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第二話 婚約者さまは本当に氷の魔人ですか?

 馬車に揺られて辿り着いた、この国の西端、ユングバリ辺境伯領。

 その中心に(そび)え立つ質実剛健な作りのお屋敷で、私を出迎えてくれたひと。

 それがイェルハルド・ユングバリ辺境伯。

 私の、婚約者さまでした。


 旅の途中、あるいは男爵領に居た頃。

 私は彼の噂を幾つか耳にしたことがあります。


 (いわ)く、氷の魔人。


 怜悧冷徹(れいりれいてつ)にして、合理の塊。

 信賞必罰(しんしょうひつばつ)をよくし、情けでは動かず、たとえ血の繋がった家族でも罪があれば容赦なく罰する。

 あまりにヒトの心がわからないから、凍った血が流れていると称されて、結果、嫁いできた四人もの貴族令嬢が実家へ逃げ帰ったとは、ここへ至る途中の町でも語り草でした。


 しかし、実際に目にした印象は、少し異なるものです。

 彼の容姿は、美丈夫(びじょうふ)と呼ぶことが正しかったでしょう。


 御髪は黒く、短く切りそろえられており力強く。

 肌は血色よく。

 高い身長は、平均よりも頭一つ抜けて。

 手足はすらりと長く、それでいて筋肉が鎧のよう。

 略式軍装を着付けた姿は、絵画に残るように凜々(りり)しく。

 なによりも碧玉(へきぎょく)の色彩をした瞳は、冷たく光、いかなる宝石にも代えがたいほどの美しさで。


 ……なにもかも、私とは対照的なお方でした。

 このみすぼらしい娘には不釣り合いと言うほかありません。

 確かにその美貌は威圧的で、有無を言わせないものがありました。言葉の端々からも、硬く己を律するものがあるのだと伝わってきます。眼光なんて常に相手を射竦(いすく)めようとしているみたいです。

 けれど……なんでしょう、どうにもチグハグなのです。


 フムム……。

 とかく、いつまでも沈思黙考していても仕方ありません。

 まずは、ご挨拶をしましょう。


「はじめまして、イェルハルド・ユングバリ閣下。私は」

「知っている。アンリ・アクセーン男爵令嬢」


 驚きます。

 政略結婚の相手とはいえ、このような高い爵位を持つかたが、本当に私を(ぞん)じているとは思わなかったからです。

 配下の方がくじ引きか何かで決めたのではないかとすら怪しんでいた自分が馬鹿馬鹿しくなります。

 ……まあ、名乗る前に封殺されれば、大抵の女性は面食らうので、本当にヒトの心がわからないのかもしれませんが。


「俺はこれから君のことをアンリ嬢と呼ぶ。少なくとも、婚姻までは」

「では、閣下のことはどうお呼び申し上げればよいでしょうか?」

「なんとでも、自由に。呼び捨てでも構わない」


 そういうわけにはいきません。

 親しき仲にも礼儀あり。そして、貴族階級とはおおよそ礼にはじまり礼に終わるものなので。


「では、変わらず閣下と」

「……そうか」


 なぜか、閣下は残念そうに目を伏せられてしまいました。

 ヒトは彼を、氷の魔人と呼びます。

 他国からの介入を全て水際でせき止める辺境伯一族の武勇を、その精神性を、恐ろしさを称して。

 ですが、今その瞳に宿っているのは、人間的ななにかです。

 なんでしょう。この、しょんぼりした大型犬を相手にするような感情は……。


「えっと……さきほどの、愛する必要は無い、というのは?」


 気になっていたことを訊ねると、


「そのままの意味だ」


 わりと解釈の難しい答えが返ってきます。

 これは政略結婚なのですから、確かに愛情というのが介入する余地はないでしょう。

 私が勝ち取るべきは、実家への支援であって、閣下からの信頼ではないからです。

 あと、こう言われて相手のことが好きだなぁと感じるほど、私もズレた感性をしているわけではないので、多少ムカつきました。

 なので、ちょっと言ってやったのです。


「閣下、失礼ながら、もう少し言葉を尽くしてはいただけないでしょうか?」

「説明不足と?」

「はい」


 ……後から考えるに、自分の想像以上に腹に()えかねていたのでしょう。

 でなければ、私の立場から辺境伯にもの申すなどとてもとても。

 本来なら激怒され、首と胴体が泣き別れていても仕方が無いほどの権力差が、私と彼の間にはありました。

 にもかかわらず、閣下は真剣に考えたあと、こう言ってくださったのです。


「俺には欠陥がある。愛を歌う機能が無い。だから俺を愛する必要も無い。しかし、この感覚を伝えることが難しい。それで君を不快にさせたのなら、謝ろう。このとおりだ」


 すっと頭を垂れる閣下。

 慌てたのはこちらです。

 まったく想像だにしていなかった展開ですし、国を二分できるような立場の方に頭を下げさせてしまうなどもってのほかで。


「どうか頭を上げてください閣下。私の立つ瀬がありません」

「……だが」

「許しました。それ以上は無用です」


 無用というか、心苦しさで私が耐えられません! と、必死でお伝えしたところ、ようやく彼は顔を上げられました。

 先ほどと変わらない冷たい水のような瞳と、固く結ばれた無表情。

 どうにも私は、イェルハルド・ユングバリ閣下という方を計りかねて。


「とかく、長旅だっただろうアンリ嬢。まずは休むといい。婚姻については、明日以降進める」


 こちらの様子をどう受け止めたのか、閣下は話を突然を切り上げると、きびすを返してしまいました。

 ぽかーんと立ち尽くす私と、


「グッドですよアンリさま! (あい)らしさと聡明(そうめい)さは存分にアピールできていた最高のファーストインプレッションです! これにはきっと主さまも、キュンキュンしていまごろは胸を押さえて動悸(どうき)に苦しみ七転八倒しているはず。セレス、愉快!」


 などと、よく解らないことをまくし立てる、ここまで案内してくれたメイドのセレスさん。

 なぜだか急激に疲労を覚えた私は、


「あの、とりあえずお部屋に……」


 と要望を出してしまったのでした。


「アンリ様、お着替えもバッチリ用意がございますよ。セレス、完璧」


 辿り着いた先は、日差しがよく入るお部屋でした。

 内部は清潔に清掃がされており、穏やかな(こう)()きしめられています。

 疲労も吹き飛んだ私は、目をぱちくりとして、それからセレスさんを見遣りました。


「ここ、本当に私の部屋ですか?」

「お気に召しませんでしたか? 主から、できうる限り日当たりがよく、風通しもよく、広い一等地たる部屋をと注文づけられていたのですが……ええ、やっぱり、もっと可愛らしい方が。そうですよね、だってアンリさまはこーんなにラブリーなお姿をされていますし。セレス、納得」

「いえ、そうではなく」


 分不相応とはこのことです。

 いくら客人のような待遇とはいえ、私にはあまりにもったいない。

 数秒戸惑いに支配されていた脳髄を何とか動かして、私は提案します。


「あの、どこかもっと、こぢんまりした、物置とかに住むというのは……」

「あっはっは、アンリさまは本当にご冗談がお好きで。セレス、大爆笑」


 無表情で却下(きゃっか)されました。

 言外に、ふざけたことを抜かすなと書いてあります。

 う、うーん。

 まったく以て、新生活は難儀なことになりそうです……。


 ……いいえ、いいえ。

 私はアクセーン家の命運を背負って(とつ)いできた身。領民さんたちの未来はこの双肩に乗っています。

 立ち止まっているわけにはいきません。

 愛とかなんとかは一端さておき、まずは出来ることをやりましょう。

 疲労などは振り切って、婚姻を成就させるために全霊を尽くすのです。


「セレスさん」

「なんでしょう、アンリさま。あ、今後の身の回りのお世話でしたら、当面はこのセレスが」

「お屋敷に居る使用人の皆さんを、ご紹介いただけますか?」

「はい?」


 そう、まずはこれが重要だと思うのです。


「皆さんのお顔と名前を、覚えさせてください!」


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