第二十九—二話 今後
うーん、進まない……これは困りました。
毎度毎度、更新遅れて申し訳ございません。
予想外の事、というのは安心している時程起こりやすいと誰かが言っていたが、まさしくその通りである。
アリゼはううん、と小さく唸った。
森の中にいた女の子は、ネリスと呼ばれたこの子は、目の前にいるパトリシアの妹だと言う。そう言われると、髪の毛の色が似ている気がするし、ネリスを初めて見たパトリシアの反応も薄かった気がする。
アリゼとユニの動揺に気付きつつも、パトリシアはネリスの縄を解き、彼女の頭を数回叩いた。
「じゃあ、改めて紹介させてもらおうか。この子は私の妹のネリスだ」
「いやっ、何普通に紹介してんですか!?」
納得云々ではない。アリゼも同じ事が言いたかった。だからユニの的を射た疑問に、アリゼは何度も頷いた。もし妹だと言うなら、パトリシアにもネリスという子にも聞きたい事が沢山ある。
アリゼはパトリシア、レオン、リオン、ネリスの四人を見比べた。なら三人姉妹プラス弟という事か。ならパトリシアが自分をお姉さんと呼び、気遣いの出来る大人に見えても仕方がないかなと思った。
「隠してたつもりはない……と言えば嘘になる。でも言いたくなかったのは事実だよ。お姉さんにも黙っていたい事はあるんだから」
「でも、三人姉弟なんですよね?」納得し難い事実にアリゼは堪らず、もう一度唸った。
「あっ、あー……そんなのちょっとした手違いに過ぎないさ。私のミスだよ、気にしないでくれ」
何がミスなのだろうか、とアリゼは眉を寄せた。だが、パトリシアはあっさりと流して、椅子を並べ始めた。「まぁ、とりあえず座って」
ネリスを囲むように並べられた五つの椅子の一つに、パトリシアは座った。続いてレオンとリオンが無言で両隣りに座る。アリゼはパトリシアの唐突で信じ難い話についていけなかった。初めての遠出であるのに、何故一日でこんなにも頭が疲れるのか、と文字通り頭を抱えた。
アリゼが疲れているのに気付いたのか、ユニが「座れよ」と促してくれた。気が利くユニに、アリゼは疲労に染まった表情でお礼を述べた。
「ありがとう、ごめんねユニも疲れてるのに」
「え?うん、良いぜ」
ユニはきょとんと惚けた表情で流したつまりだったが、周りから見たら不自然だったのだろう。結局パトリシアに「二人とも座って」と労われてしまった。
円卓を作ってまで周りを閉鎖すると、パトリシアは満足して微笑んだ。アリゼは今になって、パトリシアという女性が何をしたいのかが分からなくなってしまった。
「それで、どこから話そうか」
パトリシアは徐に言うが、ふと「ああ、やっぱり」とレオンに合図を送った。黙ったパトリシアを横目に、溜め息を吐きつつもレオンが唇を舐めた。
「……今大切なのは私達の事じゃなくてネリスの今後について、だよね。だって、問題はネリスにある」
分かるな、とアリゼがユニを見ると、目が合った。アリゼはなんとなく気まずくなり、視線を逸らして考えた。
そもそも今回森の中へ入ったのは、フリッツという情報屋兼傭兵の依頼からだ。目的地である村の情報を入手する為に、必ず受けねばならない依頼である。たまたま変な人に目をつけられただけで、目的は変わらない。だからアリゼ達は依頼の「魔物退治」をどうしてもやりきる必要がある。
しかし、肝心の魔物がまさかの人間だった。小さな魔物達の詳細は不明だが、あの巨大な魔物は「アリゼ達よりも幼い見た目の人間」というのが本当の姿だった。これでは、退治するにも迂闊に手は出せない。
「ごめんなさい、ちょっと戸惑ってしまったけど、必要最低限の事だけ聞いても良いですか?」
必要最低限、とは我ながら良い単語を使った、とアリゼは噛み締めた。自然と口に出てくるというか、無意識に付け足してしまうというか、そういう言葉に近いコレは使い勝手が良さそうだ。
アリゼが「とにかく沈黙を崩さねば」と思い言い放った言葉は、震えていて情けない。村で長らく共に過ごしたユニには、寒さでの震えではないと分かるだろう。今はとにかく、沈黙が嫌だった。
「良いよ、どうぞアリゼ」
パトリシアが三人の弟妹達へ視線を泳がせた。レオン達とパトリシアが一瞬目を合わせたところから、質問をぶつけたいネリスにも直接聞く事が出来そうだ。
「ネリスさんはどうして森にいたんですか?」
一瞬過ぎる、森の魔物と路地裏の男。今日の出来事を唐突に思い出すのは、どうしてだろうか。少し、疲れているのかもしれない。
——落ち着け、私。大丈夫、建物の中は安心だ。
アリゼは深呼吸をしてネリスの方を見た。彼女は腕についた縄の跡を触りながら、おずおずと顔を上げた。森での強気な姿勢が嘘のように、今は怒鳴るだけで驚いてしまうのでは、と思うくらい弱気な姿勢で椅子に腰掛けている。
「私が森にいたのは、姉達との喧嘩から」
ネリスは何度もパトリシアの様子を窺い、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……色々ある。でも今は必要最低限の事しか言わないよ。私が森にいたのは、姉達との価値観の違いから。まぁ、それは良いかな別に。で、私は一応あの森に三ヶ月は住んでた。食べ物も、寝る場所も何も困ってなかった。……二人はすでに分かってると思うけど、私は醒者なんだ、能力は魔物限定の変身」
醒者……!久し振りに聞いた単語に、アリゼの胸が高鳴った。こんなにも身近に、能力を持った人がいるなんて、さすが「情報の街」だ。
「ああ、まとめらんないや。何言えば良いのかな」ネリスが困ったように頬を掻くと、次第に声が独り言のように小さくなった。気になってアリゼが彼女を見ると、ネリスの視線は宙を彷徨っていた。
「……自分では変身してるのが分かんないんだよ。だから私はあの森に籠ってた。もう使われなくなった観光地なら、人は来ないから」
不意にネリスはわざとらしい笑顔を作ると、パトリシアに焦点を合わせた。
「お姉ちゃんは、分かってたんだよ。止めたでしょ?お前達の事」
アリゼは森に向かう前、警告だとパトリシアが言ったのを思い出した。見ず知らずの自分達ではなく、妹を心配していたのだ。
「なのに、お前達は私のところに来た。どうしようって思ったけど、やっぱり魔物退治が目的だったんだね。あーあー、こんな事なら見つかんなきゃ良かった」
ネリスはぐったりと頭を垂れ、椅子の上で脱力した。パトリシアと同じ色の瞳が微かに揺れ、ネリスは溜め息を吐いた。
「で、どうするの?私を傭兵団にでも差し出す?それともこの情報屋に売る?」
「えっ」
「えっ、じゃないよ。じゃあお前達はどうやって魔物退治の証明をするつもりだったのさ。何の為に私を森から連れて来たの?」
「ネリス」
「……はぁい」
パトリシアの一言でネリスは口を閉じ、だらしなく足を伸ばした。
魔物退治の、証明。アリゼは噛み締めるように頭の中で繰り返した。確かにこの少女を連れてきた理由は魔物を退治したという証拠のつもりだったが、すでに顔見知りとなった人の妹だったら、考え方が変わる。アリゼには傭兵団に差し出す、というのがよく分からなかったが、それでも「差し出す」というのは良い響きではない。
なら、情報屋に売るのはどうだろうか。売るなんて縁起でもないが、それなら結果的には傭兵団へと移るのではないか?
仕組みは知らない。だが、少女にピッタリの言葉は「捕まる」のだとアリゼは直感出来た。
「……ねえユニ、私はこの子を売れないよ。絶対悪い意味だよ。このまま黙っていた方が良いと思う」
諦め掛けていたネリスの表情が驚きに変わった。
アリゼは少女を売るなんて事は出来ない。きっとユニも、自分と同じ考えだと思っていた。
「……売るとかじゃなく、しっかりと情報屋の人に話すべきだ。幸いここはその情報屋だし、フリッツとかいう人に話して処遇は決めて貰えば良い」
ユニの大人びた返答と予想外の提案に、アリゼの思考は停止した。
「どうして?」アリゼは納得がいかなかった。「だって、パトリシアさんの妹なんて……」
「知り合いの家族なら、依頼を蹴っても良いのか?」
ユニは紫色の瞳でアリゼを睨む。彼にも、彼なりの考えがあるが、今のアリゼに話す必要性は皆無だった。
アリゼは口をつぐみ、パトリシア達の様子を窺った。三人は反応する事なくユニの話を聴いている。三人は、それで良いのか?
ユニの手がアリゼの肩に置かれ、アリゼはゆっくりと顔を上げた。
「アリゼ、俺達は急ぐ必要があるんだ。分かるだろ?」
ユニは眉を寄せ、苛立ちを隠しているように見えた。アリゼは驚愕し、やはり返事が出来なかった。
「うん。そうだね、お姉さんも同意見だ」パトリシアの冷たい眼差しが、ユニからネリスに移された。「じゃあ今日は……ありゃもう朝かな。まぁ良いや、今日はもう寝て明日ネリスについて説明しよう。生憎今のここには、肝心の情報屋さんがいないからねえ」
パトリシアがぐっと首を伸ばした。「みんな、今日はお開きだよ!おやすみっ!!」
その一声で、機械的にレオンとリオンが立ち上がった。二人が片付け始めると、ほとぼりが冷めぬ冒険者達も、騒ぎながら片付けを開始した。
「さっ、二人はもう寝なさい」とパトリシアが優しく囁いた。
「ここでですか?」
「他にどこで寝るんだい!地べたでお休みよ」
パトリシアは姉御的に言い放つと、椅子を持ち上げて店の奥に消えていった。アリゼは目で追うが、数多くの大柄な冒険者達の身体で、すぐに見失ってしまった。
眠くはない。だがパトリシアの言い方だと、すでに夜は更けている。なら寝るべきか。
アリゼは悩みと恐怖とユニへの気まずさに、ずっしりと心が重くなり、疲れてしまった。
「うっそだろ、マジでここで寝るのかよ。……眠れるか?」
どこから取り出したのか、椅子を退けてユニが毛布を床に敷く。ユニは自分が寝転がってから、アリゼの事を手招きした。適応力があるのは羨ましい事だが、受け入れるのが早すぎだとアリゼは苦笑した。
——しかし、心配そうに自分の顔を見つめるユニの変わりように、もう訳が分からなくなった。ユニは、ネリスを助けたくないのか。もう分からない、自分には彼が解らない。どうして分かった気でいたのだろう。まだ、二年の付き合いではないか。
アリゼは眠くもない瞼を下ろした。ユニとの仲の亀裂なんて考えたくもない。一旦リセットするのと同時に、気分も良くなってくれると嬉しい。
椅子や机、ゴミを片付ける人もいれば、すでに床で寝転がっている人もいる。ああ、早く寝るのは申し訳ないな、とアリゼが思ったところで、ふっと意識を失った。
「アリゼ、あのさ言いたい事が……って寝るの早いな。あっ、ごめんリオン、椅子よろしく」
アリゼが眠ったのが分かり、ユニはもう一度、色々な事を考え直そうと思った。殴られたのを根に持っている訳じゃないが、帰ってきたアリゼは明らかに怯えていて何かを言える状況ではなかった。
明日は早いのだろうか。いや、きっとシルトルさんの村の情報を貰って、向かう事が出来るだろう。なら早く寝て損はないな、とユニは花のように美しい紫の目を閉じ、忙しかった一日を終えた。




