第四話 婚姻届ですか?
「あれは報酬だ。働いたものが報われないなどあってはならない。それは、どんな理由があれだ。同時に、使用人の仕事を奪われては困る。だから、いっとき君に、仕事を斡旋したという形で落ち着けたい。よって対価を払う」
明くる日、閣下と初めて一緒に食事をした際、私がプレゼントのことを訊ねますと、そのようなお返事を頂きました。
いうなれば、これは私がしでかしたことの大きさを知れという処置なのでしょう。
あれだけのプレゼントが無料なわけはありません。
それだけのお給金を、私は使用人の皆さんから奪ってしまったと……。
加えて、閣下のポケットマネーからも……。
「咎めるつもりはない」
しょんぼりしていると、閣下はそのように仰いました。
相も変わらず言葉は低く硬いものでしたが、決して不快ではなく。
「君の性格を把握しなかった俺の落ち度だ。また、善意を受け取れないと言っているわけでもない。婚姻を結ぶに当たり、君には家を盛り立てて欲しいという思いはある。だが、だからといって俺や、ユングバリ家が君から搾取をすることはないと、断言させて欲しい」
……えっと、甘すぎませんか?
今回のことは、私なりに自分の有用性を示したくてやったことですが、本来ならば出過ぎた真似を、と罰せられても不思議ではないことです。
それをプレゼントを贈り、御しきれなかったのは自分の責任だと言い、搾取するつもりはないと断言する。
……甘すぎませんか?
え? 辺境伯さまなのですよね?
一国の主にも等しき強権と、武力と、財力と人材を誇り、巷間では氷の魔人と怖れられるイェルハルド・ユングバリ閣下が、たかが男爵家の令嬢に譲歩しすぎではないですか?
ちょっと、私に都合がよすぎません?
彼の氷のような美貌と威圧感は、確かに今このときも感じていますし、それは人を遠ざけるものでしょう。
警戒させ、意固地な態度を取らせるかも知れません。
しかし、これは噂とあまりに違います。かけ離れています。
だって、このひとは、たぶん優しい。
なんということでしょう。
単なる風説を信じ込んでいた自分に腹が立ってきました。
たとえ、そのときは判断材料がなかったとしても、今、私には、このかたは理性と正しい倫理によって稼動していると理解できるのですから。
「食事を終えたら執務室に来てくれ。今後を決める重要な話がある」
そう言って、閣下は先に席を立たれます。
「閣下!」
風聞を鵜呑みにしていたことを謝罪したい。
そう感じた私は、慌てて食事を打ち切り、食器を下げようとしますが、
「休んでいていい。君は、政略結婚とはいえ、俺の伴侶になるのだから」
と、有無を言わせずに諫められる始末。
ううう……これでは昨日の失策と同じです。
恥じ入るばかりでいると、彼はじっと私を見遣り、
「薔薇は、嫌いだったか」
そう訊ねられました。
薔薇。
部屋に飾られていた、彼からの贈り物。
「……好きです。お花も、香りも。プレゼントなんてはじめていただきましたし、とても嬉しくて」
「そうか。ならば、いい」
今度こそ食堂を出る閣下。
私は質問の意図がわからず、答えが正解だったかもわからず、戸惑い。
「大丈夫ですよ、アンリさま。大正解です。自信を持って! なんだかんだ言ってますが、要するにうれしさが爆発して突発的に贈り物しちゃっただけですからね、主さまは。セレス、絶賛」
なぜかセレスさんに、励まされていたのでした。
§§
執務室を訪ねると、イェルハルド閣下はお仕事中。
それでも訪ねてきたのが私だとわかると招き入れてくださいました。
そうして、向かい合って座ると、彼が一枚の書類を、差しだしてきます。
「婚姻届だ」
「…………」
「知っての通り、貴族には平民と違い、王家に対して婚姻を行ったことを届け出る義務がある。逆に言えば、この書類にサインをし、誓いを唱え、送付すれば、その時点で俺と君は夫婦になる。理解は十全か?」
暗に彼はこう言ってくれているようでした。
今ならば、まだ逃げられると。
「閣下、私は」
「俺の噂は知っていよう。あれは事実だ。すでに四人、迎え入れた女性に愛想を尽かされている。俺は、そういう人間だ。冷血漢だ」
「ですが、私にはとてもよくしてくださいます。閣下はお優しい方です」
「……なんら態度を改めたつもりはない。優しいというのもわからない。俺は、教わったとおり、出来ることをやっているだけだ」
出来ることをやっている。
彼の言葉は、奇妙に私の胸を打ちました。
思わず、問い掛けてしまうぐらいには。
「どなたに、教わったのですか」
「む?」
「出来ることを」
「……教育係だ。いまはいないが、俺は言われるままに学んで、打ち込んだ。おおよそのことは全て出来た。武芸も、勉学も。だが……この通り、ヒトの心がわからない氷の魔人と呼ばれている。最も重要なものを持ち得ない愚劣というわけだ」
伏し目がちにしてかすかに口元を上げる彼の顔は、まるで自身を、嘲笑っているかのようで。
「そんな俺と離れるならば、これが契機だ。家のことなど忘れろ。滅ぶものはいずれ滅ぶ」
「いいえ、いいえ」
私は、書類を机の上に置き、閣下より羽ペンを借ります。
そうしてさらりと、自らの名前を誓約とともに書き込んだのです。
「私は、あなたの妻となりましょう。たとえそれが政略結婚でも、あなたが自らを卑下するとしても。私は信じます、閣下の有り様を肯定したいのです」
「……君は、すごいな。教育係が言っていたとおりだ」
件のお方が?
いったい何を?
「あいつは俺にこう言い残した。婚姻が上手く行かないのなら、君を迎え入れろと。きっと俺の知らない心とやらに、耳を傾けてくれるだろうと」
「私のことを先んじて存じていた、ということですか」
「さてな。あれは謎めいていて……とかく、署名した以上は覚悟することだ」
彼は私の手から羽ペンを取り去り、自分の名前を署名します。
そうして、こちらの耳元に顔を寄せて、こう囁くのでした。
「今宵、君の部屋へ行く。これが本当に、逃げうる最後の機会だ」
ん?
んんん?
「あの」
これ。
ひょっとして、まさか。
「初夜ってことですか!?」




