ピクターは今日も平和を描く
「どうぞ、おかけください」
舞踏会から数日後の礼拝の日。
私は教会の懺悔室に来ていた。
変わらない神父様の穏やかな声にほっとしつつ、私ははやる気持ちを抑えながら、懺悔室の椅子に腰を下ろす。
「お久しぶりです、神父様。先日は、ありがとうございました」
「いえ、それが私の仕事ですから。……舞踏会は、いかがでしたか?」
早速舞踏会のことを聞かれて、胸が弾む。
「今日はそのことでうかがいました。話したいことがたくさんあって……舞踏会ですが、神父様のおかげで、とても楽しい夜になりました」
「それは良かった。疲れは出ませんでしたか?」
神父様のちょっとした気遣いが、少しむず痒い。
なんだろう……この気持ち?
初めての感覚に、少し戸惑う。
けれど、神父様を待たせたくなくて、私は話を続けた。
「疲れなかった、といえば嘘になります。あれほどまでに体を動かしたのは、初めてで……。ですが、それ以上に出席してよかったと、そう思います」
思い出すだけで、胸がまたドキドキしてくる。
今でも、あの夜は夢だったのではないかと思う。
けれど、舞踏会で身につけていたものは消えていなくて、一人でこっそり見返すたびに、あれは本当に自分の身に起こったことなのだと、実感する。
本の中でしか知らなかった世界を目の当たりにして、夜はなかなか眠れない日が続いた。
知識と経験では、全然違う。
なんて素敵な夜だったんだろう……。
深夜0時で魔法が解けた女の子も、翌日ガラスの靴を眺めながら、こんな気持ちになったのだろうか。
「本物の舞踏会は、あんなにも煌びやかなのですね」
「そうですね……側から見れば、そうだと思いますよ」
「側から、見れば?」
思わず、神父様の言った言葉を繰り返した。
まるで、舞踏会をよく知っているような口ぶりだったからだ。
もしかして神父様も、舞踏会に出席されたことがあるのだろうか?
「……失礼しました。私のことはお気になさらず。それよりも、あなたの話を聞かせてくれませんか、ニア」
けれど神父様は、それ以上話してはくれなかった。
私も深く聞かずに、改めてあの日のことを伝えることにした。
宝石箱のような広間。
華麗に踊る招待客。
シリウスとのダンス。
そして……レグルス様との会話。
「……レグルス様にも、会われたのですか?」
「はい。ご挨拶と、一回だけダンスをご一緒しました」
「……そう、ですか」
「神父様?」
少しだけ、神父様の声が低くなる。
不思議に思って、格子戸を見つめた。
すると、すぐに神父様は私に気がついたようだ。
「いえ、何でもありませんよ」
そう言う声は、いつもの神父様の声だった。
「そうですか……」
小さく返事をする。
けれどそこで、会話が途切れてしまった。
舞踏会のことについても、話したいことはほとんど話してしまった。他に、何について話そうかと、少しだけ考える。
最近あって、神父様に伝えたいこと……。
そう思っていたら、ふと、クロエが持ってきてくれた小説のことを思い出した。
そうだ。
これについても、神父様にお礼を言わなくてはいけない。
「そうです、神父様。以前メイドに、最近の流行について聴いてみてはどうかと……そうおっしゃっていましたよね?」
「あぁ、そうでしたね」
「私、あの後すぐに王都の流行についてメイドに聞いてみたのです。その時は、その……いくつか教えてもらう中で、私は自然と、ミアの好きなものを選んでいました」
それが、当然のことだと思っていたから。
優先すべきは、私ではなくミアだ。
だからあの時は、何も考えることなくミアの好きなピアノを選んだ。
ミアだったら、そうするから。
考える余地などない。
私の考えは必要ない。
今までそう教えられて、そう生きてきた。
それなのにあの時、クロエからもらったピアノの楽譜は、今は机の中で、あれ以来触れていない。
こんなこと、今までなかったのに。
「……ですがそれからしばらくして、最近王都ではミステリ小説が流行っていると、改めて教えてもらいました。その時は私自身、その小説を読むつもりはなかったのですが、メイドがその小説を用意してくれて……。読んでみたら、その……すごく、面白くって、一気に読んでしまいました」
つい、話すスピードが速くなる。
伝えたいことが多すぎるのだ。そのせいで、うまく話せない。
そういえば私は今まで、こうして誰かに自分の好きなものについて話をしたことがあっただろうか……。
「それはよかった。読んだのは、何という小説ですか?」
「名探偵コスケーのシリーズです。私が読んだのはケルベロスの一族のお話で……とても怖かったのですが、面白くてページを捲る手が止められませんでした」
「あぁ、マスクの男が出てくる小説ですね」
「そうです、そのお話です!神父様もご存知とは!」
「私もつい最近読みましたよ。面白いですよね、心理描写が絶妙で。他のタイトルは読まれましたか?」
「はい。今は死神の子守唄を読んでいるところです」
「そうですか。また読み終えた際には、ぜひ感想を聞かせてください。私も読んでおきます」
「えぇ、もちろんです!神父様の感想も、ぜひ聞かせてください!」
自然と、声が弾む。
誰かとこうして、好きなものについて話すことが、こんなにも楽しいだなんて、知らなかった。
「……ニアは、本がとても好きなのですね」
「え、あ……は、はい……」
改めて神父様に本好きであることを指摘されて、なぜか急に恥ずかしくなってしまった。
思わず、私は格子戸から顔を背ける。
「こ……故郷の屋敷にいた時は、一人で過ごしていて、他にすることもありませんでしたし、それに、本を読んでいると色々な世界を知ることができましたから……」
声も、どんどん小さくなってしまう。
なぜだろう、顔を上げることができない。
耳が、熱い。
「そうですか」
けれど、そんな私の心配とは裏腹に、神父様はとても穏やかに私に話しかけてくれた。
心地いい声に、少しだけ熱が引いていく。
「……その気持ち、私にも覚えがあります」
「えっ……?」
予想していなかった神父様の言葉に、私は思わず顔をあげた。
けれどそこには、カーテンが締め切られた格子戸があるだけだった。
「……昔の話ですよ。それより、ニアは王都で楽しく過ごしていらっしゃるのですね」
私が聞き返すよりも早く、神父様はまたすぐに話題を変えてしまった。
きっと神父様にも、知られたくないことがあるのだろう。
当然のことなのに、ちくりと胸が痛い。
「はい……。どれもこれも、神父様のおかげです」
けれど、楽しいのは本当だ。
王都に来た頃とは、全然違う。
あの時には、こんな日々が訪れるなんて、思ってもいなかった。
神父様には、感謝してもしきれない。
私はそっと、指を組んだ。
「いいえ、舞踏会も小説も、最終的な選択をしたのは、他でもないニア、あなた自身です。あなたが決めて、動いた結果です。私はただ、選択肢を伝えたに過ぎません。これからも、ミアとしてではなく、あなたの気持ちを……もっと大事にしてください」
「私の気持ちを、ですか?」
組んだ指に、力が入る。
あの時……ミアらしくないことをしてしまったと思っていた。
だってそうだ。
私はミアで、ニアではない。
ミアらしいことをしなくてはならないのに、ニアを出してしまった。
けれど、そのおかげで、こんなにも……。
こんなにも、日々が眩しい。
「……わかりました」
もちろん、ミアらしくしなければならないことに変わりはない。
けれど、日々の中で、少しだけ……ほんの少しだけ、ニアが顔を出しても、バチは当たらないのかもしれない。
「頑張って、みます……」
だって、私はニアだから。
絞り出すように、私は答えた。
私の気持ちを大事に……か。
そう考えながら、ゆっくり瞼を落としてみる。
今まで、自分の気持ちなんて、考えたことがなかった。
それはとても新鮮で、それでいて、難しい。
今の、私の気持ち……。
「あの……」
しばらく考えてから、私はそっと目を開いた。
「もしもよろしければ、神父様のお薦めの本を、教えていただけませんか?」
「私の、ですか?」
まさか私にそのようなことを訊かれるとは思っていなかったようで、神父様は驚いた声を上げた。
でも、知りたい。
神父様は、どのような本が好きなんだろう。
「えぇ、是非教えていただけませんか?」
「そう、ですね……」
しばらく思案して、神父様はゆっくりと口を開いた。
「あなたに薦めるのでしたら、十二宮物語……でしょうか」
「十二宮……物語?」
人並み以上に、本を読んできた自負はある。
けれど、それでも知らない本のタイトルに、私は首を傾げた。
「はい。十二の星の名前を冠する国の王について書かれた、ファンタジー小説です。全十二篇と長いのですが、ニアだったらきっと気にいると思います」
「十二宮物語……ですね。わかりました、探してみます」
ここを出て馬車についたら、すぐにクロエに伝えよう。
私が、そう決めた時だった。
「その本でしたら、図書館にあるはずですよ」
「としょかん?」
神父様が、また聞いたことのない言葉を口にする。
書斎なら知っている。けれど、としょかんとはいったいなんだろう?
聞き返した私に、神父様も格子戸の向こうで不思議がっている様子だった。
「図書館をご存知ではない?」
「あの……お恥ずかしながら……」
「いえ、恥ずかしがることはありませんよ。そうですよね、図書館がある地域が珍しいのでした。ここから王宮の方へ向かって行く道中に、青い屋根の大きな建物を見ませんでしたか?」
「えぇ、最初はそこが教会だとばかり思っていました」
「そうでしたか。そこが国内外の本を集めて保管している、図書館という建物です。どなたでも自由に出入りができて、本を読むことができます。希望があれば、貸し出しも可能ですよ」
「そ、そんな夢のような施設があるのですか?!」
たくさんの本が集まっていて、さらに借りることもできるだなんて。そんな素晴らしい施設があるなんて、まったく知らなかった。
「えぇ、良かったら行ってみてください。そこでも十二宮物語を借りられます」
「ありがとうございます、神父様。この後行ってみます」
「是非。どの宮から読んでも良いのですが、私のおすすめは白羊宮からです。それに他にもきっと、素敵な本が見つかると思いますよ。あなたに、神の祝福がありますように」
そう、神父様からいつものように祝福を受ける。
今日は悩みでもなんでもないのに、神父様は嫌なそぶりを見せずに私の話を聞いてくださった。
それが、どれだけ私にとって嬉しいことか……。
きっと、神父様にもわからないだろう。
(急いで、神父様のおっしゃられていた本を探してみよう)
私は口元が緩んでしまいそうになるのを必死に堪えて、クロエの待つ馬車へと向かった。




