第十話 時宜を得た来客
※短かったので次回の冒頭部分を追加しました。
宿屋の主人を代表とした冒険者達が宿を出てから数分後。またユニが受付の席に座り煩悶し始めた数分後、階段を下りる人影が一人、音を立てずにユニに近付いてすっと息を吸った。
「ユニ君」
小さくもよく通る、今は聞き慣れたその声を聞き、ユニは椅子から転げ落ちた。
「マ、マナシィさん」
ひくっ、と頬が攣りそうになるのが分かる。目の前のマナシィは黒いローブを羽織り、腰に手を当ててユニを見た。
「……ユニ君、さっき何で此処は五月蝿かったの?」
思い詰めたような表情で、マナシィは視線を落とす。目線を合わせない事は、彼女に恐怖したユニにとっては有り難い。椅子を定位置に置き、座り直してゆっくり答えた。
「さっき冒険者さんの……アルベルト、さんのかもしれない服の切れ端が、血溜まりの中で見つかったらしい。それで親父達が……その、アルベルトさんを探してる」
呼び慣れない名前は言いにくい。それに『あの人』の名前が偽名である可能性が高く、言葉にし辛かった。
マナシィが言った通り、彼は死んでしまっているのだろうか。いや、そんな事はない。マナシィは未来予知が出来るはずがない。——いや、『醒石』の力を使えば或いは。駄目だ、考えれば考える程不幸な結果へと結びついてしまう。
ユニは気を紛らわそうと、受付の机の中に入っている新聞をひたすら見つめる。
「そう、彼の服が」
マナシィの声だけ聞くと、落ち着いているように感じた。それはしつこい程「話を聞いてないよね」と凄まれた時と本当に同じ人なのかと疑う程で。
「ユニ君、私も探してくるわ」とユニに静かに告げた。ジーという機械の音とマナシィの声、厨房からの湯を沸かす音、それらが混ざってユニの耳に伝わる。ユニは、周りの音と混ぜなければ、彼女の声を集中して聞けなかった。
マナシィさんには、聞きたい事が多過ぎるのに——ああ、対人で恐怖するなんて思ってもいなかった。ユニは新聞の「『醒石』情報」という記事の文字だけを読む。
マナシィが大きく息を吸って吐いた。
「……ごめんなさい。少し、焦ってしまってたの。さっき、見たでしょ?青い『醒石』。あれで人を呼んだのだけど、うん。呼んだ私の上司が来たら、冒険者を探して来るわ」
「マ」ユニの声が一言目で裏返り、妙に高くなる。咳払いをし、言い直した。
「マナシィさんの上司?」
「ええ、私の上司——というより、先輩かしら。そろそろ来る頃だと思うけれど」
はあ、と気の抜けた返事をする。勿論、マナシィの上司こと先輩はどういう人か気になる。気になるに決まっている。醒者の上司なのだから。
ちら、とユニはマナシィを一瞥したが、彼女はやはり浮かない顔でどこかをぼうっと見つめている。そして意を決したように
「ごめんなさい!その、手を強く握っちゃったわよね。取り乱してて、貴方に悪い事したわ」
と、マナシィは二回目の謝罪をし、ユニは相手が自分の手を見ていた事を知った。痛かったが、骨が折れただとか、神経が千切れただとか、怪我をしたわけではない。
「あ、ああ。大丈夫」
それでも痛かったし怖かったです、と付け足したかったが堪える。
「その、ね。なんて言おうかしら。お詫びとかじゃないけど」
マナシィが唇の端を結んだ、そして次の言葉を発しようとして、
——入り口の扉が勢いよく開いた。
足で蹴りでもしたのか、はたまた本当に力一杯開けたのか、扉の大きな音は余韻を残す。
扉の音と一緒に黒色の一人の男が顔を覗かせた。
受付のユニとマナシィを交互に見たその少年に、マナシィは「ああ、遅かったわね、イーグル」と言い駆け寄った。
——まさか、この男が……マナシィの上司?!
呆気に取られて、ユニは開いた口が塞がらない。
イーグル、と呼ばれた男は、少年と青年の間のような思っていたよりもかなり幼い外見で、マナシィより年下のように見えた。身長はマナシィより高く、男性にしては長めの髪を後ろで適当に結わえてある。黒い髪に黒い瞳、黒い服に黄色いラインの入った服を着たその男は、文字通り黒づくしであった。無表情で佇むその少年は、言葉にならない威圧感を携えている。
「マナシィ。いきなり呼ばれても困るよ」
見た目とは違い、高めの、柔らかな口調で話す。
「ごめんなさい、でも言った通りだったわ。早速、探しに行きましょう」
言った通り。ユニの背筋に悪寒が走った。やはり、マナシィが言っていた事は聞き間違いじゃない。マナシィは、『あの人』が居なくなる事を予言したのだ。
彼女の『醒石』の力は身体強化ではない、未知のものかもしれない。
ユニは二人の会話を黙って聞いた。軽い挨拶、『あの人』の詳細、この宿を経営している自分達の事など、それらに関わる言葉が何度も聞こえた。
ふと「へえ」とイーグルが言って、ユニの方を見る。「こんにちは。貴方がアメジストリーさん?」
コツコツとブーツの音を立てて、イーグルはユニに歩み寄り、手を差し出した。近くで見ると、身長はユニより高いのに、年齢はさほど変わらないように見えた。立ち上がっても、少し見上げる身長の相手に頭を下げた。
「は、はい。どうも、アメジストリーと言います」
その手を握り返し、ユニは挨拶を返す。礼儀正しいのか、正しくないのか分からない人だ。
「……僕達は、赤目の冒険者さんを探しに行きます。あなた方が安心出来るように、絶対に見つけます」
丁寧に述べると、握手をやめてユニから離れ「行くよマナシィ」と名を呼んだ彼女の肩を叩く。マナシィは頷き、二人は共に外へ出た。が、去り際に
「ユニ君、後で詳しく話すわ。あの冒険者の事も、王都に勤める私達が、何故彼を探すかという理由も」
と、マナシィは聞こえるか聞こえないか、微妙な声量で呟くように言った。
パタン、と扉が閉まり、宿には上に居るアリゼと、厨房の母、受付に居るユニの三人だけが残された。キーンと空耳が鳴り響く。眠ってしまいそうなくらい静かだが、沈んだ気持ちと疑惑の気持ちが半々のユニには、痛い程の静寂だ。
座って溜め息を吐き、頭を抱えたユニは『あの人』の事を思い返していた。
悪党を追い払った事、王族の護衛に選ばれた事、武器の剣が折れて失敗した事。勇ましい話から情けない話までたくさん聞いた。アリゼもまた、彼の話をいつも楽しそうに聞いていた。「私、村の外知らないんだ」と無理に笑うアリゼに、彼は本当に良い話をしてくれたと思う。ただの宿屋の息子にも辛い話を笑い話にして語った。
ユニは天を仰ぐ気持ちで天井を見上げる。
「はぁ」
『あの人』は死んでしまったんだな、とマナシィの言葉で実感した。ああ、あの時、姉が亡くなった時と同じで信じられない。頭で理解しても、精神が追いつかないような不思議な感覚。
その時、本当に突然、ユニは最悪の可能性が思い浮かんだ。
もしかして。マナシィとイーグルに握られた右手を見る。タイミング良く連絡をとったあの二人。その後に、『あの人』は謎の血溜まりを残して、消えた。まだ誰の血かはハッキリ確認されてないが、その血が『あの人』のものだとしたら——
自分の推測に呑まれてゆく。先程、冒険者達にユニが自分で「決め手ではない」と言った筈なのに、結局その結論に行き着いた。疑わしい、彼女達は怪し過ぎる。ユニには他の考えが思い浮かばなかった。というより、それ以外の事を考えられない程、精神的なダメージが大きかった。
「絶対死ぬんじゃなくて、殺したから必然的に死ぬんじゃないか?」
意識せずとも、口から疑いの言葉が漏れる。
何もない空間に、ユニの疑惑が満ちた。
*
鳥の声が聞こえる。朝の日の出と、夕方の日没にだけ鳴く、この村では有名な鳥の声。ただ、この鳥の名前は、誰も知らない。
マナシィ達を怪しいと思ってから、ユニの時間は驚くほど早く進んだ。気付いた時はもう夕方で、鳥が外で元気良く鳴いていた。頭がボーッとする為、もしかしたら寝ていたのかもしれない。そうだとしたら、姿勢良く、椅子に座ったまま寝た事になるが、呑気なものだ。
ユニは目を擦り、宿屋に入り込む橙色の夕焼けを見た。窓から入射して、床に窓枠の綺麗な影が落ちている。その橙色に目を奪われ「もう夕方なのか」と呟いた。
まだ、誰も帰ってきていない。厨房の音がいつの間にか止んでいて、ロビーには一人ユニの影がゆらゆらと揺らいでいる。
そうだアリゼ。朝以来会っていないアリゼは、今の状況を知らない。「アリゼには言うなよ」と父に言われたとしても、いずれ知る事実だ、言っておいた方が良いに決まっている。ユニは立ち上がり、受付から出ようとして、急に目眩のような症状に襲われた。
眠っていていきなり立ち上がった事による立ち眩みかと思い、目を閉じ、机に体重をかけて頭痛が治まるのを待とうとする。
「痛っ」
ズキズキと痛みの波で言う、激しい波が来た。いや、違う。痛いのは、目の奥だ。頭ではなく、目の奥に不快な痛みがあった。眉間を強く押さえて、歯を噛み締める。
しばらくそうしていて、やっと謎の痛みが治まった。顰めていた顔から手を離し、目を開けた所で、橙色のロビーにユニ以外の影が二つ、小さな影と大きな影が揺れている事に気が付く。
——周りの様子が、おかしい。
その見覚えのない人達には、真っ黒い影のようで、景色は歪んで見える。幻覚、だろうか。
低い方の影の口が動き「知りたいか?」と発した。向こうは口を開いたのに、頭の中に直接話し掛けられるような、変な感覚になる。
「何を?」と言いたいのに、声が出ない。
高い方の影が、人差し指ですっと真横に線を描いた時、ユニの身体は、暗闇に覆われた。




