第六話 お披露目は社交界で、です!
社交界。
正直に言えば、トラウマがある場です。
とても大昔、幼い頃、私にも一度だけ、アクセーン男爵家令嬢として、社交界へデビューする権利が与えられました。
思えば、義母様と妹のビタを家に迎えたばかりの頃。
お父様も上機嫌で、慈悲の心を示してくれたのやもしれません。
しかし、極めて端的にいえば、私は失敗しました。
礼節はしっかりと守っていたはずです。
段取りを誤ったわけでもありません。
けれど、おそらくは私という人間の、その内面が、外面が、あまりに醜かったのでしょう。
魔女のようだと、言われました。
御伽噺に出てくる、白髪の魔女。
赤い目は血のようで不吉。
白髪なんて汚らしい。
青白い肌は死人のよう。
着ている服は、どこから盗んできたのか。
……そんな言葉の数々で、私は家名を傷つけました。
アンリ・アクセーンの人生における、最も大きな罪と言えるでしょう。
お父様は怒り狂い、以降、私は屋敷の屋根裏で生活することを余儀なくされます。
アンリという娘は、男爵家にいなかったことになったのです。
同時に、私はこれらにまつわる記憶を曖昧にしてしまいました。
精神的に耐えられなかったのか、一部の記憶を、忘却の彼方へ追いやってしまったのです。
だから、社交界は苦手です。
暴力以上に、大勢の前で自分を見てもらうことに、恐怖さえ感じます。
そんなことを、パーティーの当日、メイクをしてもらいながらセレスさんに打ち明ければ、彼女はウンウンと頷きました。
「どうせなら可愛らしくうつくしいところを主様に見せつけたい。乙女心ですね、セレス、感激」
「いえ、その……私の話を、聞いていましたか?」
「もちろんです! その上で、どうかご心配なく、アンリさま。主様は、そう言った戦場でこそ輝くお方ですから」
「…………」
「わたしどもは、感謝しているのです。あの、誰ともわかり合おうとしない、誰とも手を取り合おうとしない、ただ孤高で、一人頑張り続ければいいと思い込んでいた主様を、あなたが変えてくださったことを。だから、どうか信じてくださいな。セレス、請負」
そこまで言われて無碍に出来るほど、私も人間をやめていません。
いえ、真人間だと思いたくて、あの頃とは違うと信じくて。
だから、今、一歩を踏み出すのです。
私を選んだと言ってくれた殿方を、信頼して。
パーティー会場へ入りますと、楽しげに談笑していた皆さん――おそらく貴族のお歴々ですね――が、ピタリと会話をやめて、こちらを凝視してきます。
それもそのはずで、私は今、マントのようなもので全身をすっぽりと被っていたのですから。
珍妙です。奇っ怪です。
目立たないわけがありません。
最大限の結果を得るためとはいえ、割と恥ずかしいのですが、これ!
「おーほほほほほほほほ」
針のむしろにいる気分を味わっていると、聞き覚えのある高笑いが聞こえてきました。
見遣れば、こちらに歩み寄ってくる女性がひとり。
周囲には何人もの令息の皆さんを引き連れた彼女。
見間違うはずもありません。
「ビタ、久しぶりですね」
妹の、ビタ・アクセーンです。
彼女は私に名前を呼ばれると、敢えてキョロキョロとしたあと、こちらを凝視して、また高笑いをしました。
「おーっほほほ! これはこれは、だーれかと思いましたら、アンリ愚姉様ではありませんか。掃き溜めがお似合いの愚姉様が、こーんな大規模な夜会に参加するだなんて、場違いがすぎましてよ? あ、それとも」
ニンマリと微笑む彼女。
「辺境伯さまに捨てられて、次の飼い主でも探しにおいでですかー? ま、その格好じゃあ、誰も脈無しでしょうけれど。おーっほほほ!」
彼女の言葉に、周囲のご子息たちが「違いない!」とか「君と違って目も当てられないよ」とか「衛兵は何をしてるんだ、早くつまみ出せ」なんて仰っています。
実際、私の格好は不審人物なので、彼女たちの対応は何も間違っておりません。
周囲の皆さんも、ざわざわと慌ただしいですし、本格的に会場から排除されるやもしれませんね。
致し方ないことです。
私がどれほど閣下を信じようとも、私自身が至らないのでは、どうしようも――
「静まれ」
諦観と、疼痛が胸をよぎったとき。
静かで、冷たく、だからこそよく通る声が、会場内に響き渡りました。
――ええ。その声を、私が聞き間違えることはもう、ありえないのでしょう。
「実の家族とはいえ、放言は慎まれよアクセーン男爵令嬢」
カツン、カツンと靴音を立て、こちらへやってくるのは長身の偉丈夫。
刈り揃えられた黒い御髪。
健康的な肌。
筋骨隆々とした肉体に、整った顔立ち。
確りとした眉。
なによりも冷たく、碧玉い瞳。
軍装を身に纏い、背にマントを翻し、そのひとはやってきます。
イェルハルド・ユングバリ辺境伯が。
「まあ、辺境伯さま。愚姉を教育して何が悪いのですかぁ? これは家族の問題ですので、口出し御免被りたいのですが」
「俺も家族だ」
「は――?」
意気揚々と喋っていたビタの口が硬直します。
イェルハルド閣下が私の横に立ち、私の肩を抱いたからです。
「アンリは俺の妻だ。よって、彼女に関することは、全て俺に関することとなる。もしもアンリに悪罵と敵意を向けるものがあれば、今この場で名乗り出るといい。ユングバリ辺境伯家が、受けて立とう」
「っ」
目をまん丸に見開いたのは、私だけではありません。
ビタも、その取り巻きたちも、皆唖然となってしまいます。
だって、いま閣下が仰ったのは、つまりこういうことなのです。
私を家族として迎える。
私に危害を向けるものは、辺境伯家を敵に回すと知れ、と。
辺境伯とは、ただの爵位ではありません。
国家の中に存在する、もうひとつの国とでも言うべきものです。
辺境伯に敵対するのは、王侯貴族に叛旗を翻すようなもの。
ビタの言動が許されていたのは、私と血のつながりがあったからです。
けれど閣下は、それすら許さないと今、仰って。
「で、ですがぁ。ユングバリさまは愚姉を見せかけだけの婚姻相手にしたはずでぇ」
「俺が婚約者に恵まれないから、渋々彼女を受け容れたと言いたいのか? 言語道断だ。よい機会だな、この場にいる全てのものに告げる。そして、あらゆる家人、領民に知らしめるがいい」
閣下が、珍しく声音に熱を載せて告げるのです。
「俺は、我が妻アンリを好いている。この世のあらゆるものよりだ。そして、貴君らも見るがいい。これこそが今日より、ユングバリ家の至宝となるのだと」
彼が頷きかけてくれます。
事前の打ち合わせの通り、私はマントに手をかけ――失敗したらどうしようと脳裏をよぎる弱音を、彼の先ほどまでの言葉を思い出してはねのけ――一息に、払い除けます。
現れたのは、
「太陽……?」
誰かが、感じ入ったようにそう、呟きました。




