ライラの奏でる鎮魂歌
『ニア……っ!』
「ッ……!」
名前を呼ばれて、私は目を覚ました。
勢いよく体を起こしたせいで、節々に痛みが走る。頭の中もぐちゃぐちゃで、何がなんなのか、よくわからない。
周りを見れば、そこは見知った自室のベッドの上だった。着ているものも、肌触りの良い絹でできた寝衣だ。
けれど、よくよく見ると右腕には包帯が巻かれていた。右腕だけではない。左頬にも、何かがついている感触があった。少し顔を動かすだけで痛みがある。
その痛みで、私は朧げに、自分に起きたことを思い出した。
(……そうだ。教会で火事が起きて、それで……)
無謀にも教会に入った私の頭上から、焼け落ちた天井が降ってきたのだった。
けれどその時、突然名前を呼ばれて、体を誰かに引き寄せられた。そのおかげで、私は大怪我をせずに済んだのだ。
今更怖くなって、私は自分の体を抱きしめる。
すると炎の熱さではなく、抱き寄せられた優しい温かさが、ありありと思い出された。
(あれは、いったい誰だったのだろう……)
誰の声なのか、はっきりとはわからなかった。
けれど確かに、声の主は私のことをニアと呼んだ……。
そう、私が考え込んでいた時だった。
コンコンとノックの音がしたかと思うと、誰かが部屋に入ってくる。
部屋へ入ってきた相手と目が合うと、その人物は今にも泣き出しそうな顔をした。
「ミア様ッ!!!」
そう言って、クロエが私に駆け寄ってくる。
「ミア様!よくぞご無事で!!」
「心配を……かけたわね、クロエ」
掠れる声で、私は微笑んだ。
「本当です!無茶をなさって……!とても、とても心配したんですから!!!」
「ごめんなさい。……ねえ、誰が私を屋敷まで運んでくださったの?」
私を助けてくれた声の主が知りたくて、私はクロエに訊ねた。
「……ミア様をここまで運んだのは、シリウスです」
「シリウスが?」
思いもよらない名前に、思わず聞き返す。
そんなはずはない。だってシリウスは、私の本当の名前を知らないのだから。
あの時、私をニアと呼ぶはずがない。
「はい。シリウスもボロボロで……けれど、ミア様をここまで運ぶと、すぐにどこかへ行ってしまいました」
「……そう」
目に涙を溜めるクロエが、嘘をついているようには見えなかった。だから本当に、私をここへ運んでくれたのはシリウスなのだろう。
(……でも、なぜ?)
なぜ、シリウスが……私の名前を?
だって私の本当の名前がミアではなく、ニアだと知っているのは、お父様、ミアそして……。
「そうよ、ウィリアム様……!ウィリアム神父様はっ!?ご無事なの?!」
私は縋り付くように、クロエに尋ねた。
「それが……」
クロエは咄嗟に、私から視線を逸らす。
口ごもりながら、慎重に言葉を選んでいるようだった。
いったい……何があったというの?
長い、クロエの沈黙に、私は生唾を飲み込む。
「……ウィリアムという神父様に関しては、存じ上げません。けれど、ヴォルフラム様が……」
「……え?」
……なぜ?
なぜここで、ヴォルフラム様の名前が出てくるの?
胸が、ざわざわと騒めく。
嫌………。
その続きを、聞きたくない。
「……実は、ヴォルフラム様は、あの教会に身を隠していらっしゃったそうなのです」
「ヴォルフラム様が、教会に?」
「はい。それが、レグルス様に知れたようで……」
「レグルス、様に?」
だからなんだと言うのだろう。
ヴォルフラム様がどこに身を寄せていたとしても、レグルス様には関係のないことのはずだ。
大丈夫。
きっと……大丈夫。
「名目としては、第一王子暗殺を企てたヴォルフラム様に対する制裁だと……」
そう言って、再びクロエは口を噤んでしまう。
暗殺?
制裁?
どういうこと?
「……ヴォルフラム様は……ご無事でいらっしゃるのよね?」
掠れる声で絶え絶えに、私はクロエに尋ねる。
けれどクロエは、ゆっくりと、首を横に振った。
……うそ。
嘘よ……。
ヴォルフラム様が、暗殺計画だなんて、あんなにお優しい方が、そんなことするはずがない!
力の入らない手で、それでも私はシーツを握りしめた。
「……ミア」
その時、突然名前を呼ばれて、私はすぐ声のした方に顔を向けた。
視線を向けた先に立っていたのは、鬣のような黄金の髪をゆったりと結び、同じ色の瞳で私を見つめる、レグルス様だった。
「レグルス、さま……」
「あぁ、可哀想に。こんなに喉が枯れてしまって」
そう言って、レグルス様は私に近づくと、左の頬に触れた。
「顔にも傷があったっていう話は、本当だったんだね。痕にならないといいけれど……」
「っ……!おやめください!」
傷の手当てをした箇所を撫でるレグルスの手を、私は払いのけた。
「レグルス様、お聞かせください。なぜ……なぜヴォルフラム様を?」
私が払った手をさすりながら、レグルス様はこちらに目を向ける。その目からは、一切感情を読み取ることができなかった。
「さっき、そこのメイドが言っていた通りだ。ヴォルフラムが、僕を暗殺しようとしていた。その咎だよ」
「嘘です。ヴォルフラム様はそのような方ではありません」
即座に、私はレグルス様に言い返した。
「はぁ……まったく、暗殺計画を立てていたということで納得してくれると思ったんだけどなぁ。やっぱり、君は聡い女性だ」
大きくため息をついて、レグルス様は片手で頭を抱える。
困ったそぶりを見せるものの、本当に困っている様子はまったくない。それどころか、どこか嬉しそうに、レグルス様は口角を上げていた。
「言っただろう?まだ詰み残しがあるって」
「ッ……!」
その一言で、私はレグルス様の考えていたことを理解した。
あぁ、そうか。
そういうことか。
レグルス様は最初から、ヴォルフラム様を……。
「さあ、これで邪魔者はいなくなった。僕と、結婚してくれるね?……ミア」
ベッドに腰掛けて、レグルス様は私との距離を縮める。
勝ち誇った顔で、私に微笑みかけながら、レグルス様は私の頬に再び触れた。
私の、私のせいで……ヴォルフラム様が……。
はらりと、涙が頬を伝う。
その様さえも、レグルス様にとっては愉悦でしかないようで、顔を紅潮させて私を見つめていた。
(……ヴォルフラム様が、薨去された。ウィリアム神父様も、行方がわからない)
もう、私には……どうすることもできないの?
ぐっと、下唇を噛み締める。
「……わかり、ました」
まっすぐ、レグルス様の目を見ながら、私は絞り出すように答えた。




