幕間 その頃の実家は4
――執着。
ビタ・アクセーンを駆動させる原理は、他において存在しない。
家族。とくに姉であるアンリ。
彼女からは無限に奪い取ってよい。
収奪こそが、当然だとビタは考える。
疑いはない。
それが家族の在り方だと、ビタは盲信していた。
初めに奪われたのは自分であるという強烈な自負。
生まれてきたのが、少し後だったという理由で、姉という異常極まる才覚を目前で見せつけられる恐怖。
憧れ。
甘え。
全てが相まって、いまのビタという人格を形成していた。
あらゆる局面において、ビタの認識は被害者。
愚鈍な父と、愚劣な母を持ち、悍ましい姉の脅威から身を守るため――否、姉に己の存在を刻むため、奪取を続けてきた。
ビタの嫌がらせを意にも介しないアンリ。
他者を一顧だにしない平等の化身へ。
なんとしても、自分というものを認知させるために。
悪辣であることさえも、正義として。
「愚姉様なら、きっと大丈夫」
皮肉なことに。
ビタの思考は、一般的に信頼と呼ばれるものに近い。
本を読み、伝え聞いただけで、領地の運営を可能とした異常な姉を目の当たりにし。
怪我の治りの早さ、夜間であっても曇ることなき視覚、記憶力の確かさを何度となく突きつけられ。
結果、ビタは理解する。
アンリであれば、どれほど寄りかかり、欲しいものを差しだすように仕向けても、決して罰が当たることはないと。
むしろその輝きは、窮状でこそ強まると。
それが、天才たるアンリ・アクセーンの真実であると理解に至る。
「とはいえ、こちらの要望はしっかりと伝えるべきですわね」
辺境伯領に幾つか存在するセキュリティーホール。
治水工事のためにこじ開けられた、人的資源が外より流れ込む、規定のゆるい関所。
あるいは各国の要人が利用する、領内への秘密裏な移動経路を利用して、ビタは速やかに辺境伯領より脱出。
馬車に揺られながらアクセーン男爵領へと戻り、私的な使節を立てる準備に入る。
「計画が上首尾に運びすぎてしまうのも考えものね。いえ、辺境伯は余計なことをしでかしてくれたけれど」
当初、ビタが準備していたのは、活動家まで。
各領地で過激な生贄至上主義を掲げる、旧い宗教の一団と協力を取り付け、アガメノン復興工事へと紛れ込ませ、トラブルを頻発させる。
これ自体は、アンリに対する嫌がらせでしかない。
だが、その宗教団体がアンリを生贄に定めて追跡を開始。
彼らの監視下にあった辺境伯とアンリがふたりだけで外出したことで、潮目が変わる。
横やりを入れるにはこれ以上無いほどの好機。
加えて、宗教団体は暴発寸前。
ビタの欲望は頂点を迎えた。
宗教団体を唆し、囮としてつかい、その隙にアンリへと毒を与え、苦しませ、幸福の絶頂より突き落とす。
考えてしまった時点で、ビタの歯止めは崩壊する。
先ほど利用したセキュリティーホールの一件から解るとおり、ビタはすでに、アジフ国やガリューン帝国とも通じている。
今回使用した毒物も、アガメノン襲撃人材の斡旋も、辺境伯を快く思わない二カ国の用立てたもの。
爆薬に見立てた花火も同じく。
無論、下手を打てばトカゲの尻尾切り。
なんの関係もないと切り捨てられることは、ビタにも見えている。
それでも、姉から命すら奪うという振る舞いはビタにとって魅惑的で。
実行しないという選択肢は、はじめからなかった。
だが、不測の事態が発生する。
辺境伯の挺身。
アンリを庇い、イェルハルドは毒を受けた。
あれほどまでに辺境伯から好かれていたアンリ。
社交界で庇護下にあることを公表するほどまでに大切にされていた彼女。
その好意の対象が苦しめば、姉は一体どんな顔をするのか?
無敵と称された氷の魔人に手傷を与え、引き返せない地点に立ったビタは願う。
ほくそ笑み、邪知奸計をたくらむ。
「致死量の毒ではありましたけど、まあ、死なないでしょうね。その程度で死ぬような相手が、愚姉様の隣にいるわけないもの。まあ、死んだら死んだで面白いけど!」
上機嫌で手紙をしたためるビタ。
内容は酷く簡素。
辺境伯を蝕む毒は、解除不可能。
アジフ国で製造された無敵の毒。
唯一の解毒薬はビタのみが持つ。
解毒薬が欲しければ、これまでとこれ以降のことを一切口外せず。
男爵領の運営についても、かかる技術を全て惜しみなく与え、一生涯奉仕し続けること。
「たったそれだけで生きていけるなんて、愚姉様ったら幸せ者だわ。わたくしもお父様の要望に応えられるし、一石二鳥。ああ、なんて素晴らしい提案なのかしら」
悦に入るビタは、早速密書を早馬に託す。
あとはただ、来るべき時を待てばいい。
……純粋な、中立的な視点で見れば。
これは、分の悪い賭けである。
辺境伯暗殺未遂。
および、恐喝。
ビタは、これをもって裁きを受ける可能性の方が、はるかに高い。
他国の援助は一切期待できず。
悪くすればお家は取り潰し。
家族も皆死罪となりえる。
それは、ビタ自身解っている。
にもかかわらず、彼女はこの賭けをやめない。
ついたテーブルから、離れはしない。
なぜならば――
「わたくし、いまがいちばん、愚姉様と繋がっている気がしますわ!」
それこそが、ビタとアンリを結ぶ、〝家族〟の在り方であったからだ。
苦境に遭ってなお、アンリという輝きはますます明るさを増していくという確信。
その光は、或いは。
「きっと、とうに眩んだこの瞳を貫くぐらいに!」
数日後、密書への返答が行われる。
ビタの父も、母も、何も知らないままカウントダウンがはじまる。
それは、最も愚か者を決める、破滅の足音。
逃れ得ない終わりが、ついにはじまる――




