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第24話:正常性バイアス

【有明・そなエリア東京 喫煙室】



「これまで、モニター越しでしか見てこなかったんだよなぁ。実は……」



京極(35)が煙草に火を点け、低く唸った。目の前には、空を覆う巨大な光のドーム。「ここからだと、あの『輪』もはっきり見えますね……」隣で部下A猿渡(56)も、呆然とガラスに額を寄せている。「なんでも、望遠鏡で見ると、回ってるのが確認できるらしいですよ」だが——



「え……どこです? そんなの見えます?」



部下B雉岡(42)だけが、きょとんとしていた。彼は窓の外と、二人の顔を不思議そうに見比べている。その言葉に、京極と猿渡はギョッとして振り返った。だが、雉岡の表情にふざけている様子はない。



「……雉岡。お前、あれが見えないのか?」



「あれって……」彼は吸い殻を灰皿に押し付けると、軽く伸びをした。「皆さん、お疲れなんですよ。……自分、先に戻って配線終わらせときますね」部下B雉岡はそれだけ言うと、軽い足取りで喫煙室を出て行った。パタン、とドアが閉まる。



巨大な発光体を見上げる二人。



換気扇の音だけが、ブーンと響いている。「もしや。雉岡には、見えないということなのですかね」「かもしれんな。黒船来航の時も、理解できないものは、網膜に映っていても見えなかったと言うしな」



「……正常性バイアスってやつですかね」



猿渡の言葉に、京極は無言で頷き、短くなった煙草の火を揉み消した。「まあいい。それより、飯だ。腹が減っては戦ができん。」京極は不穏な空気を断ち切るように、スマホを取り出した。



デリバリーアプリを起動する。



エリア判定:有明。店舗一覧……『すき家』一件のみヒット。「ふん、牛丼か。悪くない。……並盛」カートに入れる。小計:580円。京極は《注文確定》へ進んだ。



 〜配送料および手数料の計算中〜



くるくると回るインジケーター。そして表示された金額に、京極は目を剥いた。



『小計:¥580』

『特別地域配送手数料:¥3,500』

『危険手当(レベル4):¥1,200』

『サービス料:¥200』

『合計:¥5,480』



「はぁぁぁぁぁ!? ご、五千……!? 牛丼一杯で!?」



「ああ……やっぱり。誰も入りたがらないエリアですからね。配達員ギグワーカーへのインセンティブ積まないと、マッチングしないんですよ」



「足元を見やがって……! こんなの経費で落ちるわけがない!」 



——だが、他に選択肢はない。空腹は限界だ。京極は震える指で、個人のクレジットカードを選択し、決済ボタンを押した。……屈辱だ





—— 90分後。ようやく届いた牛丼の容器は、冷え切っていた。京極は無言で蓋を開けた。



(……ボソボソする)一口食べるごとに、惨めさが胃の腑に落ちていく。これが、日本の頭脳であるこの私が食う飯か? 京極は箸を動かしながら、気晴らしにタブレットの画面を見た。監視対象のチャンネル——



修繕令嬢ミサキ』の配信が始まっていた。





【ウラヌス内部・ミサキの農園】



「うおおおおお! 出来たぁぁぁ! 文明の味だぁぁぁ!」



画面の中で、ガミが奇声を上げていた。場所は、ミサキが整地した農園の一角。そこには、真新しい石窯と、収穫されたばかりの野菜が山積みになっている。



「はい、おまたせ。『特製ダンジョン・マヨネーズ』の完成よ」ミサキがボウルの中で泡立て器をかき混ぜている。乳化した液体が、艶やかなクリーム色に変わっていく。



「卵はコカトリスの産みたて。油はダンジョン・ウォールナッツから抽出した植物油。お酢はベリーの発酵液。……化学調味料ゼロの、完全オーガニックよ」



「見た目完全にマヨネーズっす! 匂いも酸味がある! いきます!」ガミは、もぎたてのキュウリ(のような巨大野菜)を手に取り、たっぷりマヨネーズを掬った。そして、豪快に齧り付く。



カリッ! ポリポリ!



「んんん〜〜っ!! 濃厚! なにこれ卵の味が濃い! でも後味サッパリ! 野菜の甘味が引き立つぅぅぅ!」



「でしょ? コカトリスの卵、黄身が凄い色してたもんね」



「……美味い……マジで美味いっす……マヨネーズがあれば、草でも食えるっす……!」



「草じゃないわよ、立派な野菜。ほら、パンも焼けたわよ。小麦から挽いた全粒粉パン。これにマヨネーズ塗って、焼いたベーコン(オーク肉)挟んで食べなさい」



 ……オーク?? ま、いいや……



「BLTサンド! 最強!」



画面の向こうでは、湯気を立てる焼きたてパンと、肉汁滴る厚切りベーコン、そして黄金色のマヨネーズが輝いている。焚き火を囲み、満天の星空の下で繰り広げられる宴。そこには、金では買えない豊かさがあった。





【有明・執務室】



〜カタリ 京極の手から、――割り箸が落ちた……目の前には、半分残った冷たい牛丼。固まった白い脂が、照明を浴びてテカテカと光っている。5,480円の残飯。画面の中では、ミサキとガミが、おそらく原価ゼロ円の、しかし極上の食事を笑いながら頬張っている。



 ……ふざけるな。



京極は低く唸った。私は……エリートだぞ。国を動かす側の人間だぞ。なんで……なんであんな、社会の底辺ドロップアウトどもが……口の中に広がったのは、冷めきった脂と、砂を噛むような敗北感だけだった。



(第24話 完/第25話へ続く)

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