第十九話 馬車の中
幾多もの馬車が、森の中を走っている。車輪が独特な音を立てながら、人工的に作られた道を進んで行く。
冬の寂しさから春の暖かさへと成長を見せる木々は風が吹く度に揺れ、その綺麗に咲かせた花弁を散らす。地面だけではなく、馬車の上にもその儚い花弁が舞い降りて、屋根を白く染め上げた。
暖かい木漏れ日を浴びて目を覚ましたアリゼは、はじめ自分が何処にいるのかを忘れて驚いたが、ガラス細工の商品や、大きな箱を見て、馬車の中にいる事を思い出した。
ガタン、と一際大きな揺れで身体を起こすと「おはよう。」と隣から挨拶をされた。
「うん、おはよう。」と返して隣を見ると、宿屋の息子であり、アリゼとともに村を出たユニが、ある客から貰った地図を眺めていた。
「ね、あとどれくらいで着くのかな?」
体感では、もう二日は経つだろうか。
この荷車を引く商人達に会えたのは、神の導きと言っても過言ではないくらい幸運だった。
村の外へ勢いよく飛び出し、小一時間歩いたところで数百メートル先に集団を見かけ、走って追い掛けたのは正しい判断だったと思う。
馬車というものを二人は実際に見た事はなかったが、歩かずに進む乗り物であるのは瞬時に理解出来た。
今、多くの馬車の内、最後尾で馬を走らせる御者に、アリゼ達は「情報の街」までの相乗りの許可を得て荷台に乗せて貰っている。
「知らねえ、出来るだけ早く着くと良いけど」とユニは手元の地図から目を離さずに呟いた。「それよりこの地図ってどう見るんだろうなあ」
手書きの地図を目に近付けたり離したりして、眉に皺を作る。
その地図は絵ばかりで、字が少ししか書かれていない。お世辞にも見やすいと言えないそれを地図と呼ぶのは、側から見るとおかしいかもしれないが、アリゼやユニは何となくそう呼んでいる。
アリゼ達の住んでいた村らしき場所の近くに滝が書かれており、そこから少し離れたところに「情報」と一言添えられているようだ。
見にくく、方向も分からなかったが「大丈夫だ、俺に任せろ」とユニが自信満々に言ったので、アリゼは文字が読めない事を含めて、地図の管理は全てユニに任せた。しかし、何という事か。
商人に拾われてすぐ「あー、情報の街ね。君達が来た方向と逆だけど良いのかい?」と言われて、地図の方向はあまり役に立たない事が分かってしまった。
商人達に出会わなかったら、一生目的の街に辿り着かないところだった、それも引っ括めて本当に有り難い。
地図に行くべきところは記されているが、どこにあるかは全く分からないという状況に陥った為、地図を書いた人物と親しいユニは、何としてでも解読しようとこの二日間、必死なのである。
「あー、分かんねえ。さすがにこんなに考えて分かんねえのは致命的だよな」
「だ、だね……」
遠慮がちにアリゼが同意したところで、馬車がゆっくり停止した。荷台についている小窓から外を覗くと、商人達が馬車から降りて何かを話しているところだった。
アリゼ達を乗せた御者も、その集団へ駆けていった。
「何だろ?」
「なになに?なんかあった?」
アリゼを押しのけて、ユニも窓に張り付く。「なんか話し合ってるっぽいな」
おそらく商人の代表が全員集まっているのだから、話し合いに決まっている。不満げに口を尖らして「それ以外ないでしょ」とアリゼが窓から顔を離すも「はー、あんなに集まって。おっ、戻ってきた」とユニは外の光景に夢中だ。
「戻ってきた?」
「ああ」
窓から離れて、商品を避けながらユニが座った時、丁度アリゼ達を乗せていた御者の男性が荷台の幕をめくった。
「お坊ちゃんにお嬢ちゃん、あと少しで着くけど、しっかり何かに捕まっててね」
その口調と、微笑んだ時に出来る目尻の皺は、男性の優しそうな性格を表しているようだった。
「何かあったんですか?」
「いやね、魔物の住処が近くにありそうだからスピード上げようって話し合ってね」
「ごめんねえ」と謝る男性に「いえ、乗せて頂けるだけ有り難いです」と返す。
最近は減ってきたが、今も森や洞窟に生息する魔物は人々にとっては恐ろしい存在で、旅人や冒険者にとっては有り難い存在だった。
魔物の角や牙は主に武器として加工され、倒した象徴としても取り上げられている。
しかし、魔物の生息地が狭まり、醒石と呼ばれる便利な物が流通すると、魔物は狩られる事が少なくなった。それで、昔は出なかったらしいが、村や街の近くに稀に現れるようだった。
「じゃあ、改めて出発するよ」
御者の男性が前に戻り、馬車はまた最後尾から出発する。ゆっくりとユーターンをした馬車が揺れた。曲がる時にガタンと大きな音がするのは、何度聞いても驚いてしまう。
馬車が動き始めてすぐ、ユニは空いているスペースに寝転がった。
「地図も読めねえし、俺も寝ようかね」
投げやりになったユニが口調を変えてきた時、ふとアリゼの頭に暗闇が過った。
今朝見た夢だ、と気付いたのは暗闇の中で一箇所だけ瞬いている光を思い出したからだ。何故このタイミングで思い出したのかは理解出来ないが、昔から見てきた夢のようで、なんとなくユニに話したくなった。
アリゼに背を向け、腕を組んで寝る体勢を整えたユニに「ねね、暇なら私の夢の話聞かない?」と肩を揺らしながら持ち掛けてみた。
「はあ、何で今?」
「昔から見てる夢だったってのを思い出して」
「昔から?」
「うん、そう!もしかしたら私の住んでた所かも……!」
「へえ。で?」
「よく言うでしょ?昔の風景を思い出す事があるって」
「はぁ」
「……どう?聞きたくなった?」
「んー」と何度か身体を転がしてから、ユニは上体を起こす。彼は乗り気じゃなさそうだったが、ニヤリと口角を上げた。「そんなに聞いて欲しいなら、聞いてやらん事もない」
「結局、暇なんでしょ」
「うっせえ」
聞いてもらえるのにこんな言い方ないよね、とアリゼが咳払いをすると、ユニは胡座をかいて姿勢を正す。
「で?その夢はどんなのだったんだ?」
「えっとね」アリゼは少しずつ思い出した夢を一つ一つ纏めて繋げる。「夢で私は暗闇の中にいるの」
「おう」
「そこでね、光が出てきて、なんだか暖かくて楽しい気持ちになったの」
「ん?」
「な、なんて言えば良いかな。とにかく不思議な感覚になったんだよね!」
ユニがゆっくりと首を傾けてゆく。「ちょっと何言ってんのか分かんない」とでも言いたげに眉根を寄せた。
「ちょっと何言ってんのかよく分かんねえ」
「で、ですか……」
やっぱり言いたげな顔をしていたんだよなあ、とアリゼは苦笑してしまう。
しかし自分でも分かっていた。説明が下手で且つ夢の風景を見ていない相手には決して伝わらないだろうと。伝えられるのは、語彙力がかなりある人か、夢を一から十まで覚えているような人ぐらいだろう。アリゼが昔から見ている夢はそれぐらい、不思議な夢なのだと思っている。
「とにかく、光がねえんだろ?」
何とか理解した部分を、ユニは引っ張り出した。「光がねえ村くらい、あってもおかしくないんじゃねえか?もしくは洞窟暮らしの民族かもな。」
「な、なるほど……!」
「まあ、それも情報の街とか呼ばれるとこで探してみようぜ。」
「うん」
「でも、良いじゃん」とユニは腕を組む。「その昔から見てた夢っつーのは、村にいた時は思い出せなかったんだろ?」
「うん。あっ、でも起きる直前は覚えてるけど、言おうと思っている内に忘れちゃう感じ」
「それは夢なら当たり前」
ユニがアリゼの頭を小突く。パシン、とやけに良い音がしたが痛くはなかった。
「あっはは……はぁ」
「環境の変化で少し変わったんじゃねえの。良い変化じゃねえか」
良い変化、確かにそうかもしれない。
アリゼは村を出る時に感じた、暖かな気持ちに包まれる。
アリゼが嬉しさに浸っていた時、前方から「揺れるよー」とのんびりした声が聞こえ、馬車が大きく跳ねた。荷台に積み上げられていた、固定されていない商品という名の荷物が崩れ、アリゼとユニの身体も横へ振られる。
揺れる荷台の壁の出っ張りに掴まり、窓から外を覗いて見ると、どうやら緩やかな坂を下っているらしい。坂は急ではないが、整備はされていないようで大小様々な石があるようだった。
先程まで喋っていたアリゼとユニは揺れから今の状況を理解し、商品が荷台から飛び出さないように抱えて、自分達も振り落とされないように踏ん張った。しかし、荷台の中はガタガタと外の音が響くだけであの大きな揺れは来なかった。
「ちょっと怖いね」「だな」と言葉を交わし、車輪が石に躓く度に捲れる幕の隙間から、ユニは何度か外を見た。
「石が入って来そうじゃねえか」
「そうなの?」
見ると、小さな石が中に転がってきたところだった。
「というか、なんか荒いな。運転してる人変わったか?」
そう言われれば荒いかもしれないが、アリゼは特に気にならかった。
「だって、降りる時に急ブレーキ掛けたら
危ないよ」
「でも勢いに任せても危ないだろ?」
「危ないだろ?」と反芻し、ユニはまた外へと視線を遣る。
若干馬鹿にしている言い回しが気に喰わないが、これも彼の性格だ、 仕方ない。アリゼは「二回言わなくても分かった。そんなに馬鹿じゃない!」という返しを呑み込む。
再びガタンと大きく揺れ、傾いていた馬車は水平に戻る。今度は揺れがいきなりだったので「んえっ」とアリゼはよく分からない言語を発してしまった。どうやらユニも、俯いて衝撃に驚いたようだった。
大きな揺れの後、徐々にスピードが落ちた馬車は、やがて停止した。
足音が近付き、ユニがずっと見ていた幕を御者の男性が捲り上げた。心配そうな顔でアリゼ達を見ている。
「大丈夫かい?」
「あ、はい」と応えるも、御者は見向きもせず商品を持ち上げた。ガラス細工のグラスだろうか、先程の揺れでヒビ割れているようだ。
「ああ、やっぱり……」
ガックリと肩を落とし、それを木で出来た床に置いた。
何とも言えない気持ちが駆けたアリゼはハッとして、片手で抱えていた商品を持って彼に近寄った。
「あ、あの……」
「ん?」
「これ、揺れた時にちょうど持っていて」
アリゼが持っていたのは、獣の彫刻と地図に書かれていた文字と似ている字が彫られた絵画だった。
ユニもアリゼと同じように、持っていたガラス細工の置物を無言で手渡す。こういう時に割れやすそうなものに手を伸ばすのがユニらしい、とアリゼは感心した。
御者は、アリゼ達によって守られたと言っても過言ではない商品をひとつひとつ持ち上げると、にっこり笑った。
「ありがとう、気が利くね」
お礼は嬉しい、と笑顔を返し御者から「もう見えてるよ」と言われ喜んでいるアリゼの横で、ユニは終始無言だった。




