進み出したホロロジウムは止まらない
「……はじめまして、レグルス様。ミア・ソレイユ・シルビアスです」
なんとかミアの笑顔を作って、私はレグルス様に挨拶をする。
いつかは挨拶をしなければと思っていたものの、まさかこのような場でお会いすることになるだなんて……。
思いがけない出会いに、背筋が伸びる。けれど、足の震えが止まらない。
「そうそう、ミアだ。すまなかったね、本来なら、もう少し早く挨拶をしなければならなかったのに、遅くなってしまって」
「いえ、遠征に行かれていると伺っていましたので、今夜はいらっしゃらないものとばかり思っておりましたの。こちらへはいつ戻られたのですか?」
「あぁ、つい今し方ね。オープニングダンスに間に合って良かった。僕の可愛い婚約者が、臍を曲げてしまうところだったよ」
「あら、それってわたくしのこと?」
そう言ってレグルス様の後ろから一際美しい女性が現れた。ビビッドな赤いドレスに身を包んで、すらっと立つその姿は、おとぎ話に出てくるお姫様のそれだった。
ただ歩いているだけなのに、しなやかなその所作に、同じ女である私でも目が釘付けになって、一瞬ドキッとしてしまう。
「君以外いないだろう?紹介するよ、ミア。僕の婚約者、セシリアだ。セシリア、彼女はヴォルフラムの婚約者のミア」
「ごきげんよう。セシリア・ローゼンヴァルトですわ」
「はじめまして、セシリア様。ミア・ソレイユ・シルビアスです」
「……そう、貴女が……あのヴォルフラム様の婚約者になったっていう……?」
指先で口元を隠しながら、セシリア様は私の頭からつま先まで、舐め回すように見つめた。
その視線に、私の身体が硬直する。
それをレグルス様も感じ取ったようで、優しくセシリア様を嗜めた。
「セシリア、あまりジロジロ見るものではないよ」
「あら、ごめんなさい。あの方と婚約されるだなんて稀有な方、いったいどのような方なのか、気になっていたものですから」
「セシリア」
再び、レグルス様がセシリア様の名前を呼ぶ。
けれどセシリア様は、レグルス様の言葉に耳を傾けることなく話し続けた。
「だってそうでしょう?皆があの方との婚約を拒んだっていうのに、それを受け入れるだなんて……いったい、どんな物好きの……」
「……セシリア」
今度は、とても静かに、レグルス様はセシリア様の名前を呼んだ。
その声の中には明らかに怒気が含まれていて、流石のセシリア様も感じ取ったらしい。セシリア様はすぐに口を噤むと、飲み物を取りに行くと言って私たちから離れて行ってしまった。
揺れる赤いドレスと長いブロンドの髪を見つめながら、レグルス様は小さくため息をつく。
「……すまない、セシリアも悪気はないんだ」
「いえ、ご心配には及びませんわ。本当のことですもの」
何でもないように、笑ってみせる。
だってセシリア様が言ったことは、本当のことだから。
もしも私の家が、辺境地の歴史が古いだけの没落貴族ではなく、王都近隣の裕福な貴族だったなら……いくら私でも、お姉さまの代わりとして、ヴォルフラム様と婚約することはなかっただろう。
だから、セシリア様は悪くない。それに、きっとほとんどの貴族がそう思っている。
けれど、レグルス様は違ったらしい。
「僕としては、大事な弟にこんな綺麗な婚約者ができて、嬉しい限りだよ」
そう言うと、レグルス様はとても綺麗な笑みを浮かべた。
「そうだミア、僕と一曲踊ってくれないかい?」
「え……」
「さっきのお詫びだ。どうかな?」
レグルス様は足を揃えて一礼すると、右手を私に差し出す。
急なダンスの誘いに、どうしていいのか分からず、動きが止まる。
第一王子、レグルス様からのダンスの誘いだ。断ったら失礼にあたる。
けれど、先ほど踊っただけでもう立っているのがやっとだというのに、もう一曲だなんて……。
小さく、私は下唇を噛み締めた。
こんな時、ミアだったらどうするだろう。
……そう考えたら、答えは一つだった。
「……よろしくお願いいたします」
満面の笑みを浮かべて、私はレグルス様の手を取った。
「ありがとう」
レグルス様に手を引かれて、広間の真ん中へと移動する。
ゆったりとした優雅なワルツの音に合わせて、レグルス様はまるで息を吸うのと同じようにステップを踏む。
それに対して私は、レグルス様の動きについていくのがやっとだった。シリウスとは違って、レグルス様は力強く私をリードしてくださる。
その姿に、私はふと……あるお伽話を思い出してしまって、つい口角を上げてしまった。
「何か、面白いことでもあった?」
「あ……いえ、その……」
まさかレグルス様に気づかれるとは思わず、しどろもどろになる。
ど、どうしよう……。
ミアは、こんなことしないのに。
でも……。
でも、私は……。
「少し、思い出したことがありまして……」
ぼそっと、呟く。
こんなこと、してはだめ……なのに。
「思い出したこと?」
「えぇ、レグルス様はライオンと太陽のお伽話はご存知でいらっしゃいますか?」
あくまでミアのような口調で、私は話した。
「あぁ、ライオンと太陽が恋に落ちるけれど、太陽が熱すぎて触れられないというお話だね。それが、どうかした?」
「ライオンに触れられない太陽は、野の花の姿を借りてダンスをするでしょう?それが、今の私たちのようだと思ったら、おかしくて……」
もちろん、レグルス様が獅子で、私が野の花だ。
麗しい獅子が、不恰好な野の花と一緒にワルツを踊る姿を、きっと周りは滑稽に思っているに違いない。
「気分を害されましたら、申し訳ありません」
「いや、ミアは面白いことを言うね」
ワルツを踊りながら、レグルス様は優しく微笑む。
けれどそれは、とても綺麗だけれども、どこか取って作ったようで……。
(どこか、寂しそう……?)
そう思った時だった。
「ッ……?!」
レグルス様から少し離れてターンをしようとした瞬間、足がもつれて体勢が崩れる。
視界が、一気に歪んだ。
いけない、このままでは倒れてしまう!
けれど、どうにもできない……ッ!
咄嗟に、私は目を瞑った。
けれど、来ると思っていた衝撃は、いつまで経ってもやってこなくて、その代わりにあったのは、私の体を抱え込む、優しい体温だった。
「……大丈夫?」
「は、はい……」
私が倒れそうになった瞬間、レグルス様は私の腕を引いて、その胸に抱き寄せてくださったらしい。とくとくと、レグルス様の規則正しい鼓動の音が聞こえる。
距離が近いせいなのか、体がとても熱い。
それに何より、レグルス様の黄金の双眸が、まっすぐ私を見つめていて……目を離すことができなかった。
「太陽……というよりは、星のようだね」
「え?」
ぼそっと、レグルス様は呟いた。
星と言われ、一瞬ドキッとする。
「いや、なんでもないよ。立てる?」
「え、えぇ……」
何でもないと言うように、レグルス様は私の手を取ると、体を起き上がらせてくださった。
けれど、私の耳にはレグルス様の先ほどの呟きが残っていて、消えない。
「疲れたんだろう?今日はもう帰って休むといい。あいつの側近は……」
「ミア様!」
「……シリウス」
人混みをかき分けて、シリウスは持っていた飲み物を近くの給仕に預けると、私の元へ駆け寄ってくる。
その姿を見て、少し呼吸がしやすくなった気がした。
「すみませんミア様。私がついていながら……」
「……大丈夫よ。少し疲れが出ただけだから」
「今日はもう、お暇いたしましょう」
「……そうね。そうさせてもらおうかしら」
そう言って、私はシリウスの手を取る。
すると不意に、レグルス様に呼び止められた。
「ミア、無理をさせてしまってすまなかったね」
「いえ……私の方こそ、申し訳ありません。せっかくのダンスの時間でしたのに」
私はシリウスから手を離して、体をレグルス様に向けた。
「そんなことは気にしないでくれ。そうだな……また今度、ゆっくり話をしよう」
「はい。私でよろしかったら、ぜひ」
「もちろん。……約束、だよ?」
流れるように、レグルス様が私の手を取る。
その動きを、私はただ目で追った。
すると指先に、花弁がふれたような感触があった。
「……えっ?」
レグルス様がそっと、私の指先にキスを落としたのだ。
突然のことに、何が起こったのか分からなかった私は、すぐに手を引っ込めてしまった。慌ててレグルス様を見れば、またあの笑顔を、私に向けている。
「じゃあゆっくり休んでね。おやすみ……ミア」
「お、おやすみなさいませ、レグルス様……」
「行きましょうか、ミア様」
レグルス様から引き離されるように、私はシリウスに連れられて、舞踏会会場を後にした。
指先に、レグルスさまの熱を残したまま。




