第三十話 人集り
その日、朝はすぐにやって来た。朝日の差し込まない「四の情報屋」は薄暗いが、体内時計で目の覚める冒険者は何人かいた。目覚めて状況を把握すると、音を立てないように外へ出て行く。
また、外に出ていた人々が一人も欠けずに帰ってきた。リオンがいるのを確認した冒険者の安堵と不満の溜め息が部屋を包んだ。不平、安心をそれぞれ口にして、すぐに外へと出て行く。今日は「第四の情報屋」が年間で唯一休みを取る日ではあるが、冒険者や旅人だって忙しい。今日この街を去る冒険者だっているのだ。
帰ってきた冒険者の一人、ヨハンは床で寝付く人達を避け、カウンターで作業をする女性に声を掛けた。
「おはよう、パトリシア」
「ん?ああ、ヨハンか」パトリシアは手元に向けた視線を動かさないまま言った。「おはよう」
「リオン君、見つかったんだな」
パトリシアはカッターを逆手に持ち直すと「ああ、そうだよ」と嬉しげに微笑んだ。
「勇敢な少女に救われたのさ。貴方と同い年ぐらいの子が、誰よりも早く素早い行動をしてくれたのさ」
ヨハンは肩を竦めた。自分達より前に外に出た人なんて一人しかいない。勇敢な少女というのがアリゼだと容易に想像出来るのに、あえて名前を言わないのは皮肉だからだ。
ヨハンは目の前の女性の遠回しな言い方に苦笑を返した。
「そりゃ申し訳なかった。俺達だってこの街の夜は怖くてね。誰だって死ぬのは嫌だろう?……でも、これで決まったんじゃないか?」
突然投げ掛けられた質問に、パトリシアは手を止めた。パトリシアの瞳が微かに揺れ、口元が強く引き締まる。
ヨハンは立場上、パトリシアの事をよく知っている。だから今、彼女が隠し事をしようとする表情だと分かってしまった。
「……何が?」
「何って、あれだよ。ほら、引き取ってほしいってヤツだよ」
自分にバレているのは気付いているはずだ、とヨハンは思った。だが、パトリシアは厳しい表情を崩して「ははん」と陽気に口角を上げた。
「まさかヨハンにバレてたとは!ははっ、私もびっくりだよ!」
声を抑えて笑うパトリシアに、ヨハンは苦笑いを浮かべた。隠し事がバレたら苦い顔をするのが普通なのに、どうしてパトリシアは笑っているのだろう。
「だって、一応俺はアンタの敵だからな?敵さんの情報を知らないわけないだろ?」
パトリシアは更に笑い、目元の涙を拭った。
「それでも人として危ないぞ?人の隠し事を情報って言うなんて堅っ苦しいねえ」
言い終えて、パトリシアの表情が一変した。ヨハンはその気迫に、一瞬たじろいだ。
「で?もし私がそれをやってもヨハンには関係ないだろう?」
凄腕の冒険者と戦うなんて誰がするか。ヨハンは冷静に首を振り訂正を求めた。
「関係ない事はない」ヨハンは猫背を伸ばしてパトリシアに近付きら整った顔に人差し指を突き立てた。「アリゼ、って子が気になるんだ。いや、名前が気になるんだ。聞き覚えがあるだけなのに、妙に頭に張り付いていて気色が悪い」
「それ、アリゼに言ったら傷つくから黙ってた方が良いよ?」
パトリシアは子供に言い聞かせるように声色を変える。ヨハンは馬鹿にされたと思ったが、ここで言い返すのもよろしくないと舌を出した。
「そういえば……」
不意にガタッと机が動く音が後ろから聞こえた。
ヨハンはパトリシアに聞きたい事があった。友としてではなく敵として、情報を得る為の質問をしたかったのだが、音に驚いて言うのを止めた。
「いっつつ……んぁ、トリッシュさん?……おはようございます」
机にぶつかり、目を覚ましたユニはヨハンとパトリシアを交互に見た。ヨハンはユニの名を知らないし、ユニもヨハンの名は知らなかった。ヨハンは名を尋ねるべく、ウトウトと首を傾ける彼の側にしゃがんだ。正直、この座って立つ動作は面倒だが仕方ない。
「おはようございます。突然ですが、名前を訊いても?」
「へ?」寝起きのユニは反射的に答えた。「ええ、ユニトレイアって言います。おはようございます」
ヨハンは素直なユニに驚いてしまう。アリゼという名の少女と話していた時、割り込んできたユニには良い印象を抱けなかったが、敬語を使うくらいの礼儀はあるようだ。
ふっとユニが顔を上げた時、ヨハンは目を見張った。昨日の夜は気にならなかったが、ユニの瞳は透き通る程美しい色をしていたからだ。
「……ユニトレイアさん、それって」
「ユニトレイア、ちょっと良いかい?」
パトリシアがヨハンより大きな声を張り上げ、ユニを手招きした。意図的ではないにしろ、相変わらず嫌な性格だとヨハンはパトリシアを睨む。睨んだのに、笑顔が返される。「食えない女だな」と年配の人の真似をしたが、かえって恥ずかしくなった。
冷ややかな目線をヨハンに向けた後、パトリシアはカウンターを鮮やかに飛び越えて、ユニの肩を組んだ。
「ヨハンは置いといてっと。ねえユニ、知ってるかい?」
パトリシアの腕を払う事なく、ユニは欠伸をした。「何がです?」
「実はねえ、ふふふっ」パトリシアは勿体ぶるように溜めた後、ユニの頬を突いた。「今日は王族が来るんだよ」
まだ眠かったユニは、王族という単語に激しく反応した。意識がはっきりとし、ニヤつくパトリシアの顔をようやく見る。溢れんばかりの好奇心で笑みが漏れるが気にしない。
「王族ってあの!?」
「そうそう、あのラガンライラのお姫様さ!」
王都ラガンライラ。マナシィと話して以来聞かなかった名前に、ユニは身体が震えた。まさかこんなところで王族が見れるとは、と嬉しさで理性のタガが外れてくる。
王族自体に興味はない。だが、急速な発展を遂げた種族には興味がある。一体どんな人物なら、偉業を成し遂げられるのか。
「えっと、マジですか?」
ユニのキラキラと光る無垢な瞳に、パトリシアの顔の筋肉が若干固まる。こんなにも喜ぶなんて想定外だった。
「うんうん、大真面目さ。それより今はみんな寝てるから、外で待ってようか。姫様が来るのは昼時だから、良い場所取っておこう!」
「でも、ネリスって子をフリッツさんに……」
「んなもん後で良いよ!その辺はお姉さんに任せなさい!」
実際はヨハンから少し離れたくなっただけだが、この機会に王族も見ておこうと思った。パトリシアはヨハンに「ユニは外に出たからアリゼもおいで」という伝言を預け、脱兎の如く飛び出した。
*
「……ゼさん、アリゼさん」
誰かが自分の名を呼んでいる。しかし眠気に負けて、アリゼは寝返りを打った。
「アリゼさん、ちょっと」
もう少しだけ寝かせて、とどこかで聞いた事のある台詞を口にする。
アリゼの横で「怠い」と口を尖らせたヨハンは、更に彼女の肩を揺すった。そしてようやく、アリゼの意識が覚醒した。アリゼは震える瞼を開けて、自分を起こした人物を確認する。
「ああ……おはようございます……」
見慣れた黒髪は昨日より乱れているが、怠そうな目つきと猫背からすぐにヨハンだと分かった。
アリゼは乾いた目をこすり、上体を起こした。
「どうも、おはようございます」
眉間に皺を作り、ヨハンは挨拶を返した。アリゼは逸らされた視線と眉間の皺から、ヨハンが不機嫌であるのが容易に分かった。
困ったな、とアリゼは頬を掻いた。助けを求めるべく辺りを見渡すと見覚えのない場所で、目を覚まそうとまた目をこすった。
「アリゼさん、ヨハンですよ」
ヨハンは立ち上がり、アリゼにも立つよう促す。
机や椅子は初めて見た時と同じように整えられ、部屋の内部を照らす灯りは色が変わっていた。床で眠れた事に驚きつつも、縛られているネリスとレオン以外がいない事にアリゼは疑問を抱いた。
「えっと、どうなさいました?」
とりあえず、今は自分を起こした相手が気になる。昨日の今日で仲良くなれたとは思えず、アリゼはヨハンを不思議に思った。彼は黒い髪を乱暴に掻き毟り、首を回した。
「ユニトレイアさんとパトリシアが外で待ってる、早く起きてほしいって」
アリゼは片眉を上げた。ユニが?
何故ヨハンにそれを伝えたのか、外で何があるのか、ネリスをこのまま放置して良いのか、と疑問が溢れて止まらない。心配事が重なり、アリゼは外に行くのを躊躇った。
「はぁ」ふとヨハンが盛大な溜め息を吐いた。「アリゼさん、この子は俺が預かるので大丈夫ですよ」
「え?」
アリゼは自分より少し年上であろう相手を見つめた。「預かるって、なんですか?」
「俺はこれでも騎士団に所属してるんです。だからまぁ、情報屋への引き渡しは任せてもらっても構いません。信頼出来ないなら、それでも仕方ないです」
騎士団とは何だろうか。聞き覚えがなく、馴染みもない。だが、頭の中で作られたイメージは盾と剣を持ち、鎧で身を包んだ熟練者のまとまりであった。
ヨハンのラフな格好は想像と当てはまらなかったが、ヨハンの「あー、もう良いです。アリゼさんとユニトレイアさんが帰ってくるまでここにいるんです、楽しんできてください」とヤケクソな物言いに驚いてアリゼは居心地の悪さを感じ、外へ逃げ出した。
外に出たのは良いもの、昨日は風呂に入ってもいないし、食事も口にしていなかった。朝なのに人通りが多い情報の街の中をこれで歩くのは、多少の勇気が必要だろう。
だが、ここの情報屋には風呂が無かった気がする。食事を貰うのも気が引ける。
アリゼは数分考えて、ユニ達と会ってから相談しようと結論付けた。
それにしても、とアリゼは大きな情報屋を振り返った。ヨハンの黒髪に怠そうな態度は「あの少年」に似ているのにあんな台詞を言うなんて、と若干失望した。勝手に期待するのは悪いが、まさか記憶違いなのだろうか。いつもの夢では——
アリゼは足を止めた。……夢?
確か、今日も夢を見たのでは?と一人思案に暮れる。
そうだ。見た、絶対に。アリゼは足を止める罪悪感から、歩みを進めた。歩きながら、アリゼは薄れて拙い夢の記憶を必死に探った。
——忘れられて、良かったね。
しかし、その言葉以外は思い出せなかった。自分が言ったのか、それとも誰かが言っていたのか。
まあ仕方ないか、とアリゼは開き直る。今は自分を待っているユニ達を探すべきだ。
アリゼは昨日よりも人が多く、歩幅の広い人達に流されて、ユニ達を探すどころではなくなってしまった。「四の情報屋」から離れ、広い道に出ると、やっと自由に動けるようになった。
全部の道を広くすれば良いのに、とアリゼは文句を垂れる。結局ユニ達がどこで待っているかも分からないし、お腹も空いて散々である。
歩くだけじゃ意味がないなとアリゼは思った。居場所が分からないなら、人が集まっている場所を探そうか。
右へ左へ、適当に歩く。元々何がどこにあるかは知らない為、闇雲に歩いてみようと思った。看板のない花屋、選り取り見取りの武器屋、醒石の見本品を置いた店、数々の店舗はどれも魅力的で種類が豊富だった。店に置く商品は同じなのに、色や種類が違って面白い。金貨と銀貨は数枚持っていたが、食品を見ても買わないように気を付けた。
歩き回っていると、何度目かの人集りを見つけた。これまでと同じで何かのセールかと思ったが、周りに屋台や店が並んでいない為、アリゼは首を傾げた。近付いてざわめきに耳を立てると「またか」と、抑揚のない言葉が聞こえた。
何か、あったかな?とアリゼは辺りを見回した。すると、人の隙間から見覚えのある壁が目に映る。
突然ぞくりと背中が泡立ち、アリゼはハッとした。昨夜はよく見えず、道も分からなかったが、月に照らされて見えたあの路地裏の壁だけは、確かに覚えている。アリゼはそこでようやく、ここが昨日殺されかけ、初めて人の亡骸を見た場所だと気付いた。
まだ村に住んでいた時、冒険者兼記者という人が宿屋に泊まった事があった。なんでも醒石と醒者にまつわる話や事件を取り扱っているようで、興味深い話を聞く事が出来た。ある話の中で、その記者は「犯人はよく現場に戻ってくる」と言っていた。
今、それを思い出したのは本能からだろうか。その言葉が蘇り、アリゼは途端にこの場が危険であると思えてきた。アリゼは人集りの奥に行く事なく、そっとその場を離れて深呼吸した。それでも、この通りを通った人が好奇心で近付き、状況を理解してから周りと恐怖を語る。アリゼの近くの人も「これで何回目?」と誰にともなく話を振り、殺人鬼の話題を広げて行く。
もう、ここには来ちゃダメだ。アリゼは防衛本能で駆け出し、目に入った派手な家の前に座り込んだ。「四の情報屋」があった通りよりも人が少ないところを見ると、こちらは裏の通りと言うべきか。
アリゼは膝を抱えて顔を覆った。ずん、と重い恐怖がのしかかって、自分の鈍さを悔やむ。こんなにも早く忘れるのか、昨日の事なのに。
とりあえず落ち着いたら、ユニとパトリシアを探して、ここに近づかないように言おう。出来れば昨日の事を打ち明けたいが、言ってしまえば命の危機が迫るだろう。なら、どう説明したら良いのだろうか。
「アリゼさん?」
考え込んでいて、誰かが近付いている事になんて気付かなかった。アリゼは突然肩に手を置かれた事で身体を揺らし「ぎゃっ!?」と甲高い悲鳴を上げた。
「ぼっ、僕っ、リオンです!」
アリゼは後退り、自分を呼んだ少年の顔を恐る恐る見た。確かに昨日も見たリオンの顔である。
知り合い相手に我ながら恥ずかしい声を出したものだ、とアリゼは恥ずかしくなった。アリゼは紅潮した頬を覆った。
「どど、どうしたの?そ、それより偶然だね」
昨日とは真逆の立ち位置だとアリゼは思ったが、リオンは特に気にした様子ではなかった。リオンは一度後ろを振り返った。
「探したんだよ」
それは個人的だろうか。それともユニ達に頼まれたのだろうか。アリゼは顔を上げ、壁に背を預けたまま立つ。
「私、変な場所にいたよね。ごめん、その、どうして?」
言いたい事がまとまらない。アリゼは自分の語彙力を恨めしく思う。
リオンは金髪を揺らして、目を細めた。年相応の少年らしく、見ていて清々しい笑顔だった。
「お礼を言いたくて。昨日は本当にありがとうございました」
ペコリと礼儀正しくお辞儀をし、リオンは照れ臭そうに拙い敬語で続けた。
「僕って結構方向音痴なんです。だから昨日はほんっと嬉しくて……あ、そっ、その!今日が何の日か知ってます!?」
両手を胸の前で動かして、リオンはアリゼに伝えようと努力した。あまり自分から人と話さない為、緊張していた。
アリゼは「今日?」と首を傾げた。「えーっ、分っかんないなぁ」
「今日は王族が来るんですよ」
「……王族?」
「はい。僕達はこれが目当てでこの街に来たんですけど、えっと……」
興奮気味だったリオンは声を抑えた。
「こっちじゃない方を通るそうなんですけど、良ければ一緒にどうですか?あっ、トリッシュもアリゼさんの事待ってて!」
正直王族という存在には疎く、見る気分でもなかった。しかしアリゼは強く頷き「良いよ!」と親指を立てた。自分より年下の子に心配されるのは、自分の信条が許されなかった。必死に笑顔を作ってリオンの背丈に目線を合わせる。
「そうそう、リオン君、堅苦しいのはやめよっか。私の事は呼び捨てで良いよ。それに普通に話してくれたら嬉しいな?」
子供が好きだ。アリゼの直感がそう告げた。
「私、子供が好きなんだ。だからリオン君とは普通に話したい」
少し馬鹿にしているかな、とアリゼは不安に思った。しかしリオンは不器用に口角を上げ「うん」と、はにかんだ。




