第十二話 気がかり
その後、アリゼとユニは朝の「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたボードがぶら下がっている部屋で、宿屋の主人達を待った。ロビーの部屋を明るくするより、一部屋だけ明るくした方が色々節約出来るからだ。
アリゼとユニは、互いに無言だった。アリゼは、朝の『あの人』の挙動不審な態度に違和感を覚えながらも、彼に何も声を掛けてあげられなかった。彼は、自分の身に何かが起こると分かっていたから、アリゼの腕を掴んだのではと考えると、後悔が押し寄せてくる。
ユニもまた、さっきまで笑っていたのが不思議なくらい顔が暗くなっている。
時間が経てば経つほど、嫌な単語が思い浮かぶ。
*
話し声とともに、入り口から音がした。ガタンとわざと椅子の音を立てて、アリゼとユニはロビーに向かった。
見ると大勢の人を引っ提げて宿屋の主人が帰ってきている。今日は、あんなに人が泊まっていたのか。
「おかえり、親父」
アリゼは時折見せたユニの曇った顔を気にしながら、ユニの後ろへ着いていった。冒険者達が続々と宿の中に入ってくる。心なしか皆の顔が暗く、アリゼはもう何を言われても覚悟が出来ていた。
ユニの後ろから、一歩前に歩み寄りユニより前に出た。
「……ああ」
「おじさん、どうだった?」
宿屋の主人は顎を撫でた。足元を見て、一瞬眉を寄せた後、「み、見つからなかったよ」と言った。本当に、焦った時はユニと似ていると思う。
「……見つからなかった?」
「ああ、皆で森の中を探したけど、見つからなかった。いつものように、何処かに行ってしまっただけかもしれん」
宿屋の主人が大きく頷き、なあと他の冒険者達に相槌を促す。
「ええ。結局、誰も居なかったよね」
「ホントホント。あの血も、動物のものだったしねえ」
例の服についていたという血は動物のものだったのね、と宿屋の主人に言うとぎょっとしたように口を開けた。「ユニ、お前アリゼに言ったのか?」
「言った」ユニは悪びれた様子もなく続ける。「絶対、近い内に知っちまうんだ。なら早い方が良いじゃねえか」
むう、と唸って宿屋の主人はアリゼの頭に手を置く。
「アリゼ、ショックだろうが、必ず戻ってくるだろう。いつものように、な?」
気を遣ってか、ポンポンと頭を叩いた。うん、ととりあえず頷いた。
「ただ行方が分からなかったから、いつものように二、三日後に戻って来るだろう。
皆様、遅くまでありがとうございました。どうかおやすみなさったください。お食事は、後で運ばせていただきます」
お礼なんて別にいいっすよー、という声がどこからか上がって、冒険者達はわらわらと談笑しながら一斉に二階へと向かう。
何か良くないモヤモヤが残ったが大丈夫?とユニに声を掛けようとして、アリゼはやめた。ユニは眉を寄せて、自分の父親をじっと見つめている。
「じゃあ、ユニ。父さんは母さんを手伝ってくる。もう今日は手伝わなくて良いぞ」
ユニの表情に小首を傾げつつも、ユニの父親は厨房へ行った。
宿屋の主人が厨房に行き、冒険者達が二階に上がってから、少し遅れてマナシィと見知らぬ青年が宿屋に戻ってきた。二人は、ユニとアリゼに近寄る。
「お。」と、ユニが若干後退り引き攣った笑顔を浮かべた。アリゼに隠れるように後ろへ下がったユニにアリゼは疑問をぶつけた。
「どうしたの、ユニ」
「いや、ちょっとな」ユニはこちらを見ない。「色々あったんだよ」
気まずそうなマナシィに代わって、無表情の青年がユニに話し掛ける。「アメジストリーさん、他の人達はもう帰ってきましたか?」
「あっ。え、ええ、帰ってきましたよ。マナシィさん達が最後です」
「そうですか」と呟いて青年はふとアリゼを見た。マナシィと一緒に居るのには良い意味で相応しくないような若さで、自分達と同じくらいの年の彼は、真っ黒な瞳に所々跳ねた髪の毛がどことなく印象的だった。この人も髪の手入れが大変そうだなと失礼な事を思いながら、アリゼは頭を垂らす。
「あの、初めまして。宿屋で働かせてもらっている、アリゼと言います。えっと……冒険者さんは、見つからなかったそうですが、探していただきありがとうございました」
青年の眉が上がる。いえ、と言って青年は微笑んだ。笑った顔は、無表情の時よりずっと幼く見えた。
「彼にはお世話になりまして。こんな時にアレですが、自分はイーグル、と呼ばれています」
呼ばれてる?アリゼがそれを聞く前に、マナシィが口を開く。
「さて。イーグル、もう良いわよね。自己紹介が終わったところで、ユニ君、アリゼちゃん。話、良いかしら」
誰かが来るのを気にするように、マナシィは何度も厨房と二階に視線を遣る。物音がしないのを確認して、腰に手を当ててアリゼとユニを眺めた。
ロビー内の空気が、一瞬で変わるのが分かる。マナシィが何か大事な事を言おうとしているのが分かる。笑顔を消したマナシィは、目つきが厳しくなったイーグルと言葉を交わす。イーグルの黒曜石のような瞳が一層暗くなり、アリゼは息を呑んだ。
「とても、大切よ。心の準備は良いかしら?」
マナシィの髪を結わえた長い紐が揺れる。曇った顔のユニは、マナシィもアリゼも、イーグルも見ないで無言で頷く。また悩んでいるのだろう、耳では聞いていても、頭には入らないのだろう。アリゼは『あの人』とユニの事でざわざわとする心をなんとか鎮めて、大きく頷いた。
大切な話と言うのは、きっと。
「お願いします」
「……今から話すのは、彼——赤目の冒険者の事よ」
「やっぱり」アリゼはつい言ってしまった。「やっぱり、冒険者さんの事なんですね」
「ええ。察しが良いわね」
「何となく、分かってました」
アリゼは、このタイミングでの大切な話は、きっと『あの人』の事だと何となく分かっていた。宿屋の主人の、ぎこちない言葉と冒険者達の一貫した態度。それに「ただ行方が分からなかったから、いつものように二、三日後に戻って来るだろう」と聞いたのに、ユニは納得のいかない顔で首肯していたからだ。
「嘘、なんですよね。ええ、分かってました。だって『あの人』が来た時は、いつもすぐ部屋に呼んでくれて、話をしてくれました。行き先を言わずに出掛ける事もなかったですし……挙動不審で」
朝「また会おう」と言った寂しげな笑顔にも、違和感があった。「私も、ユニと同じでおじさんの……ええと、ユニのお父さんの言葉を呑み込めませんでした」
「そう、ね」
カタン、と厨房の方から音が鳴る。それを合図のように、アリゼとマナシィは黙った。話さないユニを見ると、マナシィの顔を見て、強く拳を握っている。アリゼは自分が居ない間に何があったのか、とても気になる。
誰か、が来るのを気にした四人の沈黙を破ったのは、イーグルだった。
マナシィの肩に手を起き、「マナシィ。部屋で話した方が良いんじゃないかな」と柔らかい口調で言った。敬語より低めの、断然親しみのもてる声でそういった彼の言葉で、マナシィは頷く。
「……分かった。行きましょう、アリゼちゃん、ユニ君。私の部屋で、詳しく話すわ」
全員が、その提案に乗るかと思ったその時、ずっと黙っていたユニが悔しそうに声を上げた。
「俺、行きたくないです。それより、もう聞きたくありません」
えっ、と三人の内の誰かが言った。
「何で?ユニ、しっかり聞いた方が」
「良いよ、もう。俺は知ってるから、聞きたくねえよ。アリゼだけ、聞いてきてくれ」
「そんな……」アリゼは言葉に詰まる。「だって、『あの人』の事だよ?知ってるって、まだマナシィさん達は何も言ってない」
「ごめん、ごめんなアリゼ。俺は、得体の知れない人達が、『醒石』が信用出来ない。あんな事、聞いちゃあ信じられねえ。だから、ほんと、ごめん」
すっかり変わったユニはすっとアリゼの横をすり抜けて、ロビーの奥に消えていった。扉の開く音と、閉まる音が響く。
——『醒石』?
何故その名称が出たのか分からないし、明らかに朝より怯えたようなユニが気がかりだ。本当に、何があった?
「あの、マナシィさん」
マナシィの顔を見て、アリゼはドキッとした。自分を追い込んでいるような、辛そうな顔でユニの事を見ていたからだ。
あの、ともう一度アリゼが声を掛けようとした時「聞かれたんだね」とイーグルが顎を引いた。マナシィは無言だったが、肯定するようにイーグルの目を見た。
それから「アリゼちゃん、その事も詳しく話すわ。だから、部屋に来て」とだけ言って、階段を上っていった。




