第五話 氷の魔人の真実です!
「つまり、これは懺悔で、謝罪の言葉だと思って聞いて欲しい」
穏やかで、けれど諦観したような様子で、レクター老は語りはじめます。
己の罪を、語るかのように。
「アンリさん、為政者の家庭教師というのは、何をすると思う?」
「立ち振る舞いや学問について教えるのではないでしょうか?」
「形式的にはそうだね。けれど、実問題はもっと悍ましい」
優しそうな目元を、厳しく細める老人。
「合理的に、冷徹に、感情などには左右されず、ただ領地を治めるだけの機械を作ること。それが、家庭教師に求められる教育なんだ。そう、世に平和をもたらすためにね」
「それは」
「そう、このぼくが、イェルハルドを氷の魔人に、ヒトの感情が解らない機械にしてしまったという告解だ」
凝縮された苦悩。
それが彼を、何倍も年老いたように見えさせました。
絞り出すようにして、レクター老は続けます。
「情があっては、正しく税が取れない。もしも戦争になったとき、相手を的確に葬り去り、再起を図れないほどの殲滅を行うことが出来ない。心なんてものを持って惑わされるようでは、伏魔殿たる宮廷では戦えない。だから、彼に情緒を与えなかった。余地を殺した。頭脳は明晰にして暴力を伴い、非情に徹して相手を倒せる、そんな機械を作った。完成したとき、ぼくは歓喜したよ。間違いなく最高傑作だった。イェルハルド・ユングバリは、レクター・スピリオが手がけた中で、最も優れた作品だった。もしも世界中がこんな為政者で満ちれば、世はなべて平和になると確信できたほどだ」
誇るように、嬉しそうに。
悔いるように、打ちひしがれたように。
相反するいくつもの感情を、複雑に交じり合わせた表情と声音で、彼は語ります。
「事実として彼は、見事な働きをしてくれたよ。けれど、彼が一応の完成を見たとき、ぼくは思った。思ってしまったんだ。これで、本当にいいのかって」
ゆっくりと、老人は頭を抱え。
そのまま手を下げて、皺だらけの頬を撫で、祈るように両手を組みました。
「前途ある少年を、機械に変えるのがぼくの仕事だ。それでも、あまりにイェルハルドは従順だった。反抗することなんてない、指示を無視することもない。そんな彼が、ただの一度、たった一度だけ、わがままを言ったことがある」
ゆっくりと、老爺の頭が振られます。
「いいや、それはわがままなんてものじゃなかった。もっとちっぽけな、ほんのわずかな憧憬。目にした光。ぼくは、それに縋ってしまった。いつか、この機械が壊れるよりも早く、ヒトとして目覚めるときが来るならば……そんな思いで、ひとつの呪いをかけてしまったんだから」
抽象的で、答えの見えない独白。
けれど呪いという言葉が持つ不吉さは、否応なく私に伝わります。
「アンリさん」
うつむいて、自嘲していた老人が。
真っ直ぐに、私を見遣ります。
彼の瞳には多くの苦悩と同時に、一縷の希望を求めるような光があって。
「イェルハルドは、自ら君を選んだんだ。それだけは、けっして疑わないでくれないか」
「……閣下は、あなたこそが、私を最後の保険として、婚約者にすべきだと語ったと聞いています」
「そうだよ。彼が人間に戻れるよう、残した呪いで――保険だった」
「あなたは少し前、閣下に再教育が必要かも知れないとおっしゃいました」
「そうだね。氷の魔人に戻すべきだと思った。いま、各国のバランスを崩したくなかった」
「率直に、申し上げてもよろしいでしょうか?」
私は、大きく息を吸い。
お腹の底から大声を出します。
「閣下を、なんだと思っているのですか!?」
そう、本当に、ヒトという存在を、その尊厳を、どう捉えているのでしょう?
「許すとか、許されないとか、懺悔とか、罪であるとか、どうでもいいです。どうして、閣下がこんなに苦しまなくてはいけなかったのですかっ」
「……辺境伯になることを定められていたからだよ。貴族はみなそうだ。君だって、そうじゃないのかい?」
彼の言うことは事実でしょう。
貴種とは、民を治めることこそを為す統治機構。
そこに私情は無縁で、感情さえ不必要というのが理想なのかも知れません。
絶対に間違えない独裁官であるならば、きっとそれは理想の政治体系なのでしょうから。
「それでも閣下は人間です。しっかりと心を持った、感情のある人間なんです」
これまでずっと押し殺してきただけで。
言葉にする方法さえも知らないほど、抑圧されてきただけで。
「イェルハルドさまは、ひとなんです!」
「……泣いているのかね? まさか、イェルハルドのために?」
「それがなんですかっ」
気が付けば、両目から熱いものがしたたり落ちていました。
怒っていたのでしょう。
それ以上に、悔しかったのでしょう。
これまで閣下が過ごしてきた日々の重みが、あんまりにもお労しいものだったから。
「あんまりです……」
本当に、あんまりです。
レクターさんは仕事をしただけなのでしょう。
閣下は、貴族として正しいのでしょう。
それでも、と。
私は思ってしまいます。
貴族令嬢としての教育が未完である私だからこそ。
かなしくて、やるせなくて涙が止まらないのです。
何度も目元をふきながら。
しゃくり上げるような惨めな真似をしないように押し殺しながら。
私は、目前の老爺へと訴えかけます。
「レクター様がどう思われているか解りません。閣下が何感じておられたのかは解りません。しかし私には、あなたたちふたりが、まるで仲の良い親子のように見えていました」
「だとしたらぼくは……悪い父親だ」
「それでも、閣下はあなたを慕っています。本当はおわかりですよね?」
「……逐一正論だね。耳が、いたいよ」
「どうして、私にこんな話をされたのですか?」
これからともに、辺境伯領のために尽力しようとするのに。
私に心を捨てるべきだと説くならばまだ解ります。
そうではなく、閣下から感情を奪ったのは自分だと告発するメリットなど、ひとつだってないのに。
「驚いたから、かな」
「そうでしょうね、閣下は見違えられるように雄弁になられました」
「違うよ。君たちの、仲のよさにだ」
思わず目を見開きます。
だってレクター老は。
とても嬉しそうに、微笑んでいたのですから。
「君と出会い、イェルハルドはきっと救われている。彼は間違いなく、いま自我に従って生きている。そう、やっと……人生を歩んでいる。ようやく、ぼくの施した呪いから脱して、やるべきことを、やりたいことをはじめたんだろう」
「それなら、なおさら」
「ゆえに、ぼくは問わなければならない」
真剣に、神妙に、たいへんな意志の力を込めて。
彼が、私を見据えられて。
「アンリさん。君は、自分がやりたいことを、やれているのかい?」
――は?
「君こそ、貴族の責務に、生い立ちから来る多くのしがらみに縛られているんじゃないのかな? 辺境伯領を守ることは、本当に君がやりたいことなのかい?」
彼の問い掛けに、私は。
私は――




