さあアクエリアスにネクタルを満たせ
(あぁ、今日だ……!ついに今日が来た!!!)
はやる気持ちを抑えながら、私はこっそり部屋を抜け出す。
窓から見えた空は、少しだけ白み始めたけれど、まだ星が瞬いていた。
それでも、小鳥たちはもう歌っている。
きっと、私たちを祝福しているのね!
あぁ、なんて素晴らしい日なんだろう。
鼻歌を歌って踊りたくなるのを必死に堪えて、私は目的の部屋へ着くと、ノックもしないで中に入った。
「おはよう、ニア!」
「おはよう……ミア」
そこにはすでに、ニアが窓辺で椅子に座って待っていた。
「さあ、早く着替えてちょうだい。あのメイド……」
「クロエよ」
「そう、そのクロエが来たら困るもの」
「……そうね」
私はすぐに服を脱ぎ捨てると、代わりにニアが来ていた寝巻きに腕を通す。初めて感じる手触りに、思わず目を丸くした。
けれど、今日からこれが、私にとっての普通に変わるのだ。つい、顔がにやけてしまう。
「嬉しそうね、ミア」
「当然でしょ?」
だって今日はあの、レグルス様と結ばれる日なんだから。
「今日喜ばないで、いつ喜ぶっていうの?」
「……そうね。ミアの言う通りだわ」
そう言っている間に、ニアも私が着ていたメイド服に着替え終えた。
あら、よく似合っているじゃない。
「ねえ、ニア……髪をすいてくれないかしら?」
「わかったわ」
ニアはヘアブラシを手に取ると、丁寧に私の髪をとかしていく。
そのブラシでさえ、家で使っているものとはまったく使い心地が違う。まったく、ニアはずっと、こんな暮らしをしていたのね。
でも、そんなことはどうでもいいの。
「本当にありがとうね、ニア」
「……何が?」
とぼけるニアに、私は言ってあげた。
「レグルス様のことよ。私のために、あなたがこんなことをしてくれるなんて、本当に思っていなかったもの」
「……それは」
それだけ言って、ニアは口を噤んでしまった。
おまけに手も止まっている。
早くしてくれないと、今日はやることがたくさんあるのよ?
「ちょっと、早くといて?」
「え、えぇ……」
促さないとやらないんだから。
こういうところは使えないのよね。
「ミア様、失礼致します」
「どうぞ」
他所行きの声で、私は返事をする。
入ってきたのは、いつもニアと一緒にいるメイドだった。
「おはようございます、ミア様。お加減はいかがですか?」
「緊張してしまって、あまり眠れなかったわ。目の下が黒くなっていないかしら?」
そう言って、私はメイドに顔を向ける。
「そうですね……大丈夫だと思います」
「そう、ありがとう」
にっこりと、笑顔を作る。
うん、大丈夫!
誰も、今までのミアが偽物だったなんて気づいていないわ。
まあ今まで誰も気がつかなかったんだもの、今回だって、誰も気付くはずないのだけれど。
「ではさっそく、準備の方をしていきましょうか」
「そうね。髪はもう、屋敷から来てくれていたメイドがとかしてくれたの。だから他の支度を一緒にお願いできる?」
「承知いたしました」
「よろしくお願いいたします。クロエさん」
ニアはメイドに挨拶をすると、そのメイドと一緒になって、私の支度を手伝い始めた。
その様子が面白くって、つい笑ってしまいそうになる。
あぁ、でももうすぐ。
もうすぐだ。
私の幸せは、ここから始まるの!
***
「ッ……!」
「どうかしたの、お父様?」
ウェディングドレスに身を包んだ私を見て、お父様は息を飲んだ。
「いや……なんでもないよ。綺麗だな、ミア」
「本当に?」
「本当だとも」
えぇ、知っているわ。
今、私はこの世界で一番美しくって、一番幸せな女の子なんだから。
私はお父様に、にっこり微笑んだ。
式が始まるまで、私はお父様と一緒に部屋で待つ。あ、そういえば……。
きょろきょろと辺りを見渡す。
何かが足りないと思っていたけれど、ニアの姿がどこにもない。まったく、ニアはどこへ行ったのかしら?
「ねえ、うちのメイドを知らない?」
近くにいた従者に聞いてみる。
「いえ、存じ上げませんが……」
「……そう」
けれど、ニアはいないらしい。
なによ、ベールダウンをお願いしようと思っていたのに。ニアったら、私の人生で最高の瞬間が始まるっていうのに、どこに行ってるのかしら。
けれどそんなことも、すぐにどうでも良くなった。
もうすぐ式が始まると、執事が私を呼びにきたのだ。
促されるがまま、私はお父様と一緒に教会の扉の前に立つ。
本当なら、結婚式は街の一番大きな教会で行われるはずだったらしいのだけれど、今は焼けこげてしまっているから仕方ない。王宮内の教会で我慢してあげる。
「……ミア様、どうぞお進みください」
そう言われて、私は一歩前に進んだ。
同時に、目の前の扉が開く。式に参列する人々の視線が、一瞬にして私に集中した。
あぁ、なんて気持ちがいいの?皆が、私に釘付けになっているなんて!
お辞儀をして、私は正面を向く。
すると目線の先……バージンロードには、レグルス様が私を見て微笑んでいた。ヴェール越しであっても、レグルス様の黄金が眩しい。
(……今、参ります!)
駆け寄りたい気持ちをぐっと堪えて、私はゆっくりと白い薔薇の花弁が敷かれたバージンロードを進んでいく。
絹でできた純白のロングトレーンドレスが、ステンドグラスの光を纏って、より一層その輝きを増しているのがわかる。艶やかに光輝く様は、なんて私に相応しいんだろう。
にやけないように注意しながら、私はお父様の腕を離れて、レグルス様の腕を取る。
布越しだというのに、はっきりとレグルス様の筋肉がわかる。
それだけで、ときめきが止まらない。
「綺麗だね、ミア……よく似合っている」
うっとりしていた私に、レグルス様は私にだけ聞こえるような声で呟いた。
……なんて素敵なんだろう。
ずっと、こうしていたい。けれど程なくして、私たちはバージンロードを歩き終えてしまった。
けれど、本番はここからだ。
「新郎、レグルス・レイ・ナヴィガトリア。あなたはミア・ソレイユ・シルビアスを妻とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、死がふたりを分かつまでこれを愛し、慈しみ、敬い、共に助け合うことを、ここに誓いますか?」
「誓います」
短く、でもはっきりと、レグルス様は参列者に聞こえるように答えた。
あぁ、今は参列者に背を向けていてよかった!
だってにやけているのがバレてしまうもの。
「新婦、ミア・ソレイユ・シルビアス。あなたはレグルス・レイ・ナヴィガトリアを夫とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、死がふたりを分かつまでこれを愛し、慈しみ、敬い、共に助け合うことを、ここに誓いますか?」
「……はい。誓います」
私も、レグルス様と同じように神父様に答えた。
「それでは、指輪の交換を」
恭しく、古い箱に入れられた指輪を、男の人が運んでくる。
私たちの前でその男の人が傅くと、レグルス様は私の手を取って、ゆっくりと左手にはめていたグローブをはずした。そして差し出されていた指輪を手に取ると、とても優しく、私の薬指にはめてくださった。
流れるような動作に、つい見入ってしまう。
けれど私も、おずおずとレグルス様の左手を取った。
なんて大きくて、がっしりとした手なのだろう。それでいてするりと伸びた長い指は、まるで彫刻のよう。
震える手で指輪を手に取って、私もなんとか、レグルス様にそれをはめることができた。
その様子を確認して、神父様は静かに頷く。
「……では最後に、誓いのキスを」
そう、神父様が促す。
あぁ、ついにこの時が来てしまった!
心臓がどくどくと脈打って、どうにかなってしまいそう!
体が、熱くてたまらない。
「ミア」
レグルス様が、私の名前を呼ぶ。
私は目を閉じて、レグルス様を待った。薄いヴェールが、ゆっくりと上がっていくのがわかる。
ヴェールが上がるのを待って、私は勿体ぶりながら、瞼を開けた。一瞬、レグルス様の手が止まる。ヴェール越しに見ていた淡い景色がクリアになって、より一層周囲が輝いて見える。
その中心にいるのは、もちろん、私たちだ。
「レグルス様……」
尊い名前を呼んで、再び目を閉じながら顔を上げる。
するとレグルス様は、乱暴に私の両腕を掴んだ。あまりの強さに、何が起こったのか分からず、私は目を見開く。
その先にあったのは、明らかに困惑しているレグルス様の姿だった。
「レグルス、様?」
再び、私は名前を呼んだ。
するとレグルス様から返ってきたのは、あり得ない一言だった。
「……お前は、誰だ?」




