第一話 聖人の血脈ってなんですか?
「聖人の血脈、あるいは聖者の血族つーのは、ようするに御伽噺や」
自身を襲った相手を特定し、政治的な立場を維持するため。
ついでに三角貿易締結を行うべく、アズラッドさんはアジフ国へと帰ることになりました。
別れ際、あのとき聞いた不思議な言葉について伺うと、やっぱり不思議な返答が。
「誰よりも聖く、誰よりも浄い人間がおった。その一族には奇跡のような力が宿とって、ぎょうさんの人々に福音をもたらした……とかなんとか。ワイもよーしらん。なんで、ついでに調べといたるわ。ウサギちゃんをみせてもろた礼ってことで、特別やで?」
サングラスをずらし、ウインクをして。
そして今度こそ彼は去って行きました。
改めてお母様から受け継いだ芸の凄まじさと、その反動に悶絶したのは言うまでもありません。
だってイェルハルド閣下が、
「俺もなにか、対価を考えておこう。本当によいものを見た」
「もう……!」
しばらくこんな感じで、至極真面目な表情で褒め続けてきたのですから。
さてはて。
それから数日、私と閣下とお屋敷の皆さんは、事後処理に追われていました。
当然、花火の一件です。
対外的にはイェルハルド閣下ご結婚の祝いということになっているので、どこかでお披露目会をしなければならない、という結論に落ち着きつつあります。
もちろん最適な日取りで、もっとも効果的なタイミングを定めるべきでしょう。
たとえば料理一つにしても、貴族が手をつけなかったものは従者さんたちや領民への下げ渡しになりますから、影響が大きいのです。
色々と試算をしつつ、皆さんと一緒にお仕事をしていると、ようやくこのお屋敷の仲間になれたような気がして、とても嬉しくニコニコしてしまいます。
なので、私は上機嫌でいたのですが。
不意のタイミングで、閣下が、奇妙な問いかけをしてきました。
「アンリ、きみは実家が恋しくはないのか?」
「実家、ですか?」
実家が恋しい。
実家に戻りたい。
遠回しな実家へ帰ったほうがいい通達。
つまり、これは……!
「まさか、閣下は私との婚姻を解消して実家へ帰ろと!? 離縁しろと!?」
「違う、違う!」
狼狽する私。
私以上に何か必死な様子の閣下。
遠くでニコニコと見守っているセレスさん。
三つ巴です! これは三つ巴ですよ……!
「えっと……違うのですか?」
「ああ。家族との挨拶も早々にこちらへ来てもらったと聞いている。領地でやり残したこともあるのではないか、領民に思い残すこともあるのではないかと、そう感じてな。俺としては、すぐにでも君を呼び寄せたかったので、随分と横車を押したと反省しているのだ」
なるほど。
いかにユングバリ家の情報網と権力を持ってしても、アクセーン男爵家のお家事情までは調べられなかった、ということでしょう。
とくに私の立場は、ほとんど屋敷の外に出ることも出来ない、いわば深窓の令嬢だったわけですから、なんら情報がなくても不思議ではありません。
あれ? それでは閣下は、どうやって私の存在を知り、政略結婚を申し込んでこられたのでしょうか?
あるいはそれは、お父様の差し金だったとか……?
ウムム……考えるべきことは多そうですが、この場での答えはひとつです。
「案ずることは、まったくありません」
「……君が領地の運営をしていたのでは? 責任者の不在は、案ずるべきことではないと?」
「それは存じてくださっていたのですね」
「ああ。必要なら、加えて技術的な支援も行う用意があるが」
「それは、不要でしょう。なぜならば」
私は、信じているのですから。
「確かに立案や運営、費用や人足の調整、長期的展望の提示や発生する問題の即時対応は私が行っていましたが」
「全部だな」
「それは、妹が行っていた、ということになっているようです」
「ようです、とは?」
「私は男爵家に不要な人間であり、居るだけで財を食い潰す扱いだった、ということです」
「――――」
閣下の表情は変わりません。
ただ、視線が氷のように冷たくなり、拳がギュッと握り込まれます。
何かを我慢しているのでしょうか?
あるいは、怒ってくれているのでしょうか?
だとしたら、私は幸せ者です。
「閣下、どうか家族を悪し様に思わないでください」
「……きみは、それでいいのか」
わずかに震えたイェルハルド閣下の声。
私は微笑んで頷きます。
「お父様たちにも、きっと理由があったのです」
私が不出来で、期待に応えられなかったのは事実ですからね。
とくに食事。最後まで満足してもらえませんでした。
それはそれとして、領地運営の話に戻ります。
「誰もが初めは、模倣からはじめます。最初から完璧な人間なんて、閣下ぐらいのものです。なので、家のことは心配していません。成果を理解できる能力があるならば、それを利用するノウハウも蓄積しているはずですから。つまり、領民の皆さんも、いまごろは幸せに暮らしているはずだと思うのです」
「なんというか、アンリ、きみはズレているな……俺に感情がわからないことを指摘した相手だとは思えない」
大きく息をついて。
閣下は全身の硬直を解きました。
そうして、そっと私の髪へと手を伸ばし、ピタリと動きを止めます。
「許可を取りたい。きみの御髪にふれることを」
「これでも結婚しているのですよ?」
「それでも、君には決して、不義理を働きたくない。不思議なことに、戦場へ赴くより、きみを傷つけることが恐ろしい」
「……やさしいですね、イェルハルド閣下は。どうぞ」
差しだせば、彼はまるで宝飾品に触れるように緊張した様子で、私の白髪を一房手に取り。
「俺は今、君が家を思う気持ち、領民を思う気持ち、そして許しをくれたことに感じ入っているらしい。この気持ちは、なんというのだろうか?」
「心打たれる、でしょうか。なんでしょう、ちょっとだけのろけ話みたいですね?」
はにかんでみせれば、彼は大きく目を見開いて。
髪から手を放し、両手を広げて――
「あ、そういえば!」
手を打って、私はずっと気になっていたことを、閣下へと告げました。
「辺境伯領は、どのような領地ですか? 是非一度、きちんと見て回りたいと思っていたのです。閣下の領民さんたちのお話、是非聞かせてください!」
笑顔で訊ねたのですが、何故か閣下は両手を広げたままわなわなと震え、突然がっくりとうなだれて肩を落とし。
遠くで見ていたセレスさんが、「惜しい! 惜しいです主さま! あと一歩! セレス、応援!」と、歯がみをしていました。
え、本当に、なんですか?




