第一話 突然の婚姻です!
ここ数年、私――アンリ・アクセーンには昼夜というものがありませんでした。
理由は何度やっても帳簿の数字が合わず、我が家、アクセーン男爵家の家計が火の車だからです。
というわけで、家族の健康と領地の収益改善をモットーに行動しています。
まずは夜明けよりも早く起きて、家族全員分の食事を作ります。
我が家は男爵家であるので、相応に美味しいものを作らなくてはいけません。
個人的には栄養、味、塩分のバランスが出来た料理を作っているつもりなのですが、家族からは「不味い」「未熟」「変な味」とリテイクが飛んできます。
なかなか好みの味わいが掴めない私に問題があるのです。
「愚姉さまなんかに、ハイカラなわたくしたちの食事なんて用意できませんわよねぇ。だってほら、髪の毛は老婆みたいな白髪で、お目々は魔物みたいに真っ赤っか! 物語の魔女のよう!」
と、妹に叱責される始末でしたから、よほど合わない味だったのでしょう。
使える予算は少ないですが、今後も工夫を続けたいところです。
日中は領地の運営をお手伝いします。
お父様は現場に出られる方ではないので、使用人の方々がまとめてこられた数字、領民さんたちの近況、周辺領の値段の推移、畑の測量の最新データなどを頭に入れて、計算していきます。
直近の自然災害は事前準備で回避できましたが、依然として領内で消費する食糧が不足。
土壌を改善しつつ、荒れ地でもたくましく育つ苗の品種改良を継続して行っていきます。
加えて、蚕を用いて絹の生産、染め物の新しいアプローチなどにも取り組んでいるのですが、こちらには時間が必要そうです。
農家さんたちは、本当なら今日食べるものが欲しいはずなのに、我が家を信じて未来の豊作のために尽くしてくれていて、下げた頭が上がりません。
唯一残念なのは、そのお顔を拝見できないこと。
一緒に土をいじれないこと。
なにせ私は、家から出ることを許されていませんから。
我が家の爵位はお金で買ったもの、と世間ではもっぱらの噂です。
しかし、領地は実在します。
どれほど家計が苦しく、領地を運営する予算がなかろうとも、この土地に住む限り、私には彼らの営みを守る責任があるのです。
夜ご飯を作ったあとは、勉強の時間。
ろうそくはもったいないので、星灯りを頼りに書物を読みあさります。
天窓付きの屋根裏部屋を、寝所兼仕事部屋にしてもらえたのは、そういった意味で僥倖でした。
もっとも、妹に言わせれば、
「ネズミの方が愚姉さまよりいい暮らしをしていましてよ! うふふ、おーほっほっ!」
ということらしいです。
まあ、私は立つか座るか出来るスペースがあれば十分ですからね。
そんなわけで、アクセーン家の長子である私の一日は、いつだって前日との境目無く過ぎていきます。
ドレスを着かざることもなく、ボロ布をまとい。
アクセサリーを身につけることもなく、実験的土いじりと洗濯で荒れた手を忙しく動かし。
家人以外の誰かと顔を合わせるでもなく、生涯を通して領地とお家に身を捧げる。
きっとそれが、アンリ・アクセーンの人生なのだと思い込んでいました。
少なくとも、今日この日までは。
「婚姻を結べ。相手は西方のユングバリ辺境伯だ」
お父様が、朝の食事の席で、突然そんなことを仰いました。
すると妹は「まあ!」と口元を押さえ、
「あの、氷の心を持つ魔人と噂されるユングバリさまに? ああ、愚姉さまはなんて可哀想なんでしょう! ユングバリさまはヒトの心が解らず、やってくる女の方々を次々に傷つけ、皆逃げ出してしまったという噂でしてよ」
そう、ニヤニヤと目元を歪ませて言います。
私はフムと考えて、妹へとアドバイスを送ります。
「老婆心なのですが、今後の世渡りを考えると、表情はいつでも好きなものを出せるほうがいいですよ?」
「なっ」
「でも、本音を見せてもらえるなんて、家族だなという感じがして、私はとても嬉しいです」
「――家族なものですか」
冷たい声を出したのは、お継母さまでした。
確かに、私とお継母さまに血のつながりはありません。
素直に謝罪するばかりです。
「すみません」
「心にもないことを……おまえは悪魔です! おまえのせいで、わたくしたちがどれほど経済的に苦しい思いをしているか! 男爵家が、貴族がですよ!」
家計簿を見れば一目瞭然なのですが、それは支出が多すぎることに起因するので、まず誰がお金を使っているのか、ということを定義する方が重要ではないかと思ったものの、そんなことを口にしてしまえばお叱りの言葉が飛んでくるのは経験上わかっているので、私は重ねて頭を下げます。
「そうよ、愚姉さまが全て悪いんですわ」
追撃してくる妹の胸元には、先日まではなかったネックレスが下がっていますが、考えても仕方ありません。
帳尻を合わせられない私に非があるのです。
それはともかくとして、婚姻。
いまさらになって、その事実が奇妙に感じてきます。
私のような日陰者が、一国の主にも等しい辺境伯閣下と婚姻?
「お父様、質問が」
「ならん」
「我が家は男爵家。それが辺境伯家と縁故を結ぶというのは、あまりに身分的な問題があると思います。どうして辺境伯閣下は、私を選ばれて――っ」
言い終えるより先に、痛みが走りました。
お父様が持っていた杖を、私の足に投げつけてのです。
杖を拾ったお父様は、それを振り上げ、真っ赤な顔で私を乱打します。
「援助だ、援助を受けるためだっ。この気高きアクセーン家が、存続するためには金が必要なのだ。このままでは爵位を返上するほか無い。この家は存亡の機に立っているのだ!」
私の痩せ細った身体に、容赦なく振り下ろされた硬い木の杖は、めり込み、肉と骨を強かに打ちます。
痛みに声がもれそうになりますが、キュッと唇を噛んで耐えましょう。
悲鳴というのは、聞く方もきっと辛いものですから。
「金がいる。コネクションもいる、もっと大きな地位へ登り詰めるためには、縁戚関係を埋めるしかない。そこで、利用価値などつゆほどもないおまえを、嫁に出してやろうというのだ! それをなんだ、口答えして、道具如きが! 黙って家の糧となることすらできんのか」
「――すみません、お父様」
道具。
なかなかにショッキングですが、俯瞰して考えれば私の立場はそうでしょう。
なので、打たれ続けながらも考えます。
アクセーンが縁戚関係を結びたいにしても、相手が応じるとは限りません。
となれば、他に理由があるはず。
なんらかの弱みを握っている。アクセーンの領地に突発的な価値が生じた。あるいは。
「私の実母様の血筋が?」
「黙れ!」
一際強く殴られ、思わず座り込んでしまいました。
お父様は息も荒く、怒り狂った様子で、まくし立てます。
「アンリ、何故おまえはいつもそうなのだ! どうして素直にハイと言えない? おまえが不出来なせいで、この家は傾いたのだぞ? 妹を見習ったらどうだ、立派に領地を運営しているだろう!」
……待って。
待ってください。
領地の運営?
それは私がやっていた仕事です。
もちろんお父様も関与されていたのだからわかるはずです。
なのに、どうして?
思わず妹の方を見遣れば、彼女はニタニタと笑い続けていました。
ああ、なるほど。
わかってしまったやもしれません。
これまで私が積み上げてきたことは、すべて彼女の功績になっていたのだと。
「さっさと荷物をまとめろ! 午後には辺境伯の迎えが来る。それに乗ったならば、二度と帰ってくるな! この、親不孝者めが!」
「薄汚い前妻の娘、さっさと消えなさい」
「さようなら、愚姉さま。お相手の辺境伯さまは、とてもとても酷いお方のようだけど、頑張ってくださいね? ボロ雑巾のようになってもしっかりお仕えしてご機嫌取りをよろしく。ああ、出戻りなんて無様なまね、なさらないでくださいましよ?」
帰ってきても、居場所なんてないのだからと妹は言います。
私はのそのそと起き上がり、家族に一礼をすると、屋根裏部屋へと向かい、少ない荷物をまとめれば、それはトランク一つに収まってしまいます。
それを持って屋敷を出ると、ちょうど馬車が滑り込んでくるところでした。
中から降り立ったのはメイドさんで、彼女は私に幾つか質問をしました。
「アンリ・アクセーン嬢はどちらでしょう?」
「私です」
「あはは、ご冗談を。ご不在ですか?」
「嘘みたいな話で申し訳ないのですが、事実です」
「……失礼、確認を」
彼女は屋敷の中に入り、しばらくして血相を変えて戻ってきました。
そうして私の手を取ると、すぐさま馬車に載せます。
馬車が出発すると、彼女は言いました。
「大変なご無礼をアンリさま……まさか、その……」
「いえ」
こんなズタボロの身形をしている娘が男爵令嬢というのは、確かに難しい認識でしょうし、使用人かなにかと考える方が自然です。
「宿に着いたなら、すぐお怪我の治療を。あなたさまを無事に、強引にでも連れ出す。それが主命ですので」
「大丈夫ですよ、傷はすぐ治る体質ですから」
「だとしてもです。ところでアンリさま、弱り目に祟り目になるのですが、主さまは、けったいな性格をしております。もしかすると苦痛かも知れませんが……」
「いいえ、いいえ」
どんなお相手でも私は構わないのです。
なぜなら、家の外に出るなど、本当に久しぶりで。
窓の外に見える景色は、どれも新鮮で。
……領民さんたちのことは気になりますが、私がこの馬車へ乗りさえすれば、男爵家が維持され、彼らの生活が続くと思えばなんでもなくて。
だから、きっと晴れやかな門出だと思えたのですから。
しかし、そんな楽観はすぐさま崩壊することになるのです。
「君がアンリ・アクセーンか」
お目にかかった辺境伯陛下は、開口一番、こう仰ったのですから。
「これは政略結婚だ。君が俺を愛する必要は無い。俺にもあまり、期待するな」
……なるほど。
新生活は、どうやらたいへんそうですね……。




