オーリガがやってくる
「クロエはここで待っていてね」
「承知いたしました」
「絶対よ?どこかへ行ったりしないでちょうだいね?」
「もちろんですとも」
クロエを教会の前に待たせて、私は急いで懺悔室へと向かう。そして扉に手をかけ、すぐに中に入った。
そこで、はたと思い出す。
(……懺悔を聞いてくださる神父様って、先日のあの方……?)
すっかり、先日話を聞いてくれた神父様が、今日もいるものとばかり思っていた。けれど、これだけ大きな教会なのだから、神父様は何人もいるはずだ。
もし、あの方ではなかったら……?
考えただけで、さっと身体が冷たくなる。
その時だった。
「……どうぞ、おかけになってください。ニア」
「神父様……!」
あの時の神父様に、名前を呼ばれる。
それだけで、身体には熱が戻ってきた。
私は急いで、椅子に腰掛ける。
「……良かった。別の方なのではないかと、心配してしまって……」
「そうでしたか。私がこの懺悔室の担当ですので、特別なことがない限りは私がおりますよ」
それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。
これからも、礼拝の日にここへ来れば、神父様に会えるのね。
「ところで、今日はどうされたのですか?先日来られたばかりだというのに……」
神父様が驚かれるのも無理はない。
私はおずおずと、今日ここへ来た理由を伝えた。
「その……今日はどうしても、神父様に相談したいことがありまして……」
「相談したいこと?」
「はい。実は……」
先日届いた舞踏会の招待状について、私は神父様に話した。
「……ダンスが踊れない、というわけではないのです。ですが、初めて経験する社交界の場が、王家主催の舞踏会になってしまって……」
「そう……でしたか」
言い終わって、私は顔を伏せた。
まさか初めての社交界が、王家主催の舞踏会になるだなんて、誰が思うだろう。
もしもそこで、自分がミアではないとバレてしまったら……。考えただけで、震えが止まらない。
それに不安なのは、それだけではなかった。
「私は、一人で出席することになるでしょうから、余計に……」
ギュッと、私はドレスの裾を握りしめる。
本来であれば、舞踏会は婚約者であるヴォルフラム様と一緒に出席するものだ。
けれどヴォルフラム様は、舞踏会に姿をお見せにならないだろう。
だからどのようなことが起こっても、私一人で対処しなければならない。
(……そんなこと、私にできるかしら……)
ただでさえ、ミアとして振る舞わなければならないのに。その上、第二王子の婚約者として粗相のないようにしなければいけないなんて……。
考えれば考えるほど、より一層、ドレスのシワが濃くなった。
「……申し訳ない」
「いえ、神父様は何も悪くありません。でも、どうすれば良いのか……」
仕方のないことなのだと、わかっている。
けれどプレッシャーが重く肩にのしかかってきて、不安で仕方がない。
できることなら、誰か……一人でいい。
私の、側にいて欲しい。
「ニア、一つ……確認なのですが」
「なんでしょう?」
神父様からの質問に、私は顔を上げた。
「あなたは、舞踏会に出席したいのですか?」
「はい、もちろんです」
すぐに、私は答えた。
当然だ。よほどのことがない限り、舞踏会には出席しなければならないのだから。
「それは、ミアとしてではなく?」
「……ッ!」
そう訊かれて、言葉に詰まる。
だって、私はミアだから。
ミアとして、ヴォルフラム様の婚約者として、すべきことをするだけだ。
それなのに、神父様は私がどうしたいのかと訊いた。
(私は……ニアは、どうしたいんだろう?)
ドレスから手を放して、胸に手を当てて目を閉じてみる。
そこではとくとくと、一定のリズムで心臓が脈打っているだけだった。
けれど、そういえば幼い頃……本を読みながら、こうやって色々なことを想像したっけ。
外ってどれだけ広いの?
学校ってどんなことをするところ?
買い物ってどんな感じ?
そして──
舞踏会って、どんな場所?
あの時の私が、そう話しかけてくる。
「……私、は……」
ゆっくり、目を開けた。
「舞踏会を、見て……みたいです」
舞踏会で踊りたい、とは思わない。
けれど、本でしか知らない舞踏会を、一目見てみたい。
そう思った。
「わかりました」
すぐに、神父様は答えて下さった。
その声はどこか……笑っているように聞こえた。
「では、エスコートできる方を探さないといけませんね。……ミアの知り合いの方は、いないのですか?」
「王都には、いないと思います。それに、もし知り合いがいたとして、長い時間一緒にいれば、私がミアではないと気づかれてしまうかもしれません……」
「……そうですね。では、他に頼れる方は?」
「……ミアのことを知らない方で……ですよね」
考えてみるものの、そんな都合の良い人物がいれば、すでに思いついている。
やはり、一人で行くしかないのかもしれない。
そう、思い始めた時だった。
「ヴォルフラム様に近い方に、エスコートを頼むことはできませんか?」
「……ヴォルフラム様に、近い方?」
思わず、私は聞き返した。
神父様がおっしゃるように、ヴォルフラム様に近い方であれば、エスコートをお願いできるかもしれない。
けれど、そのような方に会ったことが、今までにあっただろうか?
「……あッ!」
つい、大きな声が出る。
そういえば、王宮へ来たその日に、私へヴォルフラム様からの手紙を届けに来た方が、第二王子の補佐だと名乗っていた。
名前は確か……そう、シリウスだ。
「思い当たる方がいらっしゃるようですね。いかがでしょう?その方にエスコートをお願いしてみては」
「そんな……」
「ヴォルフラム様ご本人が出席されないのですから、あの方に近しい方が、あなたをエスコートしてもおかしくはありません」
「それは……そうなのですが……」
つい、格子戸から目を逸らす。
確かに神父様の言う通り、一番お願いしやすいのはその方のように思う。
けれど……。
私の脳裏に、ヴォルフラム様から頂いた手紙がちらついた。
「神父様……実は以前、ヴォルフラム様から直筆の手紙を頂戴したことがあるのです。ですがそこには、今後一切、私と関わるつもりはないと書かれておりました」
「……ッ!」
驚く神父様をよそに、私は続ける。
「そうおっしゃる方に、私から補佐の方を舞踏会のエスコート役として付けていただけないかなどと、お願いしても良いのでしょうか?」
「そう……ですね」
神父様も悩んでいらっしゃるようで、しばらく何も話さなかった。
本当に、どうすればいいのだろう。
蝋燭の燃える音だけが、懺悔室にぱちぱちと鳴っている。
「……このような不測の事態ともなれば、別……ではないでしょうか?」
「別……ですか?」
「えぇ。ヴォルフラム様は、なかなか表に出ない方です。ですから、あなたのことまで気が回っていなくても、不思議ではありません。そもそも、彼にも体裁があります。一部の貴族にしか知られていないとはいえ、婚約者を紹介する絶好の機会に、あなたの側に誰も付けないとは考えにくい」
「……そう、なのでしょうか?」
神父様の言うことは、もっともな気もする。
ヴォルフラム様がどう考えていらっしゃるのか……まずはそれを知った方がいいのかもしれない。
少し考え込んでいると、神父様は私の沈黙を否定と勘違いしたらしい。
さらに別の案を、私に提案してくださった。
「もしも、ヴォルフラム様には伝えにくいということであれば、一度メイドに聞いてみてはいかがでしょう?」
「メイドに?」
「えぇ。メイドに、舞踏会のエスコートがいなくて困っていると伝えてみてください。王宮のメイドです。きっと力になってくれるはずです」
確かに、神父様の言う通りだ。
クロエだったら、私がお願いすれば、張り切って力になってくれる姿が容易に想像できる。
それにクロエにだったら、私も頼みやすい。
「……わかりました。一度メイドに聞いてみます」
「ぜひ、そうなさってください」
「ありがとうございます、神父様」
顔を上げて、格子戸を見つめる。
そこには相変わらず、カーテンが閉まっていた。けれど、なぜだろう。蝋燭の灯りと相まって、そこがとても柔らかい光を纏っているように見えた。
「いえ。私には、話を聞くことしかできませんから」
「そんな……謙遜なさらないでください。ニアの話を聞いてくださる方がいるというだけで、私は救われるのですから」
私は首から下げていたロザリオを握りしめ、神父様に祈りを捧げる。
誰かが『ニア』を知ってくれている。
それだけで良い。
それだけで、私は私でいられる。
「あまり、私に頼りすぎるのも良くありませんよ、ニア。それよりも、舞踏会を楽しんできてください」
「はい」
「あなたに、神の祝福がありますように」
神父様から優しい祝福をいただいて、私は懺悔室を後にした。
***
「ねぇ、クロエ……お願いがあるのだけれど……」
「なんでしょう、ミア様?」
王宮へ戻るまでの道中、馬車に揺られながら、私は早速クロエに話しかけた。
「今度、舞踏会があるでしょう?あの舞踏会に、ヴォルフラム様はきっと出席なさらないと思うの」
クロエは黙って、私の話を聞いてくれる。
「でも、そうなるとエスコートしてくれる方がいらっしゃらないでしょう?私、まだここへ来たばかりで、一人で出席するのが怖くって……。だからどなたか、私のエスコートを頼める方はいらっしゃらないかしら?」
「なるほど。そうですね……」
私はミアらしく、甘えたような口調で、クロエにお願いする。
クロエはしばらく考え込んでから、ゆっくり口を開いた。
「……わかりました。少し時間がかかるかもしれませんが、私の方で聞いてみます」
「よろしくお願いね、クロエ」
これで、舞踏会のエスコートは大丈夫だろう。
私はにっこりと、ミアの笑顔で笑った。
「あ、そうですミア様。話は変わるのですが、最近王都でミステリ小説が流行っているのをご存知ですか?」
「ミステリ小説?」
本当に突然のことで、私は思わず聞き返してしまった。
「はい。様々な場所で起こった事件を解決するお話で、なんとかという探偵のシリーズが、とても面白いのだとか」
「それが、流行っているの?」
「はい!私は文字を読むのが苦手で知らなかったのですが、他のメイドたちが話しておりました。ミア様は本はお好きですか?」
「私は……」
つい、下唇を噛み締める。
私は……本が好きだ。
あの部屋の中にいた頃は、それぐらいしかすることがなくて、一日中本を読んで過ごしていたせいもある。でも、多分そうでなかったとしても、本は好きだっただろうと思う。
けれど、ミアは違う。
ミアは本を読まないわけではないのだけれど、私と違って、恋愛小説しか読まない。
(どう答えたら……)
そう、私が悩んでいると、クロエはニコッと笑った。
「迷っていらっしゃるのでしたら、手配いたしますわ」
「えっ……」
「だって迷うくらいでしたら、やってみた方が絶対に後悔いたしませんもの」
思わず、目を丸くする。
迷うくらいならやってみた方がいい。
それは、私には考えもつかない発想だった。
「確かに、クロエの言う通りだわ!ありがとう、クロエ!その本、楽しみにしているわ!!!」
ミアの笑顔で取り繕う。
けれどそれでも嬉しくてたまらなくて、心の底から嬉しいが溢れそうになる。
これでよかったのか……、よくわからない。
けれど、ほんの……ほんのひと時だけだから……。
(ミアではなく、ニアでいることを、お許しください)
私はそう、心の中で祈った。




