幕間 その頃の実家は2
ドウマ・アクセーンに去来したのは、奇妙な焦燥。
アンリが辺境伯家に嫁ぎ、婚姻が行われてから、約ひと月。
援助は当初の予定通り、直ちに実施された。
だが、問題はそれそのもの。
支援を受けてなお、領地の財政繰りが改善されなかったことにある。
ドウマとて、万事が一朝一夕で解決するなど、楽観視はしていない。
それでも、枯れた川に水を流せば、水車は動く。
にもかかわらず、なんら成果は上がってきていない。
「むしろ、以前よりも悪化している。テレジア、どう思う。端的に話せ」
問いかけの相手は、妻テレジア。
戯れのようにこぼれ落ちた焦りに、晩酌の席を珍しく供にした妻から、明瞭な答えが返るとはドウマは思っていない。
精々が言語化の切っ掛けになればいいという期待にも満たない感情があるのみ。
だが、妻であるテレジアから返ってきたのは、予想だにしない言葉だった。
「呪いよ」
「……馬鹿な、大衆本の読み過ぎだ」
「呪わしきアンリ、あれがわたしたちを祟っているに違いありませんわ」
ドウマの顔がしかめられる。
脳裏に広がったのは、苦々しい記憶――
アンリは、ドウマの実子である。
だが、テレジアの子ではない。
前妻との間に生まれた一粒種。
本来ならば、その生い立ち、血筋の特異性を持って男爵領を発展させるはずだったもの。
だから無理にでもと、ドウマは結婚を余儀なくされた。
そこには愛はなく。
政略結婚ですらなく。
互いに強要されたという事実だけが、重く横たわり。
ゆえに、前妻を思い起こさせるアンリを、ドウマは苦手とした。
その苦手意識は、年月を経る内に、憎しみへと変貌する。
この憎悪は、彼自身でも信じられないほど屈折したもの。
なぜならば。
「奪われたのだ」
「あなた?」
「……何も儂は言っていない」
奪われた。
それがドウマの、嘘偽らざる本心。
行われた奪取。
それが時間や財産などではなく、もっと輝かしいものであったことをドウマはよく知っていた。
だからこそ、テレジアの言う呪いに、わずかだが心が動く。
そんな真似が出来るわけがないと理解していながら、ならばどうしたのかと考えてしまう。
「援助金を中抜きしている? あるいは、領民どもから金を収奪する枠組みを、領地にいるうちに作っていた?」
「そうに違いありませんわ、あなた。あの悍ましい女は、この家の女主人の座を狙いながら、領民から搾り取れるだけ搾り取り、私腹を肥やしていたんですのよ」
「…………」
ありえない。
ありえるわけがない。
ドウマは二度否定して、しかし、前妻の子どもならば出来るかも知れないと考える。
いと尊き旧き血の力ならば――
「ならば、その洗い出しをやらせる」
「わたしとビタにお任せくださいまし」
「ビタか」
有能な娘である。
ドウマはそう考えている。
また幾つか宝飾品を買い、ドレスを新調したようだったが、それも全ては近隣貴族との社交界で自らを美しく魅せるため。
将来の婚約、あるいは交渉を有利に進めるための必要経費。
……テレジアが着飾る理由もそうに違いない。
ドウマは、己にそう言い聞かせる。
見たこともないほどの大粒のダイヤの指輪や、イヤリングとて、理由があって身につけているのだろう。
婦人たちは茶会が好む。
その席で舐められれば、爪弾きにされる。
それでは、男爵家を切り盛りすることは出来ない。
「抜かりなくやれよ」
だから、ドウマは命じることしか出来なかった。
妻と褥を重ね。
起き抜けにまた強いアルコールをあおり。
朝日の見えない、どんよりとした曇り空を眺めながら考える。
「間違ってなどおらん。儂は正しい。必ずもっと上の爵位を手に入れ、繁栄する」
それは自らに言い聞かせるようなもの。
ドウマは知らない、それこそが呪いであると。
あるいは、知っていて無視する。
意地を張り。
かつて誓った約束を、守るために。
それが、アンリの母と結婚した、本当の理由なのだから。
しかし、ゆえにこそドウマは騙される。
誰も彼に知らせない。
いまアクセーン男爵領を食い荒らしているのが、アンリなどではなく、獅子身中の虫であることを。
テレジアとビタが共謀し、部下たちを全て買収。
ドウマの元へは虚偽の情報しか上がってきていないことを。
領民たちの暮らしは、このときより逼迫をはじめる。
同時に、こんな噂が囁かれる。
男爵家に宿っていた幸福の妖精が逃げ出したから。
だから、この領地は滅ぶのだと。
ドウマは、それすらも、知らない――
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