クラックスに祈りを
ミアのドレスアップを終えると、私は一度ミアの部屋へ戻った。
机の中から、ミアがいらないと言っていた封筒を取り出して、トレイの中で火をつける。
全て燃え切ったことを確認してから、古い手帳と万年筆、そしてウィリアム神父様のハンカチを握りしめて、私は部屋を出た。
小走りで中庭を抜けて、長い廊下を進む。
普段であれば、もう少し人のいる王宮内も、今日は静かだ。
そのせいで、足音が余計に響く。
「ッ……!」
その時、自分のもの以外の足音が聞こえて、思わず私は立ち止まった。
いいえ、足音のせいだけではない。
「もうミアの準備はできているのか?」
「はい、シルビアス卿と控室にいらっしゃいます。お会いになられますか?」
「いや、いい。彼女のウェディング姿は楽しみにとってくよ」
「承知いたしました」
正装に身を包み、とても柔らかい笑みを浮かべながら、レグルス様が従者と共にこちらへ向かってくる。
私は慌てて道を開け、レグルス様に頭を下げながら、目の前を通り過ぎていくのを待つ。
心臓の音が、いつにも増してうるさく鳴り響く。もしかしたら、周囲に聞こえてしまうのではないか。そんな不安で、手も脚も、震えが止まらない。
私は目をきつく結びながら、手にしているものを強く握りしめた。
それなのに……。
「あっ……」
万年筆が、私の腕の中から滑り落ちていく。
廊下に、カランっという冷たい音が響いた。
(すぐに拾わないと……!)
レグルス様に、バレてしまう!
私は慌てて、身を屈めて万年筆を拾った。
けれど、いとも簡単に、私は万年筆を拾い上げることができてしまった。
驚きながら顔を上げると、そこには私の存在など見えていないとでもいうように、まっすぐ教会へ向かうレグルス様の後ろ姿があった。
その背中に安堵して、私は大きく息を吐く。
長い、レグルス様の金の髪が、優雅に揺れている。
「……」
荷物を抱えたまま、私はそっと指を組む。
教会へ向かうレグルス様を見送りながら、私はその背中に向けて、小さく祈りを捧げた。
(さあ、行こう……!)
レグルス様の姿が見えなくなったことを確認して、私は急いでその場を離れた。
王宮を抜けて、街の大通りを進む。いつも馬車から見ていた道だ。間違えるわけがない。背筋を伸ばして、私は真っ直ぐに目的の場所へと向かった。
まだ朝の早い時間だというのに、街の中はすっかりお祭りムードに包まれている。結婚式の後で、民に向かって顔見せを行う予定になっているからなのか、私とは逆方向へ向かう人が多い。
けれど、私には関係ない。
歩みを進めるにつれ、徐々に黒い跡を残す建物が目につくようになってきた。
私の向かう先は、その中心だ。
(着いた……)
そこにあった真っ白だった建物は、黒い炭へと変わり果てていた。中央に伸びていた塔も、折れてしまったのか跡形もなく無くなってしまって、高い空がよく見える。
もう、焦げた匂いはしていない。
あるのは、ただの瓦礫の山だった。
けれど幸いなことに、入り口側は火の手が遅かったようで、原型を留めている。
私はスカートの裾を持ちながら、慎重に入り口へ向かうと、そのまま中に入った。
瓦礫を避けながら、廊下だった場所を進んで、奥へと向かう。
ふと、天を仰げば、崩れ落ちた天井から、優しい陽の光が差し込んでいた。
その光を追って、再び私は視線を瓦礫の山へ向ける。
するとその先に、見覚えのある扉が見えた。
あれは……。
(……懺悔室!)
スカートを強く握りしめ、私は焦る気持ちを抑えながら、懺悔室の前へ向かう。
陽に照らされ光り輝くそこは、奇跡的に原型を留めたまま、静かに佇んでいた。
私はそっと扉に手を触れる。
初めて、この扉に触れたのは、春の初めだった。
けれどもう、季節は秋へと向かっている。
「……」
そっと、私は懺悔室の扉を開いた。
驚くほど簡単に、私はその中へ入る。
中も、蝋燭が灯っていないこと以外、いつもと変わらなかった。
見慣れた格子戸も、沈黙を守っている。
そっと扉を閉めて、私はいつものように椅子に腰掛ける。
手帳と万年筆を横に置いて、私は首から下げていたロザリオと、神父様のハンカチを握りしめた。
「ウイリアム、神父様……」
小さく、愛しい方の名前を口にする。
もちろん、返事はない。
その、はずだった……。
「……ニア」
「えっ……?」
思わず、私は顔を上げた。
聞き、間違い?
真っ直ぐ、格子戸を見つめる。
そこには、やはり沈黙があった。
そうだ。
聞き間違いに違いない。
だって、だってウィリアム神父様は……。
「……よく、ここへ来てくださいましたね。ニア」
けれど今度は、はっきりと聞こえた。
この……この優しい夜のように、私を呼んでくださるのは……。
「神父様っ!!!」
声が震える。
生きて、生きていらっしゃった!!!
思わず、私は立ち上がって、格子戸の前に跪く。
伝えたいことはたくさんあるのに、何から言えばいいのか、わからない。
出てくるのは、涙ばかりだ。
「神父、様……っ!神父様!!!」
何度も何度も、私は神父様を呼ぶ。
その度に、神父様は返事をしてくださった。
嘘じゃない。
ウィリアム神父様はいつも通り、格子戸の向こうにいらっしゃるんだ。
手にしていたハンカチが、涙で濡れてクシャグシャになってしまった。
今日はここに、これを返しにきたはずなのに……。
「ッ……く、ひっ……く、す、すみません……神父様……でも、でも私……神父様が行方不明と聞いていて、それで……」
「申し訳ありません、ニア。ご心配をおかけしました。このように、私は大丈夫です。幽霊でもありませんので、ご安心ください」
泣きじゃくる私に、神父様はいつものように声をかけてくださる。
その声にようやく安心して、私は少しずつ息を整えた。
「……すみません、神父様。急に泣き出してしまって……」
「構いませんよ。私の方こそ、あなたに会えて、とても嬉しい」
いつもとは違い、気持ちをストレートに口にする神父様に、少し面食らう。
このような神父様は、初めてだ。
「……ニア」
先ほどまでとは違って、神父様はとても穏やかに、私の名前を呼んだ。
それは……いつになく真剣な声色だった。
「今日は……あなたにお願いがあるのです」
「お願い、ですか?」
「えぇ」
神父様が私にお願いだなんて……。
不思議に思っていると、少しだけ、懺悔室の中に沈黙が流れた。
けれど神父様は、すぐに口を開いた。
「あなたに……私の懺悔を、聞いて欲しいのです」




