銀貨の重みと、地力の飢え
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泥を払い、ギルド併設の訓練室を出た俺は、そのままガレンさんを近くの安酒場へと誘った。
薄暗い店内、脂の染みついた木机の向こうで、ガレンさんは不機嫌そうに腕を組んで座っている。俺は手に入れたばかりの銀貨をカウンターに差し出し、エールを二つ注文した。泡の乗ったジョッキが運ばれてくると、それをガレンさんの前へと押し出す。
「……何の真似だ、小僧」
「今日の授業料です。それと、無事に生きて帰れたことへの、俺なりの感謝です」
ガレンさんは鼻で笑い、無造作にジョッキを掴むと、喉を鳴らして一気に半分ほどを煽った。そして、ぷは、と荒い息を吐き出しながら、冷徹な視線を俺に固定した。
「感謝、ねえ。門番の助けがなけりゃ死んでた奴の台詞か。小僧、お前はいつも口を開けば賢しらな言葉を並べるが、この世界の『本当の生存率』を知らん」
ガレンさんの言葉は、昼間の傷口を抉るように重かった。今までが どれほど凄惨な現場を彼に歩ませてきたのか、その一端が漏れ出すように、声のトーンが落ちる。
「俺の周りで死んでいった奴らは、どいつもこいつも『自分だけは大丈夫だ』と油断した若造か、訓練の延長で実戦を舐めていた腑抜けだ。今日のお前がまさにそれだ。相手が木剣だから、ここはギルドの訓練室だからと、どこかで命のやり取りを他人事に思っていただろう。その甘さが、最後の一歩で泥を噛む結果を招いたんだ」
耳が痛かった。反論の余地などない。
俺はジョッキを見つめ、
「……その通りです。俺は、命のやり取りを舐めていました」
プライドなど、この世界では何の役にも立たない。俺はガレンさんの目を真っ直ぐに見据えた。
「俺は勇者気取りになるつもりはありません。生き残って、なすべきことをなします。だから、改めて地力をつけるための教えを乞いたいです。よろしくお願いします」
ガレンさんはしばらく俺を睨みつけていたが、やがて残りのエールを飲み干し、ドンとジョッキを置いた。
「……明日からは、我流でやっていたトレーニングも俺が教える。見ていて効率が悪い。明日から今日の倍は走らせるからな。覚悟しておけ」
翌朝。俺はまだ全身に残る筋肉痛と、腹部の青あざの痛みを押し殺し、女将さんにお願いして宿の厨房に立たせてもらっていた。
少しでも気分を転換し、自己管理を兼ねて朝食の料理を作ろうと考えたのだ。パンを切り、スープの具材を刻もうと、使い慣れた愛用の料理用ナイフを握る。
だが、刃をまな板に当てた瞬間、奇妙な違和感が手の平に伝わった。
(……なんだ、これ?)
明るい光の下でナイフをかざしてみて、俺は息を呑んだ。
美しいはずの刃先はボロボロにこぼれ、全体が不自然に曇ってしまっている。
その瞬間、昨日、必死の思いでゴブリンの胸を開き、魔石を抉り出したときの感触が鮮明に蘇った。硬い骨を断ち、汚れた肉を割いた代償。戦闘用ではない、ましてや手入れの行き届いた料理用の刃にとって、魔物の肉の脂や骨は、その寿命を一瞬で奪い去るほどの猛毒だったのだ。
命を奪うということの、これが現実の傷跡。
俺はナイフを見つめながら、これ以上の「道具の妥協」は、そのまま自分の命を縮めることに直結すると判断した。
午前中、俺は手元の銀貨を確認した。昨日得た銀貨8枚と宿代を払って余った9枚で17枚だ、だが今までの食事と昨日の酒場代で3枚減り残りは14枚だ。そのうちの4枚を手に、残りは鞄の奥にしまい街の市場へと向かった。
今の自分に最も必要なものを揃えるためだ。
雑多な露店が並ぶ中、俺はまず工具や冒険用具を扱う店を吟味し、一つの『解体用ナイフ』を購入した、他に刃物を研ぐための質の良い砥石を買っておいた。道具のメンテナンスを怠れば、昨日奪いかけた勝利すら逃げていく。
そして次に、刃物専門店へ足を運び、新しくしっかりとした『料理用包丁』を新調した。
料理は俺にとって、比率の実験や自己管理を行うための大切な「研鑽」の場だ。今度は魔物用と完全に分けるため、調理専用として予算を惜しまず、手になじむ上質なものを選んだ。
(これでよし。予定通り銀貨4枚でおさまった。
残りの手元の銀貨は10枚と宿の先払いは残り10日だな)
昼過ぎ、俺は訓練場へと足を運んだ。
体は悲鳴を上げていたが、心の中にあった焦燥感は、具体的な「飢え」へと変わっていた。
ガレンさんが現れる前から、一人で重い足取りのランニングと、基礎的な体幹トレーニングを開始した。
「線で追うな、点だけを見ろ」
昨日の言葉を頭の中で反芻しながら、木剣を構え、突きを想定した素振りを繰り返す。
背後から重い足音が近づいてきた。
振り返ると、ガレンさんがいつも通りの不機嫌な顔で、だがその手には見慣れない紐付きの石凧のような奇妙な器具をぶら下げて立っていた。
「少しはましな顔になったな、小僧。……口先だけではないところを見せてもらおうか」
「はい。何から始めればよろしいでしょうか」
俺が木剣を構え直すと、ガレンさんはそれを手で制し、持っていた器具を俺の足元へ放り投げた。
「お前にはまだ筋肉はないが若さゆえの瞬発力はある。だが、並の冒険者と同じように走って剣を振ったところで、待っているのはただの過労死だ。俺が騎士の時にやっていた、お前のための『歪んだ鍛え方』がある」
ガレンさんが提示したトレーニング方法は、現代のフィットネス理論すら超越した、この世界の「因果」を逆手に取ったものだった。
「まずそれを足首と手首に巻け。魔力を吸って重さを変える、そして振り分けたスキルポイントが作用しなくなる『負荷石』だ、これはそのままお前にやる明日からのランニングは『負荷石』をつけて自分で走り込め」
言われるがままに装着すると、ずしりと鉛のような重みが四肢を襲う。
「ただ走るな。心拍数を一定に保ちながら走るんだ。常に足の裏に意識を持ち地形の小さな変化に気づくようにしろ。そしてこれはお前の魔力も吸うから、魔力の流れを感じるようになるかもしれん。そして少しだが魔力を鍛えることができる。」
1キロも走らないうちに息が上がるが、俺は突如現れる地面の窪みや地面の違いを、全身のセンサーを研ぎ澄まして感じながら走りつづけた。
走り終え、膝をつく俺の前に、ガレンさんは一本の細い紐を垂らした。その先端には、小さな木の実が結ばれている。
「次はこれだ。『負荷石』をはずして目隠しをしろ」
「目隠し、ですか?」
「お前は目で『線』を追うから、突きの『点』に対応できん。耳と、肌に触れる空気の揺らぎだけで、その木の実が揺れる『中心の点』を察知しろ。そこに、剣先を最短距離で『置く』んだ」
視界を奪われた暗闇の中、微かに聞こえる木の実の擦れる音。
集中力を、すべて「音」と「空気」へと反転させた。
シュッ、と木剣を突き出す。最初はかすりもしなかった。だが、ガレンさんの容赦ない指導と、俺の「運」が奇妙に噛み合う瞬間があった。感覚が研ぎ澄まされ、木の実が静止して見えるような錯覚。パチン、と乾いた音が響き、剣先が正確に木の実を捉えた。
「……フン。思ったより耳は良いようだな」
仕上げは、ガレンさんが直接放つ、予測不能なタイミングの「押し出し」だった。
「最後は耐久だ。俺がいつ、どこから叩くか教えん。お前はただ、攻撃が当たる瞬間に、体幹の軸を完璧に地面へ突き刺せ。筋力がないなら、骨の噛み合わせと位置取りで耐えるしか道はない」
ドン、と容赦のない衝撃が背中や肩に飛んでくる。その度に内臓がひっくり返りそうになるが、最小限の力で衝撃を地面へと逃がした。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
すべてのメニューが終わった時、俺は文字通り、一歩も動けない状態で床に倒れ込んでいた。全身の筋肉が断線したかのように熱い。何度も限界を迎える筋肉の向こう側で、確かに体のキレが昨日とは違うという「実感」が、俺の内に静かに芽生え始めていた。
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