第三話 新しいお屋敷でお仕事をしましょう!
「おはようございます、イェルハルド閣下」
「……なにをしている?」
翌朝、私は閣下を食堂で出迎えました。
「聞いてくださいよぉ主さまぁ……」
よよよと泣き崩れたメイドのセレスさんが、閣下の前に跪いて許しを請うように両手を組みます。
「セレスはお止めしたのですが、アンリさまが」
「端的に説明しろ」
「……アンリさまは、この館の使用人を全員解雇させるおつもりです。セレス、失職」
「正気か?」
閣下が、こちらを見遣ります。
瞳の色は冷たく、正しく氷のようで。
それは彼が、屋敷に勤める人たちを大切に思っている証拠だと、雄弁に伝わりました。
セレスさんが、首を横へ振りながら続けます。
「だって、我々の仕事を一人ですべて、完璧にこなしてしまったんですよぉ!?」
「……正気か!?」
わずかに目を剥いて、唖然としてみせる閣下は。
しかしすぐに我へと帰り、顎に手を当ててなにかを考えはじめます。
「いや……確かに食堂へ来るまでの間、やけに屋敷の清掃が徹底されているとは感じた。だが、雇用者は七十人は降らないはず……それを、君がひとりで?」
おお、思っていたよりもずっと表情豊かな氷の貴公子ですね……。
やはり噂話とはあてにならないものでしょう。
そもそも噂話には、尾ひれ胸びれがつきものなので。
「その通りです主さま。見てくださいこの、屋敷のピカピカに磨かれた調度品、床、くすみひとつ無い天井を!」
ビシリとお屋敷の天井を指差す愉快なメイドさん。
彼女はさらにテーブルを指し示します。
「そしていま、ここに並ぶ料理の数々を。ぜんぶアンリさまの仕業です」
「仕業呼ばわりはひどくありませんか?」
さすがに一言言いたくなって口を挟みつつ。
閣下の前に、朝食を置きます。
といっても、朝餉ですからね、食べやすいものです。
温野菜のサラダに、空豆のポタージュ、近くの川で採れたという新鮮な魚のマリネ-、極めて衛生管理の整った半熟ゆで卵。それにふっかふかのパンとバターを添えて。
「これも、アンリ嬢が?」
「はい。閣下の恩義に報いたく、無理を言って使用人の皆さんからお仕事を譲っていただきました」
「それは、とても胸がポワポワするが」
「ポワポワ?」
「……ゴホン。いや、貴人は、このようなことをすべきではない」
「存じております」
まず、品格にかかわる。
王侯貴族は自らの手を動かさないことにこそ存在理由がある。
決断を下し、責任を取る、そう言ったシステムだからだ。
また、使用人さんたちの職務を奪うことは、すなわちその日の暮らしを立ちゆかなくさせること。
辺境伯家の使用人、侍従ともなれば、一定の名家のご子息やご令嬢が出向かれているという可能性も十分にあって、そのメンツと縁故を潰しかねない暴挙だとはわかっていました。
だからこそ、閣下は私の正気を疑われたのでしょう。
けれども、これは全て考えて、理解した上で行ったことです。
「ハンス、ヨハン、ユリカ、エルデ、パトリシア、ナナン」
「それは」
「皆さんのお名前とお顔は、全て覚えました。全員にお話をさせて貰い、今日一日の許可を頂きました」
それが、このお屋敷に来て、私が最初にしたこと。
使用人のみなさん、侍従の皆さん、昨日出入りしていた商人さんたちの全てを覚えること。
「私に出来うることはあまり多くありません。いま実証したこと。あとは文字の読み書き、算術、内政にかかわる一定のノウハウ、そんなところです」
「アンリ嬢、君は」
「私が差し出せるものは、これが全てです。あとは知恵と肉体ぐらい」
実家で知恵を出すなどと言えば、お父様は私を殴りつけ叱責したことでしょう。
道具にそんなものは求めないと。
けれど、私はできる限り、誠実に閣下へと自分の手札を全て開示したかったのです。
取り入るにしても、おもねるにしても、私は公正に閣下と対峙したいと考えました。
それは、昨日の様子を見ても変わらないことだったのです。
なぜならば、我が家を助ける融資とは、それだけの気構えが問われる事柄なのですから。
けっして、甘んじて受けてよい施しではないのです。
「閣下、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」
「構わない」
「ありがとうございます。感謝いたします」
「解せん。そこまで礼を言われることではない」
「……問いかけをむべなくされなかったのは初めてでしたので。では、改めて。私が閣下に嫁ぐならば、我が家は助かるのでしょうか?」
彼はゆっくりと目を閉じました。
それから、深く息をついて、目を開け。
碧玉の瞳の奥で、なにかの影が揺れていて。
「約束しよう。向こう十年にわたり金銭的な援助を行い、その間の業績によって、支援を延長すると」
「ありがとうございます。今一度、心よりお礼申し上げます」
深々と頭を下げれば、彼はまたひとつ息をつき。
それが、ため息なのだと気づいたのはずっとあとで。
「では、朝食にしよう。無論、君も一緒に」
「え」
「何故戸惑う?」
「いえ、その……実家では、男性と食事を共にするということは許されていなかったのです」
「そうか、箱入り娘か。あのような家であろうと、姫君は可愛いと――」
「私と食事を一緒にするのは、汚らわしいはずなので」
「――――」
……私は。
そのとき閣下の。
イェルハルド・ユングバリ辺境伯のご尊顔を支配したものがなんであったのか、わかりませんでした。
大きく、本当に大きく瞳を見開き、硬く唇を結んで、頬を硬直させていたその表情が、何を意味したのか。
私にも、そして閣下自身にも、どうやらわかっていなかったようで。
けれど、そのひとは。
「……明日から、できうる限り食事はともに取る。そして、俺は君に奉仕してほしいわけではない。そう心得ていてくれ」
私に、そう約束されたのでした。
怒らせてしまったのでしょうか?
しかし、どう謝罪すればいいのかわからず、私は言葉につまり。
テーブルに着いた閣下は、一口ポタージュを口にされると、また大きく息をつき。
「こんなにも美味く、味気がしないのは戦場以来だ」
そう、呟かれたのでした。
数時間後。
失敗してしまったと思いつつ、お屋敷の掃除を再度終えて部屋に戻った私が目にしたのは。
「……なんですか、これは」
部屋一杯を埋め尽くす、贈り物と花束だったのでした。




