いなす剣、刺す矜持
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朝霧が晴れる頃、俺たちは目的地である町を目指して街道を歩いていた。
エイドは手首に隠した『負荷石』の重さを維持したまま、何食わぬ顔で歩こうとする。重力に逆らう筋肉の軋みが、今の俺にとっての日常だった。しかし、ふいに背後から伸びてきた影が、俺の手首を正確に掴んだ。
「……動きに雑味が出てるぞ、エイド」
トトの声は冷徹だ。手袋の上からでも分かるはずのない重量を、奴の索敵能力は看破していた。「外せ。町の門が見えるまでは不要なリスクだ」と、諭すように告げられる。俺は観念して手袋を外し、『負荷石』を外した。
解放された身体は、羽のように軽い。拳を握りしめるだけで、筋肉が意思に先んじて弾けるような全能感が全身を駆け巡る。このコンディションなら、どんな理不尽も凌駕できる――。そんな傲慢な自信が胸に宿っていた。
町の城壁が地平線に見え始めた、その時だった。
街道の先から、商人の馬車隊が上げる悲鳴と、打ち合う金属音が風に乗って響いてきた。
「……襲撃か!」
ガルバの合図と共に「鉄の牙」が動く。指示は即座に飛んだ。「エイド、俺たちは助けに行く、お前は俺たちの荷台を守れ! 敵の侵入を許すな!」
俺は馬車から飛び出し、荷台へと飛び乗る。後続から迫りくる数名の賊。彼らは魔物ではない。悪意を宿し、血の通った「人」だ。
賊の一人が、錆びた剣を振り下ろしてくる。俺は身体の軽さを活かし、その軌道を最小限の動きでいなした。
これが訓練なら、ここで躊躇なく急所を突いていただろう。しかし、眼前の男の必死な目、泥に汚れた服、そして漂う生活の匂いに、俺の指先が止まる。
(いなす。)
『………しても良いんだ。』
(なんでこんなタイミングで余計なことが脳裏に過ぎる、目の前に集中しないといけないのに。まずは無力化するぞ、斬らないし、殺しもしない)
元いた世界の倫理観が、本能的な防衛本能と激しく衝突する。剣を弾き、手首を返し、膝を蹴り上げ、相手を無力化して突き飛ばす。技術は完璧だった。相手の剣は一度も俺の服をかすめることすらできない。
だが、殺すことを拒んだ結果、戦況は膠着した。
俺が倒しきれない賊たちが、次々と起き上がり、周囲を囲い込んでいく。いなせばいなすほど、彼らは狂犬のように荷車へと食らいつく。「殺せ! 荷を奪え!」という怒号が耳を突き刺す。
主戦場では、ガルバたちが容赦なく賊を制圧していた。血が飛び、戦いが終わる音が聞こえる。
俺が時間を稼いでいる間に、賊の首謀者が荷車を奪おうと連結部を断ち切らんとしていた。俺の剣筋は迷い、決定的な一撃を入れることができない。
その時だ。
「――おせえよ、エイド」
地響きのような声と共に、巨大な影が割り込んできた。ガルバだ。
主戦場を瞬く間に制圧した隊長は、その大剣を風車のように振り回し、首謀者の剣を真っ向から砕いた。抵抗する間もなく、ガルバの重厚な一撃が首謀者の胴を捉える。鈍い音を立てて賊が地面に転がると、残りの賊たちもガルバの放つ圧倒的な殺気と暴力に気圧され、武器を落として戦意を喪失した。
「……すまない、ガルバさん」
「後でたっぷり説教だ。まだ他のやつが隠れているかもしれん。今は荷を守ることに集中しろ」
結局、賊たちは何一つとして荷を奪うこともできず、霧散するように逃げ去っていった。
戦いが終わり、静寂が戻った街道に、商人の安堵の声が響く。
「……無事だ。食料も、積荷もすべて無事だ……!」
商人はその場に崩れ落ち、震える声で続けた。
「まさか……盗賊団の標的が、この私になるなんて……! 『鉄の牙』が近くにいてくれて助かった。」
その言葉が、心臓を強く抉った。
彼らは荷に「この時期一番需要の高い食料」があると勘違いして襲いかかってきたのだ。俺がもっと早く、冷徹に賊を排除していれば、商人をこれほど死の恐怖にさらすこともなかったはずだ。そして奪われていたら町の人はどうなっていたかなんて想像しずともわかる。
『運』のおかげかもしれない、あのまま『負荷石』をつけたままだったら、自分の身体も重く、『運』も作用せず死んでいたかもしれない。油断や慢心をしていたつもりはない。先のことばかりで目先のことを疎かにしたつもりもない。ただの実力不足だ、力がないから少しの時間でもトレーニングしようとする。結果的に目の前のことに全てを振り切れていない。自己的な考えが招いた結果だ。
商人は守れた。荷も無事だ。けどあくまで結果論で俺ができたことはほぼ皆無だ。
だが、俺の「いなす」ことへの固執が、本来巻き込まれるはずのない人々に恐怖を与え、俺自身の剣先を鈍らせたという事実は消えない。
ガルバが俺の肩に手を置く。その沈黙は、どんな叱責よりも重く、俺の心に突き刺さった。
何も言われない。だが、今の俺がこのパーティの中で何一つとして「役割」を果たせていないことは明白だった。
自分は「いなす」ことに固執し、他人の生活を脅かした。
この世界で生き抜くことは、冷徹に「人」を排除する覚悟を持つことと同義なのか。
俺は血に汚れた街道を歩き出し、町の門を見つめた。
負荷石を外した身体は軽いのに、足取りはこれまでで一番重く感じられた。
俺の手は、まだ震えている。ガレンの「足」になるための技術が、この旅では人を救うための「壁」になっている。
(……この問いの答えは、すぐには出ないだろう)
町という文明の境界線が、俺の眼前に迫っていた。そこには、俺がまだ知らない血の味が待っているのかもしれない。俺は深く息を吐き、重い足を引きずるようにして門の中へと歩を進めた。
「エイドいつまで気にしてる。
お前は商人の命を守るか、自分の倫理を守るか、天秤にかけることすら避けた。ただ、自分が『こうあるべきだ』と決めた『いなす』という選択に、最後までしがみついていた。
普通の奴なら、窮地に陥った瞬間に自分の信念をかなぐり捨てて、結果だけを求めて剣を振るうだろう。だが、お前は違った。その場での効率や周囲からの評価よりも、自分の中で積み上げてきたその技術を、土壇場でも捨てなかった。それは必要なことだ。
……だが、勘違いするなよ。それは決して『正しい行い』ではない。ただ、お前のエゴが、それだけ強固だったというだけの話だ。その歪なこだわりが、いつかお前を救う武器になるか、それともお前自身を食い殺す毒になるのか――だがもし、同じようなことがあったとき、どうするのかだけは決めておけ。
迷うのは仕方ないが迷いの数は減らせ、命取りになる」
夕陽が、俺の影を長く長く引き延ばしていく。町の門は目の前だ。自分の覚悟とこの世界との向き合わなければならない、ガレンも今は隣にいない。手は無意識にポケットの中を探っている、白い錠剤が指先に触れた。
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