第八話 私たちのなれそめです!
「君は社交界に出たことがあるな?」
「幼い頃に、一度だけ。なにかのパーティーだったと思います」
「そのときのことを、覚えているか?」
イェルハルド閣下に尋ねられて、私は改めて思い返します。
けれど、それはトラウマのような記憶。
私がアクセーン家の令嬢として失格の烙印を押され、暴力の痛みを思い知り、魔女と呼ばれた過去です。
きっと、自分で封じてしまったのでしょう。
よく思い出すことが出来ません。
「……まだ一人前と見做されていない令嬢令息が、顔見せをするための席。それが、君の参加したパーティーの正体だ。そして、俺もその場にいた」
「閣下が?」
驚いて彼を見遣ると、神妙な様子で頷かれます。
「参加者の年齢は酷く疎らだった。俺は当時から政と防衛策に力を割いていたから、その手の催しに縁がなくてな、無理矢理に両親から送り出された」
漠然とですが、思い出してきました。
お父様が私を連れて行ってくれた理由も、似たようなものだった気がします。
会場には、貴族のご子息がたくさんいて、保護者のかたに見守られながら、思い思いに挨拶をされていて。
私は……なんだか気後れしてしまって、隅の方で小さくなっていたように思います。
「君は自分よりも小さなこどもたちの面倒を見ていたな。年若いながらよく気が利く娘がいると思っていた」
「え? そんなことしていましたかっ?」
「ご飯を食べさせてやったり、マナーを教えたりしていたとも。もっとも、親たちはあまりいい顔をしていなかったが」
それはそうでしょう。
ご子息ご令嬢の不備を指摘されているようなものですし、教育がなっていないという当てこすりですらあります。
なんという無礼を……幼い時分の私、恨みますよ……?
「あれ? けれど確か、そのあとは騒ぎが起きて」
「ああ、間違いない。どこぞの貴族令息がな、俺に向かって、辺境住まいのくせにえらそうだと因縁をつけてきた」
「あちゃー……」
いるのです、貴族の中にも勘違いしているかたが。
辺境の領地を与えられた権力の弱い貴族と、国家に比肩する力を持つ辺境伯を混同ししてしまう。
経験を積めば取り違えることはないのですが、若うちにはよくある間違いで。
「殴りかかってきたから、殴られるままになっていた」
「閣下はお強いでしょう、そのころから? やり返さなかったのですか?」
「当時の俺は、今以上に役目に忠実だった。感情などないに等しかったし、痛みで心は動かなかった。むしろ、下手に制圧すれば、相手の家が取り潰されるかと考えて、動けずにいた」
それは……難しい問題です。
レクター老が仰るとおりなら、それこそ昔の閣下はシステムのようなかただったのでしょう。
社交の場で殴りかかられるなど、不測の事態に他なりません。
お相手のことを考えていたのは本当でしょうが、むしろどう対応するのが正しいかわからなかった可能性すらあります。
「そういえば相手は、恋人を取られたとか言っていたが、あれはなんだったのか」
……訂正します。
単純にヒトの心が解らない頃の閣下だったようです。
「とかく、このまま殴られ続けては相手の拳を痛めるだろうから、対応しようと考えたときだ。目の前に、白い影が飛び込んできた」
「あっ」
いまではない瞬間の痛み。
右頬に浮き上がる熱。
私は、唐突にそのときのことを思い出します。
パーティーの中で喧嘩が始まって、一方的にヒートアップしていって。
私は、居てもたってもいられなくなりました。
子どもたちは萎縮し、大人たちも手をこまねく中、私は。
「飛び込んできたのは、白い髪に赤い瞳の女の子だった。彼女は俺の代わりに殴られて、相手の拳を止めた。そうして俺と相手にだけ聞こえるような、小さな声音で告げた」
暴力は、ふるうのもふるわれるのも苦手です。
あなたの手が、どうかなにかを作り、守るためにつかわれることを祈ります。
私は、そう言ったのです。
「けれど、無論相手は引っ込みがつかない。俺の顔には痣や傷が出来ていたし、ようやく自分がしでかしたことの重大性を理解したようだったからな。このままでは破滅すると思ったのだろう、あれは泣き叫びそうになって」
だから私は。
「だから少女は、安心してと言ったのだ。俺の頬を、傷口を優しく撫でて。もう、大丈夫だからと。罪の証しは、なくしてしまうからと」
彼が、自分の右頬を押さえ、微笑みます。
「俺は見た、まばゆい光を。白い輝きを。すると、痛みは嘘のように引いていった。それどころか、傷さえもほとんど消えてしまった。少女の顔に突いていた痣もだ」
「閣下、私は」
「ああ、それがきみだ、アンリ」
「私たちは、すでに出会っていた?」
「そうだ。そしてふたりの男を、きみはそのとき救った。いや、それどころではないか。領地に住まう多くのものたちを、きみは守った。だが――大人たちの評価は正逆だったな」
……そうです、私は失敗しました。
だって、お父様たちは。
「きみを魔女と呼んだ。他人の傷を消せるなんて、御伽噺に出てくる魔女の仕業に違いないと」
以来、私は男爵家の屋根裏部屋で過ごすことになりました。
表に出ることはもう二度となく。
ただただ領民の皆さんと家族を案じ続けて。
「きみがなぜ、他者を癒やせるのか、それは問うまい」
「……私もいままで忘れていたので、答えられないので助かります」
何故出来るのか、どうやっていたのか、いまも出来るのか、全部解りません。
ただ、あの時は夢中。
傷ついたヒトを見ていられなくて。
気が付けば動いてしまっていて。
「俺は、きみと出会い、思った。この身は己の自由には出来ない。それでももし、将来を共にする相手を選べるのなら、きみのようなひとがいいと。ゆえに、俺は四度も婚姻に失敗したわけだ」
「どういうことですか?」
意味をはかりかねて首をかしげれば。
彼はとても困ったような顔をして。
それから、とても珍しく、頬を朱に染めて、こう仰ったのです。
「ずっときみを胸の中に抱いていた。だから、ずっと誰かときみを比べてしまっていた。それは、相手にとって不義理だ。別れを切り出されても、なんらおかしなことではない」
「――――」
瞠目します。
だって、彼がいま言ったことはつまり。
ずっと。ずっと長い間私のことを思っていてくださったということで。
「っ」
慌てて頬を両手で被います。
真っ赤なリンゴのようになっているであろう自分の顔を見られたくなくて。
私は、ずっと自分がなにも出来なかったと思ってきました。
精一杯に働いても、どれだけ知恵を絞っても、至らないのだと。
なのにこのかたは、たった一度出会っただけの私のことを、こんなにも一途に思ってくださっていて。
応えたいと。
心より、そう思ったのです。
「アンリ、今一度問う。きみは、なにをやりたい? 縛られることはない。自由であって欲しい。俺はあるだけの全てを持って、領民に反しない限り、きみを応援すると誓おう」
私のやりたいこと。
これまでは、やるべきことをひたすら実行してきました。
閣下は自由にしていいと言ってくれています。
けれど、私は。
「イェルハルド閣下」
「ああ」
「私のやりたいことは」
「きみのやりたいことは?」
「……正直、まだわかりません」
わからないままで。
答えを見つけずにいますが。
けれど。
「けれど、解らないと言うことを、解ることが出来ました。だから、どうか願わくば、閣下と同じものを見て、同じ方向を向いて、一緒に考えていけたらと、そう思うのです。リチャード陛下に誓ったときと同じように。いいえ、今度はもっと、自覚的に!」
「……ああ」
彼が、ゆっくりと頷きました。
そうして。
「うひゃい!?」
ギュッと、抱きしめられます。
あわわわ……突然のことに心臓が高鳴り、すごくうるさいです。
「か、かかかかか、閣下……?」
「俺も、いつまでも君と一緒にいたい」
「――――!」
耳元で囁かれる言葉。
それはとても甘やかで、なによりも情熱的で。
「アンリ」
彼が、わずかに身を離して、私を呼びます。
碧玉の瞳が熱を宿して私を真っ直ぐに射貫き、秀麗なお顔が、こちらに近づいてきて。
彼の、唇が私に、触れ――
「主さま! お逃げください! 曲者です!」
セレスさんの危険を告げる声が。
夜を迎えようとする湖畔に、響き渡ったのでした。




