朝の静寂
鳥の鳴き声よりも早く、意識が浮上した。
時計もアラームもない世界だが、染み付いた体内時計は正確だった。
俺の目は開く。自分のことをゆっくりと思い出す、昨日は驚きすぎてそれどころではなかった。
情熱で目を覚ますには少しばかりくたびれすぎているが、義務感で動くには十分すぎるほどに成熟していた。
(……ああ、そうか。俺もう39歳だったな。ガレンに小僧と言われたがそんな歳でもなかったな)
肺に吸い込んだ空気は、かつての寝室に漂っていた淀んだ空気とは違う、鋭いほどに清涼な森の匂いがした。
俺は横たわったまま、冷静に自分の状況を整理する。異世界への転移。葬儀師という職業。そして、欠落した記憶。不思議と混乱はなかった。5年弱、ホテルの現場で予期せぬトラブルに対処し続けてきた経験が、パニックを「現状分析」へと変換させている。
(クレーム対応がないだけマシか。)
ふと隣を見ると、ガレンが「ヒュウ、ヒュウ」と苦しげな寝息を立てていた。
(おいおい、勘弁してくれよ。)
早朝の冷え込みが、老騎士の傷んだ身体に障っているのだろう。反射的に身を起こすと、自分の上着を彼にそっと掛け直した。それは聖者としての慈悲などではない。ただ、彼が今この瞬間に「生きて、温かい」ことを確認したいという、臆病なまでの習慣だった。
「……ん、うぅ……。起きたか、小僧」
ガレンが薄目を開け、しわがれた声で呟く。
「早いな。葬儀師は朝の勤行でも欠かさんのか」
「いえ、ただの習慣です。……それよりガレンさん、出発の前に教えてください。この世界のこと、そして……魔物について」
焚き火の残骸を片付けながら、俺はガレンからこの世界の「理」を聞き出した。
この世界にはマナという力が満ちており、死者の無念が形を成したとき、葬儀師の持つ力がそれを浄化するのだという。ガレンは語る。「死による救済」こそが葬儀師の本分であると。
だが、俺の胸には焼けるような違和感が居座っていた。
「冷たくなんて、させません」
俺の言葉に、ガレンは鼻で笑った。それがどれほど傲慢な、あるいは呪いに近い執着であるかを知っているかのように。
「さて、そろそろ行くか。」
ガレンの声で身支度をして歩き始めた。
(やはり、膝を庇っているな。歩き方に違和感がある、車椅子でもあれば…。無意味だな地面が舗装されているわけでもない)
そんな考えをしながら森の中を歩き街道に出たとき、それは現れた。
緑色の肌、尖った耳。子供のような体躯をしていながら、その眼光には純粋な殺意が宿っている。
「……ゴブリンか。厄介な数だな」
ガレンが剣を抜こうとするが、その右膝が微かに砕けるような音を立てた。
三匹のゴブリンが、嘲笑うような声を上げて距離を詰めてくる。俺はその「あまりに人間に似た姿」に、足がすくむのを感じた。
(くそっ、クレーマーの方がマシだと思う日が来るとは)
俺は震える手で短剣を握りしめた。
「やめておけ、それではわしを殺すことはできない」
昨晩ガレンに、言われた言葉をおもいだす。
殺す――。その言葉が、心臓を直接掴まれたような衝撃となって全身を駆け巡る。
目の前の「人の形をしたもの」を、俺は今から殺さなければならないのか。
それとも、あの日のように、また「生」に固執し続けるのか。
緊迫した対峙の中で、脳裏に一瞬だけ、掠れた声が響いた。
『………しても良いんだ。』
その言葉の空白を埋めることができないまま、俺は獲物を前に、ただ短剣を構え直した。
調子に乗って2話目投稿。
おやすみなさい。
誤字脱字は教えてもらえると嬉しいです。




