篝火
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町の酒場は、安酒と泥酔した冒険者たちの熱気で溢れかえっていた。
一角にある薄暗いテーブルで、「鉄の牙」の年長者たちが腰を下ろしている。運ばれてきた大ぶりのジョッキを、ガルバが豪快に傾けて喉を鳴らした。
「……エイドの動き、どう見た」
ガルバの低い問いに、まず応じたのはトトだった。静かにグラスの縁を指で弄びながら、感情の起伏を殺した声で告げる。
「技術だけなら、俺たちの誰と比べても見劣りしない。だが、肝心な『急所』を外す癖が抜けきっていないな。……いや、あれはあえて外している」
「そうだな。今日の一件でハッキリした。あいつはまだ、『人』を斬ることにブレーキをかけている」
ガルバはテーブルに肘をつき、わずかに目を細めた。その視線の先には、ここにはいない新入りの姿がある。
「アイツの過去に何があったかは知らん。だが、冒険者を続けるなら、いつか地獄を見るぞ」
二人の重苦しい会話を聞きながら、肉を突き刺したフォークを口に運んでいたロイドが、ふう、と息を吐いて口を開いた。
「まぁ、そりゃあ躊躇うさ。初めて人を殺すんだ。魔物ならまだしも、同じ言葉を話す人間を殺せって言われて、最初から二つ返事でできる奴のほうがどうかしてる。……ただ、戦闘中にあの『迷い』をやられると、周りまで死なせることになるからな」
ロイドはジョッキを揺らし、ふと思い出したようにガルバの顔を覗き込んだ。
「そういや隊長。戦いが終わった後、あいつの肩を叩いてただろ。何も言わずにさ。あれ、どういうつもりだったんだ? 迷ってたあいつをドヤしつけるかと思ったんだけどな」
ガルバはエールの泡を見つめたまま、しばらく沈黙した。やがて、短く鼻で笑う。
「……ドヤしつける理由がどこにある。あいつはあの状況で、何一つ荷を奪わせず、商人の命も守りきったんだぞ」
「そりゃそうだけどさ。でも、あいつ自身はボロボロに凹んでただろ」
「あいつが勝手に一人で悩んでるだけだ。人を殺せなかったという一点だけで、自分の出した『成果』まで否定しちまうのはあいつの悪い癖だな。だから、俺が代わりに認めてやったのさ。よく守りきった、とな。」
ガルバは不器用そうに髭をなで、言葉を続けた。
「……あいつは馬鹿じゃない。言われなくとも、自分の甘さには今頃死ぬほど気づいているはずだ。だからこそ、出来たことくらいは俺が認めてやらんとな。それに最初からあいつの評価は『剣で魔物を狩り切ることができない』だ。襲ってくる人間なんぞ、魔物よりタチが悪い」
ガルバの言葉に、ロイドは「なるほどねぇ、相変わらず良い隊長さんだ」と感心したように肩をすくめた。
「手厳しいようで、ちゃんと見てるわけだ。……で、どうする。あいつが本当に『人』を殺せない奴だったら」
「その時は、別の生き方を探させるだけだ。だが、俺たちはあくまで試験官だ、たかが新人冒険者が1人いたところで問題ないはずだ。」
ガルバは残りの酒を一気に飲み干した。
「トト、ロイド。必要ならあいつにもう少し色々で教え込む準備をしておけ。中途半端な教えは結局あいつ自身を殺すことになる。……だが、あいつの今日の頑張りまで無かったことにするなよ」
「……分かってるって、リーダー。まぁ、次の壁を越えさせるための嫌われ役は、俺たちが引き受けてやるさ。
それにわかってるぜ、あの襲撃のときに壁を越えさせるためにあえてエイド1人残して全員で商会を助けに行っただろう、あれぐらいの盗賊なら2人でも十分だっただろう。」
彼らにとって、エイドの迷いは「乗り越えさせなければならない壁」であり、同時に今日の奮闘は「一人前の冒険者として認めるに値する一歩」だった。
宿は全員1人部屋だった、部屋はひどく静かだった。
エイドはベッドの上で、何度も何度も自分の手を見つめていた。昼間の街道で、賊の首謀者を前に剣を止めたあの一瞬の感覚。その指先には、まだ泥と鉄の錆、そして他者の命の重みがこびりついているような錯覚があった。
ガルバたち「鉄の牙」の面々は、無事に依頼を遂行した祝いとして、町の酒場へ繰り出している。だが、エイドにはそんな気分になれるはずもなかった。
(……俺は、何を迷っていたんだ)
元いた世界の倫理観。人を斬ることは悪だという、絶対的な規範。この世界で生き抜くために、強くなるために鍛錬を重ねてきたはずなのに、いざその時が来ると、俺の剣は恐怖に震えて動かなくなった。技術は、魂が伴わなければただの無機質な鋼に過ぎない。
そして死んだしまえば、意味はない。
居たたまれなくなったエイドは、宿の裏庭へと出た。冷えた夜風が火照った顔を撫でる。小さな篝火が、寂しげに夜の闇を食らっていた。
そこに、もう一人の人影があった。
「エイドも、眠れないの?」
不意にかけられた声に、エイドは肩を震わせた。篝火の横で膝を抱えていたのは、セリアだった。彼女はいつもの皮肉めいた笑みを消し、静かに星空を見上げている。
「……セリア。あなたこそ、酒場には行かないのか」
「あそこの酒はあまり好みじゃないわ。それに、賑やかな場所より、このくらい静かなほうが……色々と、思い出せるしね」
セリアは焚き火に薪をくべた。ぱち、と爆ぜる音が夜の静寂を揺らす。
エイドは迷った末、篝火を挟んだ反対側に腰を下ろした。「……今日の戦い、俺はひどく醜いものを見た気がする」
「醜いもの?」
「賊たちを、斬れなかった。いなすことしかできなかった。結果として商人は守れたが、俺の迷いが彼らを死の恐怖にさらし、ガルバに後始末をさせた。俺は冒険者として、あまりにも甘い」
エイドの吐露は、自嘲に近いものだった。セリアは黙ってエイドの話を聞いていたが、やがて呆れたようにため息をついた。
「エイド、あなたね。自分を何様のつもりでいるの?」
「……え?」
「人を斬れないことを恥じる? 誰かの命を奪うことを、最初から涼しい顔でできる人間なんて、この世界にはそうそういないわよ。むしろ、最初から躊躇なく人を斬れるような奴の方が、よっぽど化け物よ」
セリアの言葉には、毒気がなかった。彼女はエイドの瞳をまっすぐに見据え、言葉を継ぐ。
「ガルバはね、あなたがいつか『その一線』を越える日が来ることを分かっているはずよ。いや、越えさせないといけないと思っているからこそ、今、厳しい顔をしているの。……人を殺すという行為に、葛藤できるうちは、あなたはまだ人としてまともだっていう証拠よ」
焚き火の煙が、目にしみた。セリアは自身の左手を見つめ、少しだけその表情を曇らせた。
「私だって、初めて人を……いえ、何でもないわ。とにかく、今の迷いはあなたが『ただの力』を持っただけではなく、『心』を持ってこの世界で生きようとしている証拠。だから、そんなに卑屈になる必要なんてないわ」
彼女の言葉は、冷たい氷のようなエイドの心に、じんわりと熱を伝えていった。俺はただの技術の塊になりたかったわけではない。師匠であるガレンの背中を追うことは、ただ強くなることだけが目的ではないはずだ。
「……ありがとう、セリア。おかげで少しだけ、呼吸が楽になった」
「別に慰めたわけじゃないわよ。……ただ、明日もその顔でウジウジされると、パーティー全体の空気が悪くなるからね」
セリアは立ち上がり、エイドに向かって不敵に微笑んだ。
「明日は休息日よ。ガルバもトトも、明日は仕事の話はしないって決めているわ。だから、あなたもこの町で少し気分転換してきなさい。この町の名物の菓子でも食べて、脳みそを休ませるの。……いい? 冒険者っていうのはね、常に張り詰めていたら、いざという時にポッキリ折れちゃう生き物なのよ」
セリアはそう言い残すと、宿の廊下へと消えていった。
エイドは一人、残された篝火を見つめる。
『負荷石』の重みも、人を斬る痛みも、すべては自分がこの世界を生きるための代償。迷うこと、傷つくことを否定せず、今の自分にできることから積み上げていくしかないのだ。
ふと見上げた夜空には、星が冷たく輝いていた。
まだ答えは出ない。けれど、明日の朝には、もう少しだけマシな顔で、ガルバたちの前に立てるような気がした。
エイドは篝火を消し、静かに宿の部屋へと戻った。
手の中には、まだ訓練で鍛え上げた筋肉の感触が残っている。その強さを、次に使うときは、迷いなく……。
そう心に刻み、エイドは長い休息へと向かう眠りについた。
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