ひとりの試練
更新しないといいつつもなんとかできました。
門を抜けた瞬間、肌を刺す空気が昨日とは明らかに違っていた。
ガレンという、「盾」が隣にいない。その事実だけで、街道の木々のざわめきや、遠くで鳴く鳥の声が、まるで鋭利な刃物のように神経を逆なでしてくる。
(落ち着け。最悪を想定し、常に逃げ道を確保しろ)
周囲の違和感を察知しようと全神経を研ぎ澄ました。戦闘能力はないが、周囲の「不協和音」を察知する能力だけは、この世界でも通用するはずだ。
だが、その「警戒」が功を奏するよりも早く、世界は俺に牙を剥いた。
門からわずか数百メートル。街道脇の、一見なんの変哲もない藪が爆発したように揺れた。汚泥のような不快な体臭とともに、三体のゴブリンが飛び出してきた。
「ギギッ、ギガッ!」
絶望的な事実が脳を焼く。今の俺の筋力は、自己研鑽したのみだ。逃げる脚力も、敵をなぎ倒す腕力もありはしない。「死」という最悪の現実が押し寄せ、背筋に冷たい汗が伝う。
右側の個体が、錆びた短剣を振りかざして跳ねた。
ガレンの教えが、脳内で鮮明に再生される。
『お前の剣は殺すための道具じゃない。時間を稼ぐための盾だ。最短距離で、相手の力を逃がす位置に剣先を「置け」』
俺は無理に剣を振ることを捨てた。剣を抜き剣先をその襲撃の「軌道」へと置いた。
ガッ、という硬い衝撃。本来なら、俺の腕ごと弾き飛ばされるはずの一撃だった。
しかし、俺の「運」というパラメータが、物理法則の隙間を縫うように作用した。剣先がゴブリンの短剣の「力の中心」を完璧に外し、受け流した力がそのまま相手の突進エネルギーへと変換される。
「……っ!」
のめり込むように体勢を崩したゴブリンの、がら空きの喉元。
俺は一歩踏み出し、ただ「置く」ように剣を突き出した。刺すというより、相手が勝手に剣先に突っ込んでくる形だ。
ドロリとした、熱い感触が手に伝わる。
一体目のゴブリンが、声にならない悲鳴を上げて地面に転がった。
戦場は待ってくれない。一瞬の安堵の隙もない。
残りの二体が、仲間の死に激昂し、左右から同時に牙を剥く。
(……二体同時は、無理だ。)
死を覚悟した、その瞬間だった。
「——そこまでだ、醜い連中め!」
空気を切り裂く鋭い怒号とともに、一本の槍が風を巻いて飛来した。
左側のゴブリンの胴体を深々と貫き、そのまま後方の木に縫い付ける。
慌てて振り返ると、門の詰所から槍を投げ終えたばかりの門番が、剣を引き抜きながら猛烈な勢いで駆けてくるところだった。
「ギガッ……!?」
最後の一体が逃げようとするが、門番の鮮やかな一閃がそれを許さなかった。一瞬にして、街道には静寂が戻り、三体の骸だけが残された。
荒い息を吐きながら、門番が苦笑いして俺の肩を叩く。
「大丈夫か、新人! まったく、門を出てすぐ三体ものゴブリンに鉢合わせるとは、なんて不運なんだあんたは!」
不運。門番の目にはそう映ったのだろう。
だが、俺の心境は正反対だった。
もし、この遭遇がもう少し森の奥深く、誰も助けに来られない場所だったら。もし、この門番が持ち場を離れるのを一瞬でも躊躇していたら。そして、もし俺が最初の一体を「運」で仕留めていなければ、門番が間に合うはずもなかった。
「……いえ。助けていただけなければどうすることもできませんでした。俺は、自分が幸運だと思っています」
深く安堵の息を漏らした。
「ははっ、謙虚な奴だな! さあ、行くなら気をつけてな。そのゴブリンはお前にくれてやる。あんたが幸運なら魔石のひとつでも出るかもな、
あと忠告だが、簡単に命を諦めるな。諦めなければ今みたいに助かることができるかもしれん。」
「…ありがとうございました。」
門番の快活な声に見送られ、俺はガレンの動きを思い出しながらゴブリンの胸を開いた。幸運なことに3体とも魔石を持っていた。魔石を鞄に押し入れ、街道を再び歩き始めた。
(簡単に命を諦める。か)指先が錠剤に触れた気がした。
俺は微かな記憶を頼りに月見草の群生地へと辿り着いた。(無事に群生地を見つけることができたのは、運が良いとしか良いようがないな)
その後は不思議なほど他の魔物とは遭遇しなかった。まるで先ほどの戦闘で運の帳尻を合わせたかのような、静かな森。
俺は一度深く深呼吸をし、岩の上に腰を下ろして、掌に残るゴブリンを倒した、不快な感触を布で何度も拭った。
(落ち着け。ここからが本番だ。)
俺はギルドで教わった手順を一つずつ反芻し、作業を開始した。
まずは、群生地の中央で一際大きく、神々しい光を放つ「親株」を確認する。受付嬢の警告が脳裏をよぎる。これを抜けば、この場所の「持続可能性」は失われる。
(信頼を失うような真似は絶対にしない。これは俺の、そしてガレンさんの将来への仕事だ)
親株には決して手を触れず、その周囲に寄り添うように生えた子株へとナイフを入れる。土を広めに残し、根を傷つけないよう慎重に。
さらに、周囲に生えている「露草」を摘み取り、月見草の魔力を安定させるための緩衝材として一緒に束ねていく。
はじめは慣れない作業だっだが、回数を重ねるごとに慣れていく。気付けば必要な本数は確保できていた。
昨日、ガレンさんが「草刈りだ」と吐き捨てた理由が、今ならわかる。ただ引っこ抜くのと、こうして手順を守って「採取」するのでは、手応えからして全く違う。
鞄の中に、銀貨5枚と回復薬に化けるはずの極上品が収まっていく。
(よし……完璧だ)
全ての採取を終えた時、達成感とともに、奇妙な確信が芽生えていた。
俺の「運」がこの依頼を引き寄せ、結果として俺は一人で戦い、門番に助けられ、今ここにいる。全て実力ではないが少しずつ前進はしている。
この世界は、ステータスという名の残酷な因果で回っている。だがそれも自己研鑽で補うことができる。
俺は鞄を背負い直し、沈み始めた陽光の中を街へと向かって歩き出した。
一人の探索はまだ半分終わっただけだ、帰るまでが遠足とはよく言ったものだ。だが、いつの間にか、鞄の重さは銀貨の重みという現実的な感覚へと書き換えられようとしていた。
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