだ。市場を真面目に巡回していたロイドが、エイドの窮地(そして、彼がまた『殺さない戦い』で律儀に苦戦している姿)を見つけて割って入ったのだ。
「ロ、ロイドさん!?」
「エイド。勝手なスタンドプレーは感心しないな。……だが、規律違反を見過ごさなかったことは評価する」
ロイドは鋭い目つきで残りのゴロツキたちを睨みつけ、愛剣の柄に手をかけた。彼はエイドの構えを見て、彼が「誰も傷つけずに場を収めようとしている意志」を正確に汲み取った。
「こいつらの意識は俺が引き受ける。お前は無駄な殺生をせず、その技術で確実に無力化しろ。……行くぞ!」
「――はい!」
ロイドが隙のない構えで前に出ると、ゴロツキたちはその威圧感に気圧され、陣形を大きく崩した。ロイドが敵の攻撃を完璧な防御で受け止め、強引に注意を引きつける。
その瞬間、ゴロツキたちの背後に、決定的な隙が生まれた。
「エイド、今だ! 逃げ道を塞げ!」
「――はい!」
ロイドが作った最高のトスを、エイドは見逃さなかった。
羽のように軽い身体が、一瞬で男たちの死角へと滑り込む。戸惑うゴロツキの腹へ、低い姿勢から拳を鋭く突き上げた。腹を殴られた男が、疼くまるようにその場に崩れ落ちる。
ロイドが残りの2人を鮮やかに組み倒した。
ものの数十秒。市場を恐怖に陥れたゴロツキの集団は、一人の怪我人も出すことなく、完全に制圧されていた。
静まり返っていた市場に、ぽつり、ぽつりと拍手が沸き起こった。それが波のように広がり、やがて割れんばかりの歓声へと変わる。
「す、すごい……! あのゴロツキどもを、あっという間に!」
「誰も、怪我をしてない……!」
「お兄ちゃん、ありがとう! おばあちゃんを助けてくれて!」
さっき突き飛ばされた老婆を支えていた小さな女の子が、エイドの裾を引っ張りながら、満面の笑顔でそう言った。
周囲から向けられる、純粋な、100%の感謝の視線。
エイドは自分の両手を見つめた。昨日、あれほど「血に汚れた」「甘さの象徴」だと思い詰めていた自分の『いなす技術』が、ここでは、この平和な市場の中では、誰も傷つけずに誰もが笑顔で終われるための、最高の『力』として機能していた。
「……あ」
胸の奥にたまっていた、重く冷たい澱のようなものが、町の人々の「ありがとう」という言葉によって、みるみるうちに溶けていくのが分かった。
やがて騒ぎを聞きつけた町の衛兵たちが到着し、気絶したゴロツキたちを連行していった。
誰も傷つけずに誰もが笑顔で終われるための、最高の『力』。エイドは自分の両手を見つめ、胸の奥にたまっていた澱が溶けていくのを感じた。
「……ふぅ。怪我はないな、エイド」
ロイドが息を整え、衣服の埃を払いながら歩み寄ってきた。その表情はいつになく柔らかい。
「ロイドさん。ありがとうございます。俺、自分のやってることに、少しだけ自信が持てそうです」
「そうか。お前のその『殺さない技術』が、この市場の平和を完璧に守ったんだ。誇るといい。……ガルバ隊長が言っていた通りだな。お前は人を殺せなかったという一点で、自分の出した『成果』まで否定しすぎる。それはお前の悪い癖だ」
ロイドはエイドの肩を、今度はポン、と優しく叩いた。
「これから先、それだけじゃ通じない『本物の悪』に出会うこともあるだろう。だが、今日のところは、自分の成した仕事を正当に評価しろ。……セリアに、名物の菓子でも食べて脳みそを休ませろと言われていたのだろう? 規律正しい休息も、冒険者の義務だ。……行くぞ、奢ってやる」
「はい、ありがとうございます。」
エイドは微笑み、ロイドの隣に並んで歩き出した。
まだ「人を斬る覚悟」という問いへの明確な答えは出ていない。けれど、自分の技術で守れる平穏が確かにここにある。その事実だけで、今日のエイドの足取りは、昨日よりも遥かに、羽のように軽かった。
エイドは数日ぶりにぐっすり眠った。
誤字脱字と因果関係に違和感あれば教えてください。
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