小さき王は懺悔を知らない
「さあ、これで邪魔者はいなくなった。僕と、結婚してくれるね?……ミア」
「……わかり、ました」
待ち望んだミアからの返事に、全身が粟立つ。
……やっとだ。
やっと……やっと彼女が……。
──堕ちた。
「あぁ、その言葉を待っていたよ!」
高笑いしそうになるのを必死にこらえながら、俺はミアの頬を流れる涙を拭う。
なんて綺麗なんだろう。自然と、体が熱くなる。
でも、まだだ。
今ここで、ミアを襲うわけにはいかない。
「今はゆっくり休んでくれ。まずはその怪我を治すのが先だ」
傷口を覆うガーゼを、俺は指先でなぞる。
いつもなら、俺が触れればすぐに身を強張らせる。けれど今日は、おとなしく俺をぼんやりと見つめていた。
今は、それで構わない。
時間は、いくらでもあるんだ。
ゆっくり……ここまでおいで。
自然と、口元が弧を描く。
「では、ミアのことを頼んだよ」
近くにいたメイドにそう言いつけて、俺は彼女の部屋を出た。
自室へ戻る脚が、自然と速さを増す。
できることなら走って戻ってしまいたい。それほどまでに、自分でも驚くほど浮かれているらしい。
昔から、欲しいものはすべて手に入れてきた。
元々、手に入れやすい地位にいたというのもあるが、欲しいものならばどんな手を使ってでも手に入れる。人として、当然の感情だ。
流行りのおもちゃ。
狙った牡鹿のツノ。
西部地域における磐石な信頼。
そして、ミア。
しかし今回は、なかなか手を焼いた。
(……だが、アレはもう俺のものだ)
まったく、セシリアもバカな女だ。
母上のように、せめて飾りでいればよかったものを。そうすればセシリアは正妻のまま、ミアを側室にしたというのに。
おのれの自尊心を満たすためだけに勝手なことをするから、あんな目に遭うのだ。
賢い女は、自分の立場をきちんと理解している。
(……ミアのように)
セシリアと違って、ミアは自分の役割をよくわかっている。
母上とも違う。飾りとして何も考えずにいるだけではない。あれは、自分の動きが周りにどう影響するのか、理解して動いている。なんと聡い女だろう。
手に入れるなら、飾りよりも役立つモノの方がいいに決まっている。
だが、それ以上に……。
(ミアは誰よりも、俺のことをわかっている!)
そんな女、今までどこにもいなかった。
これまで出会った女は、どれもこれも水槽の中でただ餌を待つ魚のような存在だった。
俺の周囲に群がって、『第一王子』とお近づきになりたいと口を開ける。
艶やかに着飾っているものは違えど、どれもこれも同じ顔だった。
だが、ミアは違った。
『あえて申し上げるとすれば、レグルス様が、私を一人のひとだと思っていらっしゃらないから……でしょうか』
あの時、ミアが言った言葉を思い出して、笑いそうになる口元を思わず手で覆う。
なんと的確な答えだろう。
確かに、ミアの言う通りだ。
俺はミアを、人と思っていない。
いや、ミアだけじゃない。
俺以外の人間は、等しく野山を駆け回る動物と変わらない。
手懐けるか。
狩るか。
無関心か。
そのいずれかだ。
まったく、俺の本質をここまで理解しているのは、ミアを置いて他にいない。
あれほどまでに魅力的な女を、なぜ弟にくれてやらねばならないんだ。
──ミアは、俺にこそ相応しい。
ようやく自室に辿り着き、俺はすぐに部屋の鍵を閉めた。
「ふっ……ふはははははは!」
堪えていた笑いが、一気に噴き出す。
ひとしきり笑うと、やっと少し思考がクリアになってきた。
(ミアは、俺のものだ)
その言葉を、改めて噛み締める。
ヴォルフラムのものではない。
俺のものだ。
ヴォルフラム、お前には感謝するよ。
あんなに素晴らしい女を、俺に近づけさせてくれただなんて、お前も、少しは俺の役に立ったではないか。
口角が上がるのを、抑えられない。
先ほどの涙を流すミアを思い出して、再び笑いが込み上げてくる。
(あぁ、あの瞳……)
涙に濡れていたことも相まって、まるでどこまでも碧く澄んだ泉の水を、宝石にして嵌め込んだようじゃないか。
いつも、ミアは俺を見る時、まるで小動物のような目をしていた。
いつ狩られるのかもわからぬ、恐怖に怯える目。
だが、その中には必ずどこか希望を宿していた。
その視線が心地よくて、ついつい意地悪をしてしまったのは許して欲しい。
俺だって、あのウィステリアの下でミアに手を出すつもりなんて、さらさらなかった。
あれは、ミアが悪い。
あんなにも、可愛い目で見つめられたら、理性なんて紙に等しいだろう?
『レグ、そんな意地悪をするものではありませんよ』
「ッ……?」
なんだ、今の記憶は……?
ミアのことを思い出していると、突然脳裏に、誰かの声が響いた。
それと同時に、ミアと同じ瞳がこちらを睨みつけていた。
そういえば昔、あの瞳をどこかで見たことがあった気がする。
あれは、誰だ?
記憶を辿ってみる。
けれど、まったく思い出すことができない。
……いや、そんなこと考えても仕方がない。
今はミアだ。
無意識に、俺は右の腰に携えた剣の柄を指でなぞる。
細やかな装飾、その溝に、俺は指を這わせた。
「ミア……」
俺を見つめる、怯えたトルマリン。
細い四肢は、俺が捕まえれば簡単に折れてしまいそうだと言うのに、彼女の意思は一向に折れそうもなかった。
なぜ、あれほどまでに俺に逆らうことができたのか……。
(大方、あのウィリアムとかいう神父のせい、だろうな)
まさか、ミアが神父ごときのために、火の手の回った教会に入っていくとは思わなかった。
だがそれほどまでに、ミアはその神父のことを想っていたのだろう。
あながち、セシリアが言っていたことも間違いではなかった。
アルの報告通りだな。
だがその神父も、現在行方不明だ。
あの火災で、多くの焼死体が出たからな。
その一つであったなら、判別もつかない。
ヴォルフラムも、同じだ。
やつも、もういない。
同じように教会で焼き払ってしまったというのが惜しいが、まぁいい。もう全て過去のことだ。
それよりも、未来のことに目を向けようじゃないか。
「ミア」
さあ、最後の詰めだ。
早く……早くその怪我を治してくれよ?
そして、病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつとも、愛を誓おうじゃないか。
「ふふっ……あはははははは!」
あまりの面白さに堪えることができなくて、俺は再び、声を上げて笑った。




