焚き火の夜、灰の香り
今日はきっと最後の更新です。
真っ白な部屋と、誰かの掠れた声がよぎる。
『………しても良いんだ。』
指先に触れた錠剤が、意識を鮮明にさせてくる。
街道沿いにある簡素な休息所。硬い木製のベッドの感触と、わずかに鼻をかすめる湿った土の匂いに、俺はゆっくりと瞼を開いた。視界には、使い古された屋根の梁と、遠くで焚き火を囲み、静かに夜の帳を過ごす仲間たちの姿が映っている。
……目が開くと同時に、全身の筋肉から微かな鈍痛が伝わってきた。昨日の過酷な索敵の爪痕だ。
「……目覚めたか、寝坊助」
背後からかけられたのは、ガルバの低く、しかしどこか温かさを孕んだ笑い声だった。俺が慌てて体を起こすと、頭痛はもう引いていた。どうやら魔力切れの反動は、彼らが用意してくれた食事と休息によって完全に収まったようだ。この世界では、一度使い果たした魔力を回復させるには、魔力ポーションを飲むか、魔物の肉を食べる、あとはただ横になり、眠り、肉体と精神を休める以外に方法はない。セリアが言うには、高位の魔法使いの中には急速回復させる秘術を持つ者もいるらしい。
「……すみません、また皆様に迷惑を」
「迷惑だなんて言ってねえよ。ただ、今日から遠征は本格的な区域に入る。お前のその『集中しすぎて気絶する癖』は、この先命取りになる。だが俺はお前のそういうとこを割と気に入ってるぞ」
ガルバは腕を組んで悪戯っぽく笑うと、俺の肩をポンと叩いた。
「だが、何もしないわけにはいかない。
というわけで、罰だ。今日の晩飯はお前の担当な。美味いもんを食わせて、英気を養わせてくれ。それから、夜間に関してだが、ロイドとトトが交代で外周の警戒を担当し、エイドが焚き火の担当で寝ずの番だ。
昨日や今日みたいな失態は犯すなよ、魔力の使用は禁止だ」
「寝ずの番」という言葉に、俺は少しだけ眉を動かした。普通、休息が必要な状況で、疲労困憊のメンバーにそのような指示は出さない。……いや、これは違う。ガルバの瞳の奥にあるのは、冷徹な処分ではなく、もっと別の意図だ。
(……ああ、そういうことか)
隊長は言葉通りに「罰」として俺を討伐役に指名したが、同時に「俺を一番安全な場所で休ませる」という選択肢を捨て、俺自身に「自分のコンディションを整えるための時間」を与えたのだ。俺は必然的に焚き火のそばに居続け、誰にも邪魔されず魔力を全回復できる。不器用な、しかし確かな配慮だった。彼らは俺を、ただの『試験をうける冒険者』としてではなく、「鉄の牙」の一員として、どう生かして守るかを考えてくれている。
「承知いたしました。」
俺は頷き、早速晩御飯の用意にかかった。昨日の『ワイルドホーク』の肉を広げる。調理を通じてパーティーの胃袋を掌握し、信頼のコストを積み上げる。これは俺にとって、剣を振るうことと同じくらい重要な「冒険者としての仕事」だ。
手際よく、肉を焼く。ガルバたちが満足気に皿を空にする姿を見るだけで、俺は嬉しく思う。
魔力が空っぽだったせいか、肉を食べると魔力が回復し自分の身体に巡るのがわかる。
夕食を終え、仲間たちが次々と寝袋に潜り込む。夜の静寂が広がる中、索敵の交代役であるトトとロイドが、それぞれ持ち場へ向かうのを背中で聞いた。
「エイド、焚き火は任せたぞ。何かあればすぐ声をかけろよ」
「ええ。おやすみなさい、ロイドさん」
パチパチと薪が爆ぜる音だけが響く夜。ふと、この世界のどこから歩き始めたのかを思い返していた。
(……そうだ。あの時、俺は焚き火の煙の中で目を覚ました)
灰色の灰の匂い。右も左もわからぬまま、ただ冷たい風にさらされていた孤独な異邦人としての始まり。そして、ガレンさんと出会った。
ガレンという師に出会い、いなしの技術を叩き込まれた日々。自分の限界を無視してでも結果を求めてきたのは、この世界で「居場所」を守ることだ。
(俺のやるべきことは違う。借り物の力ではなく自分の力を手に入れてガレンさんの『足』になることだ)
静寂を破るように、セリアがテントから顔を出した。
「……少しは休んだら? 今日の索敵、凄かったわよ。おかげで皆、無傷で済んだんだから」
「いえ、僕はまだガルバさんたちの足を引っ張るばかりで……」
「謙遜はいらないわ。訓練室で見かけたけど今のあなたは別人のように頼もしいわよ、勇者気取りさん。
それじゃおやすみなさい、休むことも必要よ」
仲間たちが再び眠りにつくと、俺は「罰」の時間を「至高の鍛錬」へと昇華させる準備に取り掛かった。トトとロイドが外縁で魔素の揺らぎを監視している。その完璧な連携の隙間を埋めるように、俺は自身の限界を押し広げる。
(休むのは必要なのもわかる。けどやらなければいけない時があるのを知っている。魔力を使わない。ガレンの教えた「構造」だけで、負荷を制御する)
俺は誰にも気づかれぬよう、『負荷石』を足首に装着した。カチリ、と金属が触れ合う音が、俺の戦いの合図だ。
凄まじい重力が全身の筋肉を支配する。魔力循環をあえて遮断し、純粋な肉体の構造だけで立つ。一歩踏み出すたびに骨が軋むが、その痛みこそが「正解」だと体が理解していた。
俺は焚き火の光を背に、体幹トレーニングを繰り返す。重い、苦しい、だが……心地いい。この重みこそが、俺がガレンの足として理不尽がきても凌駕するための唯一の糧だ。
数時間後、俺は汗を拭い、再び焚き火の前へ戻る。
トトがわずかに目を開け、俺の様子を窺うが、その顔には「気づいているが、あえて何も言わぬ」という信頼の色が浮かんでいた。
俺は火を落とさぬよう、枝を拾い投げ入れる。
明日になれば、また危険な旅が待っている。森での昏倒は、俺の技術がまだ独りよがりであった証拠だ。だが、今の俺はかつての孤独な異邦人ではない。
焚き火の残り火が微かに揺れる。
俺は冷徹に周囲を管理しながら、静かに夜明けを待った。俺は今、間違いなく戦場に立っている。その足で、師の隣に戻るために。
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