空の彼方にアクイラがいる
「ここが、図書館……?」
「はい。左様でございます」
教会の帰り。
クロエにお願いして図書館に連れてきてもらった私は、一歩建物の中へ足を踏み入れるなり、その場から動くことができなかった。
どこを見ても本、本、本……!
本しかない!
お父様の書斎にも、たくさんの本が置いてあったけれど、その比ではない。
壁一面、全てが本で埋め尽くされているだけではなくて、本棚で通路が作られている。
こんなにたくさんの本、今まで見たことがない!
「すごい……」
思わず、本音がこぼれ落ちてしまって、私は慌てて口元を押さえた。
いけない、いけない。
口元がにやけそうになってしまう。
ミアは絶対、こんなことしないのに。
クロエに気が付かれないよう、息を吸って吐く。
何とか、冷静にならなくてはいけない。
空気が頭に回って、少しだけ落ち着いてきた。
改めて、私はミアの仕草を作る。
「もしかして、前にクロエが見つけてきてくれた本も、ここで?」
「いえ、あれは流行りの本ですので、購入いたしました。図書館にも置いてあるそうなのですが、長い順番待ちになるのです」
「そうなのね……。それにしてもすごい……!」
ミアの仕草に、少しだけ自分を混ぜてみる。
これならきっとバレることはない。
「ミア様」
「なあに?」
「ゆっくりご覧になりたいでしょうし、私は馬車でお待ちしておりますね」
「わかったわ、待っていてね。絶対よ?」
「えぇ、わかっておりますとも」
お姉さまがいつもそうするように、クロエに念押しをする。
そしてクロエの後ろ姿が見えなくなるまで待ってから、私は目的の本を探すことにした。
「えっと……」
けれど、すぐに行き詰まってしまう。
(いったい、どこから探せば……?)
とにかく、本が多いのだ。
これでは、どこから探せば良いのかもわからない。
とりあえず、ぐるりと周囲を見渡してみる。
とても広い空間に、所狭しとばかりに本がたくさん置いてあって、すぐに迷子になってしまいそうだ。
(端から順番に探していくしかないのかしら?)
そう思っていると、ふと棚に札がかけられているのに気づいた。
『哲学』
『心理学』
『宗教』
などなど……。
とりあえず近くにある心理学と書かれた棚を見てみると、そこには心理学に関する本が順番に並べられていた。
そうか、ジャンル別に文字の順で並んでいるのか。これなら探しやすい。
私は走り出しそうになるのを堪えながら、端の方から順番に、棚の札を確認していく。
まるで本棚の迷路に迷い込んだみたいだ。
(うさぎを追いかけるのって、こんな感じなのかしら?)
また、つい口元が緩んだ。
でも、誰も見ていないのだから、これくらいは許されたい。
「あ……!」
いくつもの棚を確認して、やっと文学という札がかけられた棚を見つけた。
あとはこの中から、十二宮物語を探すだけだ。
私は棚の端から、『じゅ』の文字を探した。
上から徐々に下へ行く。けれど、ない。
また棚の上段を見て、下がる。ない。
その動作を、延々と繰り返した。
タイトルを見ると、昔読んだことがある本も並んでいる。
見ているだけで楽しい。
けれど、今は本探しだ。
「えっと……じゅうに……じゅうに……」
「……あれ、ミア?」
「えっ?」
遠くから、名前を呼ばれる。
私はびっくりして、すぐに視線を本棚から、声の主へ向けた。
飛び込んできたのは、金の長い髪だ。
「偶然だね。ミアもここに来てたんだ」
「まぁ、レグルス様!」
そこにいらっしゃったのは、レグルス様だった。
まさか、こんなところでお会いするなんて。
私は咄嗟に、ミアの笑顔を作った。
「何か探し物?」
レグルス様は私の方へ近づいてくると、少し屈まれる。
すると、金色の瞳と真っ直ぐ目があった。
「はい、本を探していましたの。レグルス様は……お仕事ですか?」
「あぁ、ちょっと北方周辺の地図を探しにね」
そう言って、レグルス様は手にしていた地図を私に見せる。
すごい!地図まで所蔵されているなんて……!
図書館という場所は何てすごい場所なのだろう。
思わず飛び跳ねたくなるのを、私は必死に堪えて、ミアを演じた。
「お忙しいのですね。あまりご無理はなさいませんように」
「ありがとう。ミアは本を探してるって言ってたけれど、何てタイトルの本?」
「えっと……」
少しだけ、タイトルを口にするのを躊躇ってしまう。
けれど、話さないのもおかしい。
「十二宮物語ですわ」
「あぁ、あれか。あの本だったら確か……あ、あったあった」
そう言って、レグルス様は軽々と一番上の棚から山吹色の背表紙の本を手に取ると、私に渡して下さった。
「はい、どうぞ。これが僕のおすすめ」
言われてタイトルを確認する。
そこには確かに十二宮物語と書かれているものの、副題として人馬宮と書かれていた。
神父様が薦めてくださったのは、これではない。
「あ、あの……!」
「ん?」
不思議そうに、レグルス様は私を見つめる。
けれど、言わなければ。
少しだけ、私は下唇を噛み締めてから、口を開いた。
「白羊宮と書かれたものは、ありませんか?」
「白羊宮?」
「はい。実は先に、こちらをお薦めしていただいていて……」
「そっか。残念」
そう言って、レグルス様は山吹色の本を棚へ返すと、新たに薄紫色の本を私に渡してくださった。そこには間違いなく白羊宮と書かれている。
この本だ。
「ありがとうございます、レグルス様」
思わず、私は本を抱きしめた。
「どういたしまして。でも懐かしいな……。この本、よくヴォルフラムが読んでいたよ」
「ヴォルフラム様が?」
突然出てきた名前に、私は目を丸くする。
「あぁ、あいつは本が好きだからね。いや……、好きというか、それぐらいしか自由にできることがなかったのかもしれないけれど……」
まるで独り言のように、レグルス様は私の持っている本の背表紙を指でなぞりながら呟いた。
兄弟なのだから、レグルス様がヴォルフラム様のことを知っていらっしゃるのは当然だ。
「あの……ヴォルフラム様って、どんな方なのですか?」
「気になる?」
まるでいたずらっ子のように、レグルス様は私に微笑む。
それに気が付かないふりをして、私は返事をした。
「……はい」
それだけなのに、ひどく緊張するのは何でだろう。
「そうだな……ここで立ち話でするような内容ではないし、どうだろう?今度、一緒に食事でも?」
「え……?」
まさかの誘いに、私はうっかり持っていた本を落としてしまった。
確かに、舞踏会の際にまたゆっくり話をしようとおっしゃられていた。
けれどそれは社交辞令だとばかり思っていたのだ。
まさか、本当に誘われるだなんて……。
「どうかな?僕としては、ヴォルフラムの兄として、あいつの婚約者がどんな子なのか知っておきたいっていうのもあるんだけど」
私が落とした本を拾いながら、レグルス様は続けた。
私を見つめる黄金からは、何を考えていらっしゃるのか読み取ることができない。
「……そんな、どんな子だなんて、普通の貴族の娘ですわ。ですが、レグルス様がそうおっしゃってくださるんですもの、是非ご一緒させてくださいな」
ミアのように微笑み返しながら、私は拾っていただいた本を受け取る。
「良かった、嬉しいよ。じゃあ、日時は後日、従者から伝えるようにするね」
そう言いながら、レグルス様は私の髪の束を一房、指先でするりと絡めとった。
「……本、楽しんで」
そして、レグルス様は舞踏会の帰りと同じように、慣れた手つきで私の髪にキスをすると、そのままその場を後にしてしまう。
「っ……!」
突然のことに、私は再び本を落としてしまった。
けれどレグルス様は、そのまま行ってしまう。
慌てて本を拾うと、そこにはもうレグルス様の姿はなかった。




