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幕間 その頃の実家は 1

 ドウマ・アクセーン男爵は、口元を喜悦(きえつ)に歪める。

 書斎の机の上に、うずたかく積まれた黄金色(おうごん)の貨幣。

 アンリを辺境伯へと売り飛ばした対価であった。


「高い爵位を持っていようが、根は畜生よな」


 金貨を(さかな)に、度数の高いアルコールをあおり、かの辺境伯を皮肉る。

 さすがは氷の魔人。

 国境線平定のためならば、人を人とは思わぬ貴族の鏡だと。


「アレの血筋に目をつけたのだろうが、もはや秘蹟(ひせき)は枯れ落ちて久しい。そんなことも知らず、辺境伯も高い買い物をしたものよ」


 クツクツと、泥が煮立つような笑い声を喉の奥からこぼし、ドウマは酔いを自覚する。

 心地のよい酩酊感が、普段ならば口にすることもない独白(ひとりごと)を、多くこぼれ落ちさせる。


「アクセーン家はこれから発展する。一代で爵位を得た大商人であった父を、この種銭(たねせん)を元手に、(わし)は超える。領地を拡大し、高位貴族と結びつきを(みつ)にし、儂の領地で作られた革新的農業手法を輸出する」


 その次は、力を入れてきた絹の生産。

 染め付け職人たちに考案させている、新色布地のサンプル実売。

 稼ぎ用は、いくらでもあり。


「お父様ー」


 酔いしれる酩酊感を退けたのは、最愛の娘の声。

 ノックすらなく、ひとりの少女が入室してくる。

 ビタ・アクセーン。

 ドウマの娘であり、いずれ婿を取りアクセーン家を治めるもの。


 ビタがいま身につけるドレスに、ドウマは見覚えがない。

 買い与えた記憶はなく、ならば出入りの商人から仕入れたか。

 花咲く年頃の娘の、ささやかな散財を(とが)めるほど、ドウマは父親としての責務を捨ててはいなかった。

 そうだと、彼は内心、頷く。

 なんの役にも立たない無駄飯喰らいとは違うのだからと。


「おお、ビタ、どうしたんだい?」


 ゆえに、優しい声を作り、訊ねた。

 すると煌びやかなドレスを翻した彼女は、胸を張って、書類をドウマへと提出する。


「新しい領地運営のプランニングでしてよ」


 それは、ドウマが待ち望んでいたもの。

 喉から手が出るほど欲していたもの。

 もしかすれば、実際的な金銭よりも。


 或いは今、何より甘美と感じていた祝杯よりも。

 だからすぐに受け取り、酒気を脳髄から払い除け、内容を検分する。


「塩害地における陸稲(りくとう)栽培のノウハウ。燕麦(えんばく)の有意義な利用法。砂漠地帯における緑化手法の提案。染め付け技法の新たな発色にかんするレポート……見事だ」


 喝采。

 いま一度酒杯をあおろうとして、ドウマの首が、わずかにかしげられた。


 書かれている内容が、どれも中途半端なのだ。


 切りがよいところまで執筆されているわけではなく、本当に途中でぶつ切りになっている。

 これまで、ビタが提出してきた書類に、このような不具合はなかった。

 少なくとも、ほんの数日前までは。


「続きは?」

「へ?」

「この続きだとも、儂の愛しい娘」

「……準備中ですわ! まずはお父様を安心させて差し上げたく。ええ、お姉様など居なくても、まったく問題ないと」

「なぜそこで〝アレ〟の名前が出る?」


 ドウマはいぶかしげに目を細める。

 彼が認識する限り、アンリは己の立場に胡座(あぐら)()き、なんら家に貢献することなく財産を食い潰してきた忌まわしい存在だ。

 けっして、この場で名が出るなどありえない。

 まるで、有用性があった、などというように。


「な、ななな、なーんでもございませんわ! ただちょっと、お姉様を憐れに感じて」

「おまえは心の優しい子だな、ビタ。だが、その善意はいずれ足下をすくう。今のうちに捨てておきなさい。そして計画の続きをすぐ準備しなさい」

「承知いたしましてよ!」


 なぜか額の汗を拭うビタは、切り替えたように媚びた笑みを浮かべた。


「ところでお父様、ご褒美というわけではないのですけどぉ。わたくし、ほしい指輪がございますの」

「買えばいい。だが、それが己を飾り立て、これからの社交界で良い立場を築くと確信を深め、しっかり吟味(ぎんみ)してから――」

「もちろんですわ! では、失礼いたしますわね、ごきげんよう」


 承諾を得るやいなや、部屋を飛び出していくビタ。


「……やれやれ」


 わんぱくな子に育ってしまったものだとため息を吐き、ドウマは再び杯を干す。

 陶酔的に全てを楽観視しながら、考える。

 これから貴族社会で成り上がっていく、アクセーン家のことを。


「そうだ、アクセーンだけの力で爵位にふさわしいと認めさせるのだ。あの女の、血統などではなく……」


 ドウマの(まぶた)が落ちる。

 寝息が響く。

 彼の意識は、ここで睡魔に敗北する。


 ゆえに、まだ気が付かない。


 彼に手渡された計画書が、どれもこれも試算段階にすぎなかったこと。

 実地データのフィードバックが、これからであったこと。

 つまり、未完成も(はなは)だしかったことに。


 なによりも。

 このプロジェクトを作り上げていたのがビタではなく。

 自らが家より追い出したアンリであったことに。

 彼は、長らく気がつけない。


 それがどれほど致命的なダメージとなって、アクセーン家へ返ってくるか。

 ドウマはまだ、なにひとつ理解してはいない。


 凋落(ちょうらく)が、はじまる――


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