因果の果実
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翌朝もベッドから起き上がろうとした瞬間、全身の繊維が引きちぎれるような痛みが走る。『負荷石』の強制的な重積と、ガレンさんからの無慈悲な押し出しの代償だ。しかし、よろよろと床に足をついた瞬間、明確な違和感があった。
(……軸が、ブレない)
痛む肉体の中心に、昨日まではなかった細く強固な「芯」が通っている感覚、少しずつ肉体に確実な構造改革をもたらしていた。
俺は痛む体に鞭打ち、今日も宿の女将さんにお願いして厨房へと向かった。
さっそく、昨日市場で新調した『料理用包丁』の包みを解く。手になじむ上質な柄を握り、スープ用の野菜へと刃を当てた。
サク、と小気味良い音が厨房に響く。
素晴らしい切れ味だった。だが、それ以上に驚いたのは自分自身の感覚だ。昨日、目隠し素振りで叩き込まれた「中心の点を捉える」感覚が、食材を刻む手元にそのまま還元されていた。狙った一点へ、最短距離で正確に刃先が「置かれる」。道具への投資効果と、僅かながらに向上した地力の連動に、確かな手応えを感じていた。
昼過ぎ、筋肉を休める日として実技訓練を休止した俺は、ギルドの訓練場の片隅でガレンさんと向き合っていた。手元には、新調したばかりの『解体用ナイフ』を携えている。
「道具だけは一人前になったようだな。それで、その色気を出したナイフで次は何を狩るつもりだ?」
ガレンさんの皮肉交じりの問いに対し、俺は頭の中で整理してきた冷徹な市場調査の数字を提示した。
「現在の私の資産状況ですが、手元の銀貨が10枚。宿の先払いは残り9日、まだ2ヶ月の猶予はあるとはいえ、このままではあなたの「相棒」を諦めることになります。つまり『詰み』が来ます」
ガレンさんはエールを飲む手を止め、品定めをするように俺を見た。
「なんにせよ、装備や自力の強化を考えるとまだまだお金が足りない。そして今まで学んだ『技術』を活かせる依頼に切り替えるべきだと考えています」
フン、とガレンさんが短く鼻を鳴らした。
「数字の計算だけは一人前だな、小僧。だが、その算盤弾きは嫌いじゃない。お前が、技術を最も効率よく金に換えるための、ちょうどいい依頼が一つある」
ガレンさんは懐から、ギルドの掲示板から引き剥がしてきたと思われる一枚の依頼書を放り出した。
「少し癖のある魔物だが……お前のその技術を試すには、これ以上ない上等な依頼だぞ」
机の上に広げられた依頼書に、俺は視線を落とした。
依頼書に躍っていたのは、『吸血針蝿』の羽と針の納品という、一風変わった内容だった。
群れをなさず、湿地帯の藪に潜んで家畜や冒険者を襲う、拳大の巨大な蝿。素早さと、執拗な「突き」の一撃に特化したその魔物は、仕留めること自体はさほど難しくない。だが、討伐時に手当たり次第に叩き潰すと、換金価値のある細い「羽」と「針」が破損してしまうため、並の冒険者からは敬遠される不人気な依頼だった。
「仕留めるだけなら叩き潰せばいい。だが、傷をつけずに商品として回収するには、奴らの『突き』をいなし、動きが止まった一瞬にピンポイントで刃を『置く』しかない。お前が昨日やったことそのものだ、小僧」
「なるほど。私の『技術』を活かし学ぶには絶好の依頼ですね。」
提示された報酬は、無傷の納品5匹分で銀貨10枚。月見草の倍の利益率だ。
俺はガレンさんに深く一礼すると、その足でギルドの受付へと向かい、依頼を受理した。
翌日、俺は『負荷石』を使ったランニングを終えた後、『負荷石』を外し、街の西側に広がる湿地帯の入り口に立っていた。
昨日休んだおかげか、体幹の軸がブレない。
泥濘の多い悪路でも驚くほどスムーズに歩を進めることができた。
藪の奥へと進むと、羽音が聞こえた。ゆっくりと
ブゥゥン、と鼓膜を不快に揺らす低い音。同時に、草陰から赤黒い影が飛び出してくる。吸血針蝿だ。奴は空中での短い静止の後、その名の通り、鋭利な注射針のような吻を真っ直ぐ俺の胸元へと突き出してきた。
(線で追うな、中心の点だけを見ろ……!)
目隠しの中で覚醒させた五感が、蝿の「突き」の軌道を捉える。
俺は鉄剣の腹を、弾くのではなく、迫る針の側面にそっと「置いた」。
チィン、と小さな金属音が響き、蝿の軌道がわずかに逸れる。空を切った蝿が、体勢を崩して俺の脇をすり抜けた。
その隙間。俺は一歩踏み込み、腰の鉄剣を鋭く突き出した。
パチン、と昨日木の実を捉えた時と同じ感触が手元に伝わる。鉄剣の先端は見事に蝿の急所である頭部を貫き、換金部位である薄い羽と長い針は、傷一つない完璧な状態で保存されていた。
「一匹目……」
そこからの狩りは、作業だった。
こちらの「運」が作用しているのか、蝿は常に俺が対応しやすい絶妙なタイミングで、一匹ずつ現れてくれた。突進をいなし、急所に鉄剣を「置く」。その一連の流れを正確に繰り返し、俺は予定通りの5匹分、いや、予備を含めた6匹の無傷の死体を、破損させることなく鞄へと収めた。
ギルドへ戻り、カウンターへ鞄を置く。
受付嬢が、驚きを隠せない様子で検品を始めた。
「……信じられません。吸血針蝿の羽も針も、一切のひび割れすらなく、完璧に揃っています。これほど綺麗な状態での納品は、熟練の狩人でも滅多にありませんよ、この調子なランクアップもままなくですね」
「ありがとうございます。良い指導を受けたおかげですかね。」
俺が微笑むと、彼女は感心したように頷き、木箱から銀貨を取り出した。
約束通りの銀貨10枚。さらに、予備として持ち帰った質の良い1匹分が色を添え、追加で銀貨2枚のボーナスとなった。
(純利益、銀貨12枚)
手の中に落ちてきた銀貨は、ズシリと心地よい重みを放っている。
昨日の敗北、全身の筋肉痛、そして道具への投資。そのすべての因果が正しく噛み合い、目の前の「数字」として結実したのだ。
これで手元の銀貨は22枚。宿の残り期限カウントダウンを前に、俺は明確な資本の拡大を成し遂げた。
俺は銀貨の袋をしっかりと握り締めた。
誤字脱字あったら教えてください。




