第七話 閣下とキャンプに出かけます!
「野営をしよう。余人の介在しない場所で、二人だけで」
イェルハルド閣下からの突然の提案。
とても嬉しいことのはずなのに、私はうまく頷けずにいました。
だって、やるべきことが。
いえ、そのやるべきことに対する妄念が、私にはあって。
「閣下……ですが私たちは、私は、もっと頑張らないと……」
「ああ、その通りだろうと、以前の俺ならば、いちにもなく同意した。だが……そうだな、人間には、息抜きが必要らしい」
「けれど」
「では、俺の供回りとして同伴してくれ。これに否やはあるか?」
……ちょっぴり意地悪な物言いをされました。
閣下が出かけて、それについてきて欲しいと言われて、私が断れるわけがないのですから。
というわけで押し切られ、訪れたのはお屋敷から半日ほど行ったところにある森でした。
ここ数日は天候も悪くなかったこともあって、地面も乾いています。
木々は色鮮やかに揺れており、ここには災禍の爪痕もありません。
森の中央には湖があって、私たちはそこでキャンプをすることとなりました。
手際よく簡易テントを組み立てる閣下。
惚れ惚れする手際なので素直にお伝えすると「軍でなれているからな」とお答えが。
そうですよね。
有事でなくとも、野営はよく行うわけで。
「だが、きみに褒められると胸が弾む。この感情はなんだ?」
「嬉しい、でしょうか」
「それだ。嬉しい、嬉しい」
パチンと指を鳴らして、子どものように言葉を繰り返す彼。
なんだか、不思議な気持ちになって、私も頬を緩めてしまいました。
それを見て取ってか、閣下が微笑まれます。
「少し散策しよう。薪はあるが、焚き付けが欲しい」
「お伴します」
「きみが普段より遠いな」
「……はい?」
「いや、なんでもない。行こう」
こちらに差しだされる手。
戸惑いながらも握ると、彼はゆっくり歩き出します。
私と閣下の歩幅は、大人と子どもぐらいの違いがあって、とくに森の中ともなれば、その差は顕著なものになります。
けれど、彼は私を置き去りにすることもなく、ペースを合わせて、のんびりと歩いてくれました。
「アンリ、きみの知恵を借りたい。焚き付けは何を用いればいい? ここに枯れ葉は少ない」
「そうですね……」
こんなとき、書物ではどう書かれていたでしょうか。
あ、いえ、そういえばお母様から、なにか昔話の折に聞いたことがあります。
「松ぼっくりであるとか、乾燥した鳥の巣、乾いた苔などが、よく火のつくものだと」
「なるほど。針葉樹林ではないので松ぼっくりは難しいが、鳥の巣はあるだろう。手頃なものを探そう」
そう言っている間に、彼は目星をつけたらしく「待っていてくれ」というと、近くにあった木をするする登っていかれてしまいました。
改めて、この方のフィジカルの強さを感じます。
「これでいいだろう」
降りてきた閣下の手の中には、古ぼけてボロボロになった鳥の巣が。
元が木の枝や産毛なので、とても火のつきが良さそうです。
「他にも探してみるか。む。アンリ、あちらを見てくれ」
言われるがまま案内された先に行くと、そこには赤色の木イチゴが実っていました。
彼はそれをひとつとり、私の前に翳して、
「きみの瞳と同じ色だ。キラキラと輝いて、とても美しい」
なんてことを仰います。
「えっと、木イチゴですよね? 木イチゴが美しいと」
「きみの方が綺麗だ。そう言えることが嬉しい」
「あう……」
いきなりのお誉めの言葉は、パンチが強いです!
思わず赤面していると、唇に何かを押し当てられました。
それは、木イチゴで。
「甘酸っぱいぞ?」
「――――」
甘酸っぱいというか、甘すぎませんかっ?
ぱくりと食べれば、彼はとても満足そうに頷いて。
「うむ。嬉しい」
「多分、それは嬉しいじゃないです……」
そんなこんなで焚き付けを集めて、キャンプに戻ります。
閣下は焚き付けの上に、テキパキと枯れ木を積み上げ、火打ち石を使ってあっさりと着火。
火種は順調に、焚き火へと変わりました。
さすが、なれていると仰っていた通りでの手際です。
それから、とても穏やかで楽しい時間が流れました。
閣下は、
「次は釣りをしよう。なに、やり方が解らない? 俺が教えるとも。これでも領内の巨大淡水魚釣り大会で優勝したことがある」
とか、
「川魚の骨を抜く手練手管、是非教えてくれ。いつか俺が、君に手の込んだ料理を振る舞いたい」
とか、
「少し水遊びをしよう。着替えは持ってきている。ああ、だから裾はまくらなくていい。君の白い肌は、俺の脳を麻痺させる」
とか、ずっと楽しそうで。
夕暮れが近くなってきた頃、彼はようやく落ち着いて。
「蜂蜜をいっぱいにしよう。疲れたときは、これが抜群に効く」
魚の串焼きを作りつつ、お茶を入れてくれました。
手渡されたカップは、熱く。
一口啜ると、甘さとぬくもりと、茶葉の良い香りが体中に駆け巡って元気がわいてきます。
これまでの疲れが、まるで吹き飛んでしまうようで。
パチパチと炎の爆ぜる音。
あたたかなぬくもり。
閣下と過ごす、なんでもない時間。
私にとって、それは酷く掛け替えのないものだと思えるものでした。
……本当は、もっと思い悩まなければならないのでしょう。
領地のことを考え。
災害への対策を考え。
辺境伯夫人としての立ち振る舞いを考え。
何もかも完璧な閣下にふさわしい妻であるべく、精一杯の努力をしなくてはいけないと、そう思うのです。
けれど。
私は。
いま、ひどく満たされて。
「何もかも背負わなくていい。好きにして構わない」
「閣下?」
魚の焼き加減をみながら、彼が語りかけてきます。
「ユングバリに来てから、きみは本当によくやってくれている。三角貿易で、雇用の問題は一つ解決を見た。産業も増えつつある。治水工事も前向きに検討できている。俺ひとりではなしえなかったことだ」
「そんなことはありません。閣下なら、きっと」
「で、あるかもしれないな。だが、途方もない時間がかかったはずだ。つまり、きみはよくやっている」
……いいえ、いいえ。
私は、もっと頑張らなくてはいけません。
それこそ、アンリ・アクセーンだったときから、何も変わらないのです。
誰も満足させることが出来ず、責務を果たすことも出来ず。
「きみは、何がやりたいんだ?」
まるで相似形の問い掛け。
奇しくも、レクター老が私に訊ねたのと同じ質問が、閣下から飛び出します。
胸が苦しくなります。
頭が締め付けられるような感覚を覚えます。
私は、なにも出来ていません。
「辺境伯領に住まう皆さんの幸せを作りたいです」
「君にとっては、ほとんど他人だとしてもか?」
「っ」
思わぬ一言に、言葉がつまります。
たしかに、私と領民さんたちの接点は、閣下という一点しかありません。
ですが、本当に力になりたくて。
「アンリは、素晴らしい女性だ。善性と言ってもいいだろう。見知らぬ誰かのために命を燃やすことが出来る特筆すべき献身。だが、結局相手は見ず知らずの相手だ。なんら報いられることはあるまい。時には逆恨みさえされるだろう。例えば治水工事は、税金と交換でしか成立しない。税は民より搾り取られるものだ。やり過ぎれば恨みを買う」
「私は、閣下の妻です。それは為政者としての当たり前で」
「望んでなったわけではあるまい?」
「……つまり、私は妻にふさわしくないと……?」
「待て、違う、そうではない。くっ、ここまで自分の不器用さを祟るのは初めてだっ」
慌てた様子で否定してくる閣下に、私も胸を撫で下ろします。
このひとに必要ないと言われてしまったら、私は――あれ? 私は、なんなのでしょう? あくまで私たちは政略結婚。その過程で、恋愛を……。
「為政者だとか、貴族の責務であるとか、そういった全てを忘れた上で、きみにはやりたいことはあるのかと……いや、やりたいことをして欲しいと、俺は望むのだ」
悩んだ末に、閣下が紡がれたのは、ふわふわとした言葉で。
けれど、確かに彼の心は、私に伝わってきました。
「どうして」
「なに?」
「どうして閣下は、こんなにも私を大切にしてくださるのですか……? ただの男爵令嬢、それも世間知らずな未熟者に」
「……いい機会かも知れないな」
彼が、こちらへお茶を差し出してきます。
「アンリ、きみは覚えていないだろうが」
イェルハルド・ユングバリが。
碧玉の眼を真っ直ぐにこちらへ向け。
穏やかに、告げました。
「俺たちは、昔、一度出会っているんだ」




