幕間 その頃の実家は3
「ありえない、ありえない、ありえてはいけないのですわ……っ」
歯がみをするのは、ビタ・アクセーン。
パーティーより実家たる男爵領へと舞い戻り、即座に自室へと籠もる。
お気に入りの扇を、開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し。
怒り心頭、心は憎悪に燃え。
ただ、ひとりの姉を思う。
「愚姉様は、わたくしから奪われていなければならないのにぃ!」
噛みしめた歯の間より溢れ出す怨嗟を、ビタは止める手立てを持たない。
彼女にはひとりの姉がいる。
アンリだ。
ふたりの間にあるのは、父親の血のみ。
異母姉妹である。
ゆえに、仲は良好とは言い難かった。
少なくともビタは、常にアンリを怨んでいた。
呪っていたと言ってもいい。
全てを持っている姉から奪うこと。
それがビタにとっての存在証明。
「だから、わたくしは手を講じたのですわ」
辺境伯側へ、アンリの所在が解るように伝えたのはビタである。
社交界に張り巡らせた彼女の情報網が、ユングバリ辺境伯がとある女性を探していると聞き、それが姉であると悟ったビタは、悪意を持って居場所を伝えた。
ひとえに、姉の無惨を見るために。
男爵家の令嬢が、それも、令嬢としての教育を満足に与えられなかったアンリが、最上位の爵位を持つ辺境伯家でやっているけるわけがない。
ボロ切れのようになってうち捨てられるに違いない。
或いは孕み袋になる程度だろうと、その後の人生を全て奪われるはずだと、ビタは考えて、全てを実行に移した。
ゆえに、パーティーにアンリが出席するとなったとき、全力で嘲笑ってみせようとしたのだ。
「意味不明で奇天烈なマントで全身すっぽりだったし、そりゃあメイクは整っていたけれど白髪だし赤目だし?」
ビタは己の美貌を誇る。
魔性とも言うべき、他者を惹きつける力を持つ。
彼女の一挙手一投足は、周囲を動かし、言葉には他者を惑わす力が宿る。
アンリと再会したとき、ビタの周囲には取り巻きたちがいた。
ビタに何もかも差し出し、心酔する貴族の令息だ。
彼らは心ない悪罵をアンリに浴びせかけ、精神をへし折る算段であった。
「なのに、あの辺境伯」
バギリと扇が嫌な音を立てる。
彼女が両端を握って、強く力をかけたがゆえに。
まるで、辺境伯とアンリの仲を引き裂かんばかりに。
それほど、羨ましく思うほど、ビタが見た光景は麗しかった。
一種の美。
人間の営みのなかにある、善なるものの象徴。
取り巻きとビタの口撃を、突如現れたイェルハルドは容易く打ち砕き、アンリを守って見せた。
その上で。
太陽の如きドレスが、開帳される。
「……ええ、知っていてよ。世界の誰よりわたくしが存じているわ。愚姉様は太陽」
ビタは自覚している。
存在するだけで周囲を牽引し、かき乱し、その全てがよき方向へ転がっていく重力の塊のような存在。
アンリ・アクセーンとは、そんな姉であったことを。
だからこそ、彼女は奪った。
アンリの熱を。
重力を。
魅力を。
他者に与えられるはずの、恩恵の全てを奪いつくし。
そして、人生の墓場として辺境伯との婚姻を成立させたつもりだった。
にもかかわらず、ビタの見た光景は異なる。
幸福。
アンリはイェルハルドのもとで、満たされようとしている――
「ゆるさない……愚姉様が満たされるなんて、ゆるしませんわ……」
許しがたい。
パーティーの出席者全員が姉に目を奪われたことも。
取り巻きたちすらも魅了されたことも。
そんなことはどうでもよくなるほどに、許してはならないビタの魂が軋りをあげる。
「奪わなくちゃ、奪わないと……わたくしが逆に奪われるなんて、あってはいけなくて……」
ブツブツと呟く彼女の目はうつろでありながら。
そのうつろの中で、混沌が渦を巻く。
悪意ではない。
もっと悍ましいそれは、姉に対する執着であり。
「ビタ。帰ってきたのね?」
名を呼ばれ、ハッと我に返る彼女。
大きなノックとともに、母親が入室してくる。
「お母様、どうなされたのかしら?」
一瞬の転身。
このときにはもう、ビタは普段と変わらない様子へと、自らを〝変貌〟させていた。
「愛しいビタ。あなたのお父様が言っているのよ。パーティーはどうだったかと」
「素晴らしい人脈を作れましたわ」
「それはよきことね。……アレは、汚らわしいアレはどうだったの? 辺境伯さまのご機嫌を取れていたかしら。支援を受けれられなければ、わたしとあなたの放蕩はもう……」
「ええ、大丈夫でしたわよ。愚姉様ったら、なかなかたらし込むのがお上手でして」
内心で煮えくり返る腹。
後ろ手に隠した手は、手のひらに深く爪を突き立てている。
だが、ビタの鉄面皮は不動。
笑顔を貼り付けたまま、愚鈍と己が区別する母親へと対応を続ける。
実際の所、男爵領の財政は火の車から、もっと深刻な状況へと移り変わっている。
いつ民草の暴動が起きても不思議ではなく。
収入は、下がり続け、そこを割っている。
辺境伯家からの支援だけが、男爵家を支えていた。
この事実を、ビタだけが知っている。
ビタが、誰も彼もを騙し、隠蔽している。
「それならいいのだけど、一つぐらい役に立ってくれないと、ねぇ?」
共感を求めるような表情。
ビタを苛む吐き気は、この愚母の不理解ゆえ。
この家の人間は、アンリという存在を計り間違えている。
自分だけが、姉の全てを知っていると、ビタは確信。
直後に、最も聞きたくない話を切り出された。
「あのひとがいうのよ。はやく援助金を使って、領地を立て直せって。でも、ビタ。あなたがいるものねぇ。あなたなら、簡単よねぇ?」
吐き気はピークを越え、どす黒い感情へと変わった。
簡単ではないことをビタは最もよく知悉していた。
アンリが実際に行っていたのは、常人が生涯をかけた研鑽の果てに辿り着く境地だ。
アレの特異さは、それを聞いただけ、学んだだけで実行できる異常な演算能力と人心の希求にある。
それを封じるために、ずっと屋根裏部屋に棲まわせていたと言うことを、この愚母は知りもしない。知ったところで理解できない。
アンリだからこそ、男爵領の経営を見もせずに回せていたことが解らない。
よって、ビタの対応は自ずと決定する。
「おまかせあれ、お母様。このビタが、きっと上首尾に運んでみせますわ」
ビタ・アクセーンは断言する。
同時に、理解も及ぶ。
このまま男爵領に留まれば、自分は両親から搾取され、領民のために全てを費やし、奪われ尽くすだろう。
身の破滅は、すぐそこまで迫っている。
そんなことは、ビタには耐えられない。
ならばどうするか?
奪えばいい。
功績も、未来も、これからの生活も、自らの幸福も。
ただひとり、全て溢れんばかりに身につけた太陽から。
そのためになら、
「男爵領の未来は、ビタが請け負いますわ!」
――この領地など、使い潰してしまおう。
ビタは心中で呟く。
黒々しい邪念を。
「待っていてくださいましね、愚姉様。きっとすぐにわたくしが」
すべてを、奪いに参りますから――
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